第36話 人間標本(1)

 気が付くと智也は、全面真っ白な廊下にいた。目の前には赤いカーペットが伸びており、その突きあたりの壁には無機質な台がある。その上のガラスケース内に、長方形の大きな鏡が展示されている。部屋の中央にいる智也の全身がちょうど全て映るくらいの、ずいぶん大きな鏡だった。

 見渡してみれば、左右の壁には同じように、ガラスケースに入った巨大な展示物が並んでいる――延々と。廊下の先は暗闇に沈んでおり、智也の周囲だけがスポットライトが当たったかのように明るかった。我に返った智也は、それらが何か初めてきちんと視認した。


 ――なんだこれ……!?


 それらは昆虫の標本だった……ただし、人間と同じ大きさの。作り物にしてはあまりにも生々しく……しかも、規則的に胸部が上下していた。生きている、のだろうが。本物の標本のように正確な箇所に針が刺してあるが、その場から逃れようと暴れる様子はない。

 そして最もおかしな点は、それらが人間の服を着ていたことだった……智也の通う学校の征服だった。男ものもあれば、女ものもある。脚や羽が服を突き破るように飛び出しているが、下半身の脚は人間のそれだった。両足は重ねた上から鋲で打たれており、標本と言うより磔のようだった。しかしどういう訳か出血はしていない。

 智也はその内一つに、真っ白な蛾を見出した。純白の美しい羽根に、ウサギのような真っ赤な、感情のない瞳。セーラー服の襟から白い毛がマフラーのように飛び出しており、その豊かな胸も相まって、周りの虫よりも前にせり出したような見た目になっている。……どこかで見たことがある気がするのは、気のせいだろうか。


「――どうですトモヤ様、お楽しみいただけていマスか!?」

 突然耳元で甲高い声が響き、智也は飛び上がって振り返った。

 そこに立っていた人物は、世にも奇妙な出で立ちだった。

 まず、真っ先にその巨大な頭部に目が行く。顔中が白いテープを使ったツギハギで覆い尽くされ、その縫合痕の一部を押し広げるように、やたらと大きな目玉が飛び出ている。常人の3倍ほどの大きさはあるだろうか。口も無理やり後から顔につけた切れ目のような歪な形状で、中にはこれまた普通の3倍ほどの大きさの歯がガタガタと並んでいる。スキンヘッドであることも相まって、顔というよりはただのつるつるとした皮を張り合わせたパペットのように見えた。

 白衣の下には茶色いジャケットと赤いネクタイ、茶色いズボンを身にまとっている。胴体は細くてほとんど輪郭がわからないくらいなのに、腹だけははち切れんばかりに突きだしており、ジャケットのボタンを弾きそうになっている。

「な――」

「これら全て、アナタ様のためにワタクシ共が苦労して集めました、自慢のコレクションですヨ。最近また大量に採集いたしまシテ、ようやくオープンできるだけの規模に達しまシタ!」

 智也は唾を飛ばしながらキイキイとしゃべり続ける男に圧倒され、数歩下がったまま動けなくなっていた。

「ああ、失礼!申し遅れましたワタクシ、ドクター那麻吾呂氏ナマゴロシと申しマス。博物学者にシテ、この『人間標本博物館』の館長デス。」

「……人間、標本…………!?」

 その意味は聞くまでもなく一目瞭然だった。だが、問うべきは「一体どうやって」――この人間たちはいったいどうなっているのか。なぜ半身が昆虫と化しているのか。

「…………お前、怪異か。」

「ええ、左様デス。ワタクシの役目は人間の魂を捕らえ、ありのままの姿を表シタ欲望を標本にする……ツマリ、生きたまま殺して閉じ込めることでありマス。」

「お前、誰と契約した……?」

 そう尋ねて智也はすぐに気付いた。さっきこいつが、何と言っていたか――


『アナタ様のためにワタクシ共が苦労して集めました、自慢のコレクションですヨ――』


「……まさか、僕と、って言うのか?」

 そんな馬鹿な。智也は契約などした覚えはない。こんな訳の分からない「博物館」など、誰が望むものか。

「いいえ、アナタとワタクシ共は契約致しませんデシタ。……デスガ、これらを集めたのは全てアナタ様のためデス。」

「……どういう意味だ?この人たちは、どこから連れてきたんだ?」

 智也は全身に冷や汗をかきながらも、何とか会話を続ける。いざとなったら踵を返して逃げられるように、と。……だが、ここは明らかに怪異の「世界」だ。逃げ切ることなど恐らくできないだろう、ともわかっていた。

「モチロン、これらはワタクシ共の採集場から採って来たのですヨ。」

「……はあ?『採集場』って……。」

「オヤ、覚えてらっしゃいませんカ……?」

 那麻吾呂氏なまごろしはいやらしい声で、ゲッゲッ、と笑う。

「アナタ様が忌み嫌われる、あのお馴染みの場所デスヨ。醜くも素晴ラシイ、生態系の天国……ワタクシ達はそこで、ズット一緒にいたではありマセンカ。」

「…………?」

 学校、のことだろうか。智也が忌み嫌っているというのは確かにそうだが、「ずっと一緒にいた」とは何のことかわからない。

「おいおいお前、まだ気づかねえのかよ!」

 那麻吾呂氏の背後の暗闇から、そんな声と共に一人の少年が現れた――金色のマスクに、赤いマントを纏った色黒の少年。

「お、前…………!」

 「処刑人」――見間違いようもない、まさに今話題になっていた学校で散々暴れ回り、度重なる人的被害を出した張本人だった。

「ったくいい加減にしろよお前っ……少しは自分の中身も顧みろってんだよ、なあ!?」

「……っ、だから、何の話だよ!?」

 智也は彼の怒鳴り声に気圧されながらも叫び返す。

「いちいち他人の批評ばっかして、自分のことは棚に上げやがって偽善者がよぉっ!」

「はあ…………?」

 まさか、誰かが自分を「成敗」するように契約したのだろうか。考えられるのは、朝比奈毓あたりだろうか……智也は二歩、三歩と後ずさる。

 だが、処刑人はこちらに襲い掛かる様子はない。

「ハッ!ビビってんのかよ!カスッ、ざぁこッ!」

「ゲッ、ゲッ、ゲッ……いやぁトモヤ様、実に滑稽デスネェ……!マア、いずれ時が来ればすべて明らかになりマスから、今は結構デス。……御心配なく。彼が少々暴れすぎた時はまずかったデスが、そのことも皆忘れマスし、邪魔者を排除する許可も出ていマス。万事うまく行くデショウ――」

 那麻吾呂氏は腹を揺さぶりながら抑え気味に笑う。ゲッゲッゲッゲッ――

「暴れすぎだぁ?ハッ、依頼が多かったんだからしょうがねぇだろうがよ!」

「マアマア、そうカッカしないでくだサイ。かまいませんヨ。結局、万事丸く収まった訳デスシ。」

 処刑人が怒鳴り、那麻吾呂氏がなだめる。

 ――すると突然、彼らの姿は智也の前から遠ざかり始めた。


 後ろに下がっているのではなく、周りの景色ごと智也から離れて行っているようだった。

「っ……!?」

 視界に白い靄のようなものがかかり始める。急速に平衡感覚が崩れていき、全身がフワフワと千切れていくような錯覚を覚える。

「おっと、そろそろ時間の様デスネ……それではトモヤ様、また近い内にお会い致しマショウ。」

 引き延ばされていくカーペットの先端で、彼は大きな目をぐちゃっ、と細める。そして処刑人ともども、のそのそとこちらに背を向けて歩き去り出した。


 ――待てよ、まだ質問が残って……!


 意識が遠ざかるのを止めるために、智也は両手をのばして景色を掴もうとする……だが無駄だった。

 白い靄の向こうに、すべて消えていく。

 那麻吾呂氏が消え、処刑人が消え、展示品が消え、真っ白な廊下が消え…………やがて智也は、扉のような四角い枠の中を通り抜ける。


 そして、深い暗闇へと吸い込まれて行った。

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