第35話 正義の鉄槌(14)

 その一週間、処刑人は快進撃を続けていた。

 次はいつ、どこの誰が被害者となるかもわからない。そればかりか、一度は契約者となったもの自身が次の対象になることも増えていった。

 次第に、契約を結んでいる生徒たちも気づき始める――自分自身が狙われる可能性もあるのでは、と。


 そして、互いに恨みを持つ者同士が、同時に契約者であるケースも増えていた。お互いに脛に傷持つ者同士。自然に、普段の会話の調子も変わってくると言うもの。不自然な間、意味ありげな視線、探り合い――

 恐怖と罪悪感、猜疑心……普通の中学校があっという間に、さながら殺伐とした戦場のような空間に変わった。このままでは遅からず、級友同士の間接的な潰しあいが勃発しそうだった。 


 そして、「処刑人」の噂は日に日に、生徒の口端に上る頻度が高まっていく。ある者はただ怯え、ある者は自分自身との関与を隠し、ある者は前予告として、憎い相手を脅かすために……「噂」は、更に怪異の存在を強くする。

 水曜日、処刑人は白昼堂々、授業中の教室を連続で襲撃した。出現から九十分弱も校内を駆け回り、異なる契約を十四件も立て続けに遂行したのだった。優子もさすがに、周りの視線があっては動けない……それに、動いたとしても間に合わなかっただろう。

 まして大人たちは何の対処もできない。学校ばかりか地域全体を捜索しても、犯人の手掛かりすらつかめない。教員たちが二度ほど、その場で刺股で捕らえようとしたが、返り討ちにより犠牲者を増やしただけだった。

 どこから現れ、どこへ消えるのかもわからない。

 いい加減、彼らも気づいていた――これは、一生徒の暴行などと言う話ではない。

 いや……もはや、人間の仕業ではない、と。


 …………だが、「犯人」は人間の悪意であるというのもまた、真実なのであった。

 そしてそのことを知っているのは、白石優子と、世常智也と……校内の「共犯者」全員だった。


 その次の日から、学校全体が運営を休止した。

 もはや学校は、せめて名誉挽回のため不審者を捕まえる、等と言う考えさえ捨て去っていた。一日の間にこれほど多くの人間が傷つけられたとなると、もはやテロである。まして小島恵美を始め、意識不明の生徒が三名もいるのだ。


*******************************************


 保護者代表を含めた緊急職員会議。この後には更に保護者説明会を開く予定だった。二度目の事件の際から予定されてはいたが、警察の捜査との関係で先送りになっていた。

 ……だがもう、保護者に謝罪の意を持つ職員など

 会議はまず、定型文と化した保護者代表への謝罪から始まった。……しかし徐々に職員たちは、堂々と責任の所在を否定しだす。挙句の果てに、「お祓いをお願いしよう」と言う案が真剣に検討され始めた。保護者代表は最初は怒鳴っていたが、職員が皆一様におびえ切っている様子を見て、次第に彼らの訴えを信じ始める。

 校長は彼らをなだめようとし、同席していた警察署長も頭を抱えていた。


「だからっ、これは誰の責任でもないんですよっ、もう……!」

「マスコミにはなんと説明すれば……。」

「この学校、何かいわくつきという訳でもないのになんで……。」

「浜野先生や庄司先生もやられた!次は我々の番じゃないですか!?」

「機動隊でも呼んで制圧していただかないと!でないと私は出勤できません!}

「――みなさん!恐がりすぎですよ!相手はどう見ても人間だ!しかも子供ですよ!?どんな手品を使ってるのか知らないが、ここにいる大人たちが知恵を絞り、一致団結すればどうにかして――」

 「この世に人の力でできないことはない」と信ずる鬼瓦が吠える。

 しかしそれを言うなり、複数の教師から反論が飛び出した。

「あんな速さで駆けまわる人間がいてたまるか!」

「大人三人がかりでも敵わなかったんですし!」

「あんたは運よく会わなかっただけだろう!」

「袋小路に追い詰めたのに消えたんですよ!?それも一度や二度じゃない!どう説明するんです!?」

 さすがに鬼瓦も鼻白んでたじたじになる。

「で、ですから…………そんなこと、ありえないじゃないですか!何かの手品なんですよ!」

「手品って、例えばどんな!?」

「すみませんみなさん、発言の時は挙手をお願いします!」

 教頭が叫ぶが、誰も聞かずに銘銘が怒鳴り続けている。鬼瓦も意固地になって言い返した。

「た、例えば……違う生徒が入れ替わりながら一人の怪人を演じているのでは!?」

「はぁ……!?」

「そんな馬鹿なっ!」

「……いや、あり得なくもないんじゃないですか……?(鬼瓦さん、割と頭つかえるんだな……)}

 またしても論点が増え、会議室は更なる混沌に包まれる。発言した鬼瓦自身とて、話の流れを引っ張っていくことはできずにうろたえっぱなしだった。


 ――その背後の窓に、上空から舞い降りた人影が映った。


「っ……!?」

 向かいに座っていた職員が何か叫ぶより前に、その人影は窓を蹴破って部屋に侵入してきていた……そのままの勢いと体勢で。すなわち、鬼瓦の後頭部を蹴りつける形となる。

 窓ガラスが飛散し、窓側の職員の背に降りかかる。

「痛っ……え!?」

「きゃあああぁぁっ!!!」

「なんだっ!?お前、まさか……!?」

「うわああぁぁぁっ!出たアアァァァッ!」

 たちまち室内はパニックに陥り、職員たちは部屋の四方に散っていく。

「勝手なこと言ってんじゃねえぇっ!俺は一人だけだっつうの……!全部このっ、俺様の力でやってやったのさっ!」

 処刑人は鬼瓦を踏みつけにしながら、バットを振り上げて宣言する。鬼瓦は彼の重圧で息ができずに呻く。その鍛えられた全身の筋肉で力んでも、処刑人の片足をはねのけることすらできない。

「貴様ぁっ!」

 警察署長が宿敵を見る目で彼を睨み、部屋の隅に控えていた警官二名が警棒を取り出す。

「おめえらは気づいてねえかも知れねえがなぁ……!この学校の生徒たちはみんなお互いに恨みつらみでいっぱいなんだよぉ!単なる可愛らしい喧嘩だとかいい思い出で済まされるような諍いじゃねえ!純粋な憎悪!場合によっちゃ殺意!それを叶えてやってるのが俺様って訳だ!」

「な、何を勝手な……!」

「勝手じゃねーよ!あいつらが自分の意思で頼んできたんだよ!」

 処刑人は室内の人間達を、ぐるりと順番に睨む。

「なあ!?お前らは思い上がってるだろうなぁ!?ガキどもは全員、権力で抑え込んでいいこちゃんにできるってよぉ!?教師としての『能力』で清く正しいニンゲンサマに矯正してやれるんだってよぉ!」

「やれ……!職員の皆さんは逃げてください!」

 署長は処刑人を無視して叫ぶ。職員たちは出入り口に殺到するが、扉が開かずに更にパニックを強める。

 警官たちは処刑人に同時に飛びかかるが、目にもとまらぬスイングで吹き飛ばされた――もはや、体にバットが触れてもいない。

「ぐはあっ……!」「あぁっ…………な、何が……!?」

 処刑人はその間、体の軸を全く動かさずに鬼瓦を踏み続けている。もはや誰も、彼を止める気にはなれなかった。

「バーカッ!それがうまく行ってんのはお前らが強いからじゃねぇ……!クソガキどもがよえぇからだよ!人間誰しも弱くさえなきゃ、いくらでも力を振るいたがる!あいつらも同じさ!だから俺と言う力を求めたって訳だ!」

 ……処刑人はもはや、朝比奈毓一人の怨恨感情を叶える妖精ではなかった。生徒たちのあらゆる怒り、不満、怨嗟、誇大妄想を吸い取リ――それらが寄り集まって一つの方向を成した。


 すなわち、無限の敵意の解放。そのための抑圧的な権力の打破――すなわち、彼の役目はヒーロー!


「き、さま……教師を、侮辱するなぁ……!」

 鬼瓦がせめてもの抵抗と呻くように言う。

「ハッ!今からお前のそのくそでけぇプライドと肉を、両方ぐっちゃぐちゃにぶっ潰してやるよ!お前に復讐したいって言ってきた奴は十二人もいたからなぁ!こんなに契約がダブった奴なんて他にいねぇよ……!しかもその内四人はもう、本気で殺したっていいと思ってる……。」

「何、だと…………。」

 教員たちは誰も、彼の名誉のために言い返したりなど、しなかった。彼の多少横暴な気質については、多かれ少なかれ誰もが知っていた。……ただ、それを大したこととは思っていなかっただけで。

 相変わらず彼らの多くは、ただ部屋の隅で震えている。一方で先ほどの処刑人の言葉は、一部の賢明な者の心には深々と突き刺さっていた――「これ」は、生徒の怨念が結晶した神なのか。我々の生徒の心に対する無関心への、神罰なのか……。

「ギャハハハハハッ!因果だなぁ……!つうか必然なんだろうなぁ!お前のバットから始まった俺と言う存在が、それを使ってお前を殺すって言うのはよ……!」

「こ、殺す……?」

 その場にいる全員がぎょっとした。今まで処刑人は名乗りを上げる時、「成敗」とは言ったものの、殺すと言ったことは一度もなかった。まさか、今度こそ本当に――

「罪状は多すぎるから省略させてもらうぜぇっ!じゃあなクソ野郎ッ、天誅ぅぅッ!」

 ――ボコッ!「うっ!」――バキッ!「うがっ」――ゴスッ!「ああぁ……。」「や、やめろぉ!」「やめなさい君!とりかえしがつか」――ドガッ、バコッ!

 床に、机に、天井に――ストロボ再生の様に、血しぶきが飛び散って広がっていく。

「人間じゃない!天罰なんだぁ!」「あぁぁッ……!」――ガンッ!「ひいっ!」「お願い、私たちまで襲わないで……!」――ベキッ!「ゐ゛、ぁ゛……。」「そらよぉっ!」――――グシャァッ!

「鬼瓦さん!」「ひっ…………!」「うわああああぁぁぁ!!!」

 彼の頭蓋はもはや元型を留めず、床に漏れるように広がる赤色との境界がわからなくなっていた。


「――そおらまだまだっ!俺は数で数えてるからなぁ!」


 バンッ、バンッ、バンッ、バアンッ!


「――四十六、四十七、四十八、四十九……!」


 ばき、ごしゃ、ぐしゃ、ぼこ、がき、ばこ、ごが、ぐき、ごげ、がこ、ぐしゅ、ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ――――!


 もはや鬼瓦だったものの頭部は、原形を留めていなかった……署長を含め、誰もが顔をそむけている。

 これが、これが本当に……子供たちの、怨念だと言うのか。

 

「八十、九……!これでようやく、全員分!やれやれ、ずいぶん汚れちまったなぁ……!」

 処刑人はケラケラと笑いながら、バットを振るってこびりついたものを振り落とす。

「――つーわけで、じゃあなお前ら!せいぜい人間の悪意を肝に銘じて、お互い怯えながら生きてろっ……!」

 そう言って処刑人は、入ってきたのとは違う窓に飛び込んでいく――だが、先ほどの様にガラスが破られることは無く、彼の姿はそのまま蜃気楼のように揺らいで、消えてしまった。


 ――後に残されたのは、血だまりの上に下りる、暗澹とした静寂だけだった。


 

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