第33話 正義の鉄槌(12)

 放課後の学校。

 いつも通り、生徒たちが部活動に励む風景……の中に、随所に立つ警察官たちや、張り詰めた表情で巡回している教師陣が入り混じる。特に事件現場である道場の周辺は、巡回の頻度が高かった。

 優子もいつも通り吹奏楽の練習に交じりつつ、いざとなったら「お手洗い」に行けるように身構えている……さながら某名探偵だ。そして、彼女の鞄に入っているのは鞭と狐面。今朝は校門で手荷物検査があったが、鞭は服の下、胴体に巻き付けて持ち込んだ。狐面は自身のロッカーに隠している。……学年一の優等生がこのようなことをしていようとは、誰も想像もしない。

 なお、智也は特にできることもないので、いつも通り帰路についた。


 ……そしてその間に、次の事件は起きた。


 被害者は弓道場のトイレで発見された。左の下腕に骨折、上半身に無数の打撲傷、殴打による脳震盪で意識不明――菅野元人と同じく、金属バットで襲撃されたものと見られた。

 見回りをしていた教師が被害者の悲鳴を聞き、犯行の現場を目撃していた。……だが、犯人を捕獲することには失敗した。入り口が一つだけのトイレで、彼はどうやってか逃げおおせたのだ。


 今回の事件も急遽、保護者のメール連絡網で周知された。


『……万全の警戒態勢にもかかわらず、このような事件が二度も起きてしまったことを深くお詫び申し上げます。事件当時の状況につきましては、詳細は後日、警察による検証の後……』


 それを自宅で主婦たちが受け取った時、まだ生徒の半数以上は部活動中であり、事件の詳細はまだ知らなかった。だがむしろ、現場から遠い帰宅部の者たちはすぐに聞かされることとなる――


 例えば、世常智也。そして朝比奈毓。


 そのニュースを知った時、二人とも一様に驚愕した…………その被害者の名が、「飯島玲奈」だったからだ。


**************************************


 その朝、通学路で自転車をこいでいた毓は、後ろから来たもう一台の上からすれ違いざま、ぽん、と肩を叩かれた。半ばぐいっと引き留めるような強引な所作だった。

「毓君、またちょっと話があるんだけど。」

「…………っ!?」

 毓が自転車を止めて振り返ると、そこには智也の凍り付いた様な無表情があった。そこから読み取れる感情は、焦燥か……あるいは、もはや隠す必要の無くなった敵意。

「どうして飯島さんを襲わせた?腹いせのために適当に選んだのか……?それとも、彼女も最初から狙う動機があったのかい?」

「っ、ちょ、ちょまっ…………だ、だから、俺はそんなの、事件とか、関係ないって……。」

「そういうのはもういいからさ、僕は真面目に答えて欲しいんだ。……ねえ、どうなの?」

 智也は目を見開いたまま、ぐいっと顔を近づけてくる。


 ――何なんだよ、こいつ……!


 毓は具体的な身の危険を超えた恐怖を感じた――おそらくそれは、本物の殺意、のようなもの。目の前のこの少年は、常軌を逸している。本当にこんな奴が同じ学年にいたのか、と疑うほど、今までは影が薄かったというのに……。


「いっ……いや、あの、俺はその、確かに、契約はしたけど……い、飯島さんについては、ほんとに知らないって……!」

「……そうなの?君が飯島さんを良くじろじろ眺めてるって噂は聞いてたんだけど。ほんとに関係ないの?」

「っ、いや、それは……べ、別に俺は、飯島さんとは、なんも関係なくて……。」

 よくちらちらと視線を送っていたことは事実なのだが、恨むなどと滅相もない。……むしろ少しでも「接点はあった」と答えられたら、どれだけよかったことか。

「本当に……?まだ他に狙ってる人はいないの?」

「いや…………い、いるけど。」

「誰?」

「……鬼瓦。飯島さんは、違う……。」

 智也は鬼瓦が狙われていることに特に驚かなかった。むしろ彼に対しては恨みを持たない生徒の方が少ないだろう。

 彼には、弱者と見いだした人間ほど執拗に追い詰めるように叱咤し脅しつけ、過剰に懲罰や訓練を課す「指導」癖があった。

 一度など、体育を欠席しようとした女子生徒を許さず、叱りつけて無理やり「体調不良」を具体的に説明させたことがあった。その場に居合わせた智也はもはや軽蔑どころか、青ざめる思いだった。

 特に毓のような生徒を「指導」する時の彼は、怒りを通り越して殺意で体を震わせているようでもあった……教師になっていなかったら、あの欲望が本来向かう方向は一つだろう。

 だが一方で、その怒りを表すことそのものに生の喜びを見いだしているかのようだった。実際、一方的に「指導」をした後に手ごたえがあった時は――すなわち生徒が泣くのをぎりぎりで耐えるような顔で立ち去って行ったあとは、一日中機嫌がいい。

 

 ――あんな危険人物、社会から抹殺した方が良いんじゃないかな……。


 ……それはともかく。


「……じゃあ質問を変えようか。処刑人はどうして飯島さんを襲ったんだと思う?」

「それは、わかんない……俺、ほんとに何も命令してないし……。」

 そう、だからこそ毓も今、かなり焦っていた。まさかとは思うが、処刑人が自分のいうことを聞かず、暴走し始めたのではないか、と……。

 処刑人は「正義の味方」を名乗ってはいるが、目的のためには罪なき人間を巻き込むことも厭わない。毓は剣道部の面々が巻き込まれたときから、そのような危惧を抱いてはいた……だが、考えないようにしていた。 

 こいつの力さえあれば、俺はあいつらに勝てるのだから、と。


 それ以外に方法は無いのだから、「怪異」なるものの性質が何であれ、自分の願いは正しいのだから、やられてやり返すのは当然の権利なのだから、上手く計画を立てられるから、殺す訳でもないのだから――


  問題ない。


    問題ない。


      問題ない――――


 ……………………だが、それが問題ないなどと、いったい誰が保証してくれるだろうか?

 結果を約束したのは、あの怪異だ。そのための「力」を使いこなすのも、彼だ。毓ではない。

 そう、自分が契約した相手は……怪異なのだ。妖怪変化だ、バケモノだ。契約を持ち掛けてきたのはあいつ、実際に手を下すのもあいつだ。……そもそもあいつは、自分で手に負える「力」などでは、ない。


「……君さ、あいつの声、聞こえるんだよね?」

「……ま、前は聞こえてたけど、おととい、からいなくなって……。」

「……『いなくなった』?なんで?」

「わ、わかんない……なんか、英二たちがいないから、『やってられない』、とか……。」

 考えられるのは、英二たちを襲えなくなったことで手持ち無沙汰になり、無差別な襲撃に切り替えた、などだろうか……。

「…………まさか、平行して違う契約をした、とか……?」

「違う、契約って……。」

「……ただの可能性だけど。比嘉君たちを襲えなくなったから、君との契約は保留にして、その間に違う人と契約したんじゃないか、ってことだよ。」

 前回の「空」は同時に複数人と契約していた。しかもコピー君曰く、彼らはできるだけ多くの「実績」を求める……ならば、十分にあり得ることだ。

「……じゃ、じゃあ……俺は、関係ないってこと……?」 

 安心しかけた毓を、智也は射貫くような目でにらみつける。

「関係なくないよ、ぜんっぜん……!君が契約したことであいつの実体化が進んだんだ!怪異は最初は物理的な体を持たない。それが人間と契約して段々、体を長く出現させられるようになるんだ。それに、次の契約もしやすくなる。最初はすぐ消えたてたんだろ?でも、前回剣道部を襲った時は5分以上も戦い続けた!あいつは行動の自由を得たんだ。これからはきっとどんどん新しい契約を結び続ける、今まで以上に好き放題暴れ続ける……!そもそもあいつは君のイメージから生まれたんだ。君が契約しなければ、誰とも契約できなかったはずなんだよっ……!」

「それ、って……………………お、俺のせいって、こと……?」

 ……智也は答えない。黙って毓を睨み続ける――頼むからもう、勘弁してほしかった。

「……まあ、しょうがないね。もう起きた事は取り返しがつかない……後悔したってもう遅いよ。君は自分のやりたいことをやって、それがこういう結果を生んだ。それが単なる事実って訳さ。」

 智也は文字通り毓の肩を突き放し、急いで自転車を漕ぎ始めた。


 ――実体化が進むと、その分長く戦えるようになる……戦闘力も上がる、のか?


 智也は首を振って考えるのをやめようとした。後で落ち着いて優子と話し合おう……結局、勝敗は彼女次第だ、と言う結論になってしまうのが歯がゆい。


 一方の突きはなされた毓は、その場で呆けたように留まっていた。


 ――『後悔したって、もう遅いよ』。


 頭の中で、先ほどの智也の声が響く。


 ――ああ、誰か……誰か、助け、て…………。


 その思いは、ずっと前のいつかの時点で、彼が口にすべきものだったものだった。

 

 自分が傷つける側となってしまった今、彼のその言葉は、何の意味もなさない。

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