第31話 正義の鉄槌(10)

「やああああぁぁぁっ!!!」

 英二は雄たけびを上げながら慎太郎に駆け寄る。その叫び声は威勢や威圧と言う本来あるべき意味よりも、単にストレスをぶつけるような響きがあった。

 慎太郎は、彼が乱暴に振りかぶった竹刀を黙って面に受ける。

「はあああああっ!」

 慎太郎は、普段のクールさからは想像もつかないような、腹から響く低い声を上げる。英二は打ち込み稽古にもかかわらず、むきになってそれを避けようとした……だが、結局崩されて中てられた。

 英二はすれ違ってから軽く苛立ちを覚える。慎太郎の面の向こう側は無表情か……それとも、自分を嗤っているのか。

 今日は半日中、こいつに「毓の呪い」の話を散々言いふらされて、馬鹿にされ続けていた。他の男子たちも一緒になって陰口を言っている――あいつ、頭おかしくなったんじゃね。


 ――どうなっても知らねえからな。次はお前の番かも知れないぞ?


 そう心の中で毒づきながらも、このまま苛めの標的が自分に映るのではないか、という不安も大きくなっていた。


 英二は、慎太郎には、勝てない。


 格好いいと思って始めた剣道だが、どうにも思うようには上達しなかった。もちろん、そこそこの技能は二年間で獲得した。だが、彼が想像していたのはもっと、華々しい活躍だったのに……型に押し込められるような細かい所作が苦痛だった。最初のころは礼儀作法すら禄に守れず、顧問に何度も叱られていた。

 

 だが、途中でやめたら慎太郎にもっと侮られるだろう。そう思って、意地になって練習してきて……やがてその熱意は当然のように、慎太郎への憎悪へと置き換わっていった。


「ああああぁぁぁぁぁっ!」

 今度は防がれた。

「マジになってんじゃねぇよ、暑苦しい……。」

 慎太郎がぼそり、とつぶやく。

 英二は面の下で歯ぎしりした。

 本音を言えば、もう技も競技も関係なく、ただただ彼を竹刀でめちゃくちゃにぶちのめしたかった。無論、そんなことをしては自分が恥をかくだけだろう。だが、稽古でも結局、慎太郎には勝てない。試合の戦績でも勝てない。人望でも勝てない。精神的優位に立てたことは一度もない。このまま、俺の三年間は、こいつに屈服したまま終わるのか――

 英二は同情の端の姿見を見遣る。そこに映る自分の姿は、周りの部員たちと同じ防具姿だ。だが今の英二にはそれが、落伍した落ち武者の姿にしか見えなかった……。


 ――バーンッ、と。


 唐突に、道場の扉が開かれた。


「――最近覚えたての言葉なんだけどよぉ、『スポーツマンシップ』って奴?それが欠けてる奴がここにいるなぁ……?約二名!」

 バットを肩に担いだ、金色のマスクの少年――背骨を丸め、どん、どん、と地面を踏みしめるように入室してきた。

 部員たちは突然入ってきた不審者に困惑する。その内何人かは、彼が元人を襲った犯人と特徴が一致していることに気づいてざわめく。


 ――ヤバイヤバイヤバイヤバイッ……来やがった、ほんとに来やがった……!


 英二はその中でだれよりも、処刑人の脅威をよくわかっていた。後ずさる彼の後ろに立つ慎太郎も、さすがに警戒していた。


「相手への殺意で戦ってる奴と、相手を見下すのが楽しくて戦ってる奴……どっちもいかにも、弱者をいたぶるのが趣味って感じだなぁ?」

 大声でがなる彼の背後で、スライド式の扉がひとりでにピシャッ!と閉まる。逃げようとしていた一人の女子生徒が、悲鳴を上げた。

「な、お前……まさか、この前菅野を襲ったやつか!?」

 顧問の教員が警戒した声を上げ、竹刀をぎゅっと掴む。

「その通り!俺の名は『処刑人』!弱き者の恨みを晴らすために、悪党どもに正義の鉄槌を下すヒーローだ!」

 処刑人は高らかに宣言し、教員にバットの先端を向ける。

「ふ、ふざけたことを言ってるんじゃない!それを早く下ろせ!」

「黙れ!お前が俺に指図する権利はねぇ!」

 ハスキーボイスとは思えないような威圧感を持つ声で、彼は教員を一喝する――剣道をそれなりにやっている彼ですら、一瞬身が竦んだ。今目の前に立っているのは、ただの反抗心の強い少年などではない。もっと得体のしれない、人間性の欠けた「何か」――本能が、そう告げていた。

 処刑人は続いて、その矛先を横に向けて叫ぶ。

「俺が用があるのはお前らだ!比嘉英二!そして三河慎太郎……!」

「……はあ?」

 慎太郎が声を上げ、竹刀を持つ手をわずかに緊張させた。

「お前、どういうつもりだよ……?俺らが『悪党』とか、意味わかんないんだけど。」

「おい馬鹿っ、ヤバいって!」

 慎太郎が相手を刺激するようなことを無遠慮に言ったので、英二は慌てて彼の後ろに隠れる。

「覚えがねえとは言わせねえぞ!お前らはこの二年間、何人もの同級生をいじめてきただろうが!仲間外れにし、嫌がらせをし、人気のない場所でサンドバックにし続けてきた……!」

「な、なんだって……!?」

 顧問がぎょっとした顔をして慎太郎を見る……英二はともかく、まさか彼がそんなことをしていたとは。慎太郎の部活動中の様子しか知らない彼にとっては、青天の霹靂だった。

「ああ後、お前ら全員、怪我したくなきゃ手ぇだすんじゃねぇぞ……?言っとくが、この場にいる全員が同時に掛かってきても、俺には勝てない。」

 処刑人はどすどすと慎太郎に歩み寄る。

「そこをどけ。まずは英二から」「させるかあぁっ!」

 顧問が背後から竹刀を振りかぶって走り寄る――だが次の瞬間、標的は地面を蹴って彼の頭上を舞っていた。

「馬鹿がっ!」

 処刑人は空中で身をひねり、容赦なく顧問の後頭部をで打ち据えた。

 顧問はどさり、と床に倒れ伏し、気絶した。……二秒ほどの間を経て、パニックになった部員たちが扉に駆け寄る。……だが、なぜか扉は開かない。何人で引いても押しても、同じことだった。

「さて、邪魔する奴はもういねえな。……おら、英二、観念して出て来いよ。」

 彼がバットをぶんぶんと片手で振り回し、がりがりと床を傷つける。

「ま、待って、俺は……俺はっ、ちゃんと!その、毓に謝ろうと、思ってて……。」

 英二が命乞いをしていると、慎太郎が突然、何も言わずにその腕をつかんだ。

「え、な――」

 そのまま、彼を自分の前に突き飛ばす。

「はぁっ!?おい、お前っ!」

 英二が振り返ると、慎太郎はすでに窓に向かって駆け出していた――英二はそれを見て絶望する。


 ――ああ、やっぱり俺は、最後まであいつにいいように扱われて……。


「――は……?クソッ!なんで開かねえんだよ!」

 慎太郎は窓の鍵をガチャガチャと捻りながら、苛立った声を上げた。

「馬鹿野郎っ!お友達を捨てて自分だけ逃げようってか!そうはいかねえよこの卑怯者……!まあ安心しろ、お前もあとでじっくり苛めてやるからよぉ。まずは未来の自分の姿をよく見て楽しんどけ!」

 そう言って処刑人は、英二の頭上にバットを振りかぶった――避ける暇は、無い。


「っ~~~~~!!!」


 ――その時、ガシャンッ、とガラスが割れる音が響いた。


 処刑人はバットを振り上げたまま、左の方を向く――そこに、窓から飛び込んできた何者かが、そのままのすさまじい勢いで跳び蹴りを食らわせた。

「っ!?ぐはぁっ…………!!!」

 処刑人はわき腹からグシャッ、と胴を折って吹っ飛んだ。

「……て、てめえ。何者だ……!」

 壁に叩きつけられた処刑人は、落ちてきた賞状の額縁を払いのけ、新手の方を睨む。

 だが、敵は返事さえせずに次の攻撃を食らわせてきた――その右腕から一瞬で、銀色の長いものが飛んでくる。

「ぶべっ!」

 今度は顔に直に攻撃を受け、処刑人は横なぎに吹き飛ばされる。そしてちょうど、慎太郎と英二の間に倒れこんだ。

「っ…………!!?」

 英二は何が起きたのかわからず、新手の方を振り返った。

 そいつが右手に持っていたのは、鞭のようなものだった。銀色の金属球が紐を通され、十数個ほど連なっている。なんというのかはわからないが、明らかに本物の「武器」だった――バットや竹刀とは違い、そもそも人を傷つけることを目的とした、武器。

 そしてその持ち主は、処刑人同様面を被り、我が校の体操服を着ていた。面は狐。髪の毛は後ろでまとめてお団子にしている。上下ジャージで肌は隠しているが、少なくとも、体形から女であることは確かだが……。


 ――なんだ、こいつ……?


 ピンチの自分たちを助けに来てくれた、正義のヒーロー……という認識で、良いのだろうか。

「……早く逃げて。」

 無理に作ったような低い声で、狐面の少女は呼びかけてくる。

 ――あ、ほんとにヒーローだ。

 英二はそう確信してうなずき、彼女の背後に駆け寄る……一瞬、慎太郎の方が気になってちらりと視線を向けた。だが、今は人の心配をしている場合ではない。それにさっきあいつは、自分を生贄に差し出そうとした……助けてやる義理はない。

 部員たちは巻き込まれるのを恐れて、すっかり部屋の一方の壁に寄り集まっていた。二名の勇気ある生徒が、後から遅れて気絶した顧問を引きずっていく。狐面はそちらの様子をちらりと確認してから、再び処刑人に向き直る。

「て、めえ……よくもやりやがったなあ!」

 処刑人が怒りに燃えて立ち上がると、すぐにまた鞭の攻撃が飛んできた。だが今度は、バットですかさずはじき返される。

 その間に英二は、割れた窓に体を押し込んでいた。防具があるとは言え、割れたガラスを気遣いながらのそのそと出て行く。

「――待ておいっ……ああ!英二が先じゃねえと、順番がちげえじゃねえか!」

 処刑人は狐面に阻まれ、怒って地団太を踏んだ。狐面は彼が喋っている間にも、容赦なく鞭を振り続ける。

「ああでも、しょうがねえ、なあ!」

 処刑人はバットを往復でふるって鞭をいなし、突然体を180度回した――バットの先端が、慎太郎の胴を捕らえる。

「っ……うっ、げほっ……!!」

 こっそり離脱しようとしていた慎太郎は、腹を打たれてその場に足をつく。

「――それ『一本』っ!」

 処刑人は容赦なくバットをふるい、慎太郎の頭に叩きつけようとする。

 ――間一髪、処刑人の右足に背後から鞭が巻き付く。処刑人の攻撃と同時に、狐面はそれを勢い良く引いた。

「どわぁっ!?」

 体重が軽い処刑人はバットをひきずりつつ、空中にさかさまに釣り上げられる。

「この、クソッ――!」

 処刑人は天井に叩きつけらる直前、左足で天井を蹴って敵に飛びかかった。

「――覚悟ぉっ……っ!」

 だが、狐面は鞭を左手で引いて彼の体勢を崩す。処刑人は空中で一回転し、鞭が解けるとともに地面に降り立った。

 その間に狐面はタン、タン、とステップを踏んで部屋の中央に移動する。背後の生徒たちの群れに、慎太郎も駆け込んでいく。

「ああぁっ、邪魔ばっかしやがってっ!」

 処刑人はバットをめちゃめちゃに振り回した……かと思えば突然壁を蹴り、すさまじい速度で頭から敵に向かって飛びこんでいく。短絡的な言動からは予想もつかない不意打ちだった。

「うおぉぉらっ!」

 狐面は辛うじて斜め後ろに飛びのき、鞭を振り上げる。

 処刑人は空振ったと見るや否や、床にバットを突きたててブレーキ代わりにした。ガガガガッと床を削りながら、片足をバットに乗せてバランスを取る。そこに横から鞭が飛んでくるが、バットの周りで体をくるりと回して避けた。

 狐面は距離を詰められたのを見て、鞭を腕に巻いて短く持ち直す。部員たちとの距離が近くなってしまったため、攻撃に彼らを巻き込まないようにしなければいけなかった。

 そのことに気づいた処刑人は、ニヤリと笑う。

「――あ~あ、しょうがねぇな……!ちょっとばかり巻き添えが出るかもしれねぇけどっ、よお!?」


 ――ちょ、待て、やめろって!


 処刑人が生徒たちに向かって突っ込んでいこうとしたとき、視界を共有していた毓の声がそれを止めた。


 ――……関係ない人まで巻き込むな……!お、俺が言った通りに、英二からにしろ!


「英二はもう逃げただろうがっ…………クソッ!」

 処刑人はバットを床に叩きつけて怒鳴った。

「しょうがねえなぁ……おい慎太郎、今度こそ必ず潰してやるな!それとお前もっ……次に邪魔したら、ただじゃすまないからなぁっ!」

 そう言い捨てるや否や、踵を返して駆け出す。狐面は敢えて追撃しない。これ以上戦いを長引かせるわけにはいかない。


 処刑人は英二が通ったのと同じ窓から飛び出し、どこへともなく走り去っていった。

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