第32話 正義の鉄槌(11)
その日、毓は酷く怯えながら登校してきた。ちょうど元人達にサンドバッグにされていた時の様に。ここ数日はその恐怖からも解放され、むしろ全ての支配者になったかのような慢心に浸っていられたのだが……いま彼が直面している脅威は、いじめなど比にならないものだった。
家から出る時、横断歩道で信号を待つ時、昇降口で靴を履き替える時、階段を上る時……一人でいる瞬間が訪れるたび、毓は背後を振り返って身の安全を確かめずにはいられなかった。
――大丈夫だって。あいつは襲って来ねえよ。向こうだって正体を晒したくねえだろうしな。
頭の中で処刑人が言う。
――誰だか知らねえが、この学校の生徒なのは間違いねぇ……クソッ、お前もちゃんと、誰が怪しいか見とけよっ!
言われるまでもなく、毓は警戒心全開だった。いつもは自分の席でじっと下を向いているのに、今日に限っては朝から、クラスメートの一挙手一投足を眺めつづけている……当然、気持ち悪がられた。
今日は、英二と慎太郎は登校していなかった。空っぽの椅子を見て毓は、かなり心の余裕を取り戻す。
――いい気味だな……そのまま一生、俺に恐怖してろっ!
――おい、それじゃ困るだろうが。契約が達成できねえよっ!
処刑人が頭の中で怒鳴る。
――なんだよ、こっちからあいつらの家に行けばいいだろ?
――それはまだ無理なんだよっ!クソッ……!おいお前、何とかしてあいつら連れて来いよ!
そんなことを言われても、どうしようもない。毓はますます不安になってきた。魔法の契約とは言うものの、ずいぶん不自由なものだった。処刑人は万能ではない。行動に制限もあり、しかも彼と互角に戦える敵まで現れた。本当に、うまく行くのだろうか……?
その日は朝から体育館で学年集会だった。
話題はもちろん、昨日剣道部が襲撃された件。
犯人が狙っているらしい英二と慎太郎は自宅で待機し、犯人確保までは警察が学校を見張ると言う。「警察」と言う権威ある単語を聞き、毓の不安は頂点に達した。もう状況が完全に手に負えなくなっている気がする。
――これ、詰んでねえか……?なあ、どうするんだよ?
――……どうもしねえよ。ったく……やってられるか!
――え?
処刑人の話す調子が、急におかしくなった。
――あ~……
――え、ちょっと……どうすればいいんだよ、おい!
それっきり、処刑人の応答はなかった。毓の心臓が早鐘を打つ。まずい、自分一人では何もできない……いや、このまま平然と生活し続ければいいのか?少なくとも、自分が「共犯者」として逮捕されるようなことはありえないのだから。
毓が一人、周りとは違う危機感で頭を抱えている間に、学年主任は事件を起こした「二人の不審者」について、詳細をぼかした説明を続ける。
元人が襲われたときと違い、「不審者」が「身長と服装からして生徒である可能性」については触れられなかった。二人の戦いがあまりにもハイレベルだったからだろう。だが教員たちも、それらに関する証言を、どこまで混乱していた生徒たちの妄言と捉えるべきか、と困惑しているようだった。その場にいた唯一の大人である剣道部顧問は、最初から最後まで気絶していたので確認も取れない。
ちなみにその彼は前に出てきて、「部員たちを守ってやれずに面目ない!」と、深々と頭を下げた。
毓はそれを見て若干の罪悪感を覚える。だが、だからと言って慎太郎たちへの復讐をやめるつもりはない。それはあくまで別問題だ。
――そうだ、誰も邪魔さえしなければいいんだ。あのお面の奴も……。
とにかく目下の問題はあいつだった。次に会った時に処刑人に倒してもらうしかない。だが、それ以前に正体を調べた方が良い気もする……だが、方法はない。
学年集会にしては珍しく、誰も無駄話をせずに深刻な顔で退場していく。実際に怪人たちと会った剣道部たちが、友人たちに詳しい話を伝えている。その中では先ほどの教員の話を訂正し、「二人目の鞭使いは自分たちのことを守ってくれた」と言う者や、「ヒーローが助けに来てくれた」と言う者も多い。
ふと毓は、人の流れの中で誰かの視線を感じた気がした。すかさず振り返るが、当然視線の主の同定などできない。そして、それが二人であることにも気づいていない。
智也と優子も今のところ、次に何をすればいいか決めていなかった。もはや、英二と慎太郎の元に敵をおびき出すこともできない。
優子は「勝てなくてごめん」と謝っていたが、とんでもない。智也は他の生徒の話を小耳にはさんだ程度だが、どこの少年漫画かと思うようなアグレッシブな「戦闘」だったらしい。
――仮面を被って武器で戦う、か……いよいよ本物のヒーローみたいだな。
智也は半ば呆れてはいた……だが正直に言うと、戦っている彼女の姿は是非とも見たい。
人間の悪意から生まれた怪異を倒し、平和を守る。
この膿がたまったような醜い学校社会に、正義が勝つストーリーをもたらしてくれる。
智也が自分では成せない、美しい理想。
本物の、ヒーロー…………期待しても、いいのではないか。
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