第24話 正義の鉄槌(3)
「あー、だりぃ……!」
元人はバットが詰め込まれた籠を抱えながら、一人で声を上げた。
部活動の練習が終わり、備品の片づけをする時間。元人は幼いころからずっと、いわゆる「おかたづけ」と言うようなものが大の苦手だった。彼はやりたいこと以外をやらされる時間が、一分であろうと耐えがたいのである。
全部下級生にやらせればいいのに、と思う。さもなければ、無能な奴らがベンチから出て行って雑用係に降格されるシステムにする、等はどうだろうか。我ながら実に画期的なアイデアだ。そんなことを考えながら、校舎裏の体育倉庫に向かう。
彼は協調性や他者への思い遣りは皆無だったが、野球に関しては天性の才能があった。野球は学校における数少ない楽しみの内、唯一彼が本気で心血を注ぐ気概を持てるものだった。
敗色が濃厚な試合で時折見せる鬼気迫った様子は、普段は彼を軽蔑する女子たちを一瞬惚れかけさせるほどである。あるいは、上条礼司が個人的に面と向かって称賛の言葉を言いに来たほど、と言った方がいいだろうか(その時彼は握手を求めたが、元人は顔をしかめて拒否した。彼は褒められることも、上条礼司と言う人間も苦手だった)。そして実際、その「覚醒状態」で戦局をひっくり返して勝利したことがある。そういったヒロイックな面も持ち合わせながら、彼は他者に評価されることに対して特に関心はない。
……つまり裏を返せば、恥も外聞も、倫理観もない。彼の価値基準はただ一つ――「楽しい」かどうか。
その基準に従えば、朝比奈毓をサンドバッグにすることも正当化される。それ以前に、それが間違った行為なのではないか、という疑念すら湧いてこない。彼は葛藤することも大嫌いだった。ゆえに十数年間、できる限り頭を空っぽにして生きることに専心していた。そうやってわずらわしい理屈から頭の容量が解放されることで、その分快感も増えるという訳だ。
元人は大声で文句を言いながらも、重い籠を割と軽々と運ぶことができた。片足を倉庫の扉の隙間に引っ掛け、ビシャッと開く。そして籠を投げ込む……バットが一本跳ね上がり、床に落ちた。
元人は舌打ちをしながらそれを拾い、適当に籠に突っ込む……ガチャガチャと音を立てながら。全ての動作に落ち着きがなく、苛立っている。こう言う煩わしい雑事を強制されるせいだ。……こうやって溜まった日々のストレスは、毓にしわ寄せがいくという訳である。
元人が倉庫を出ようとしたとき、ふと違和感を感じた。ふだん彼はそこまで周りの様子に気を配らないのだが、この時は気づいた……あまりにいつも同じものを見ていると、少し変わっただけで違和感がすさまじい。
少し考えてみて気づいた。閉めようとした扉の近く、自分が籠を押し込んだ棚の手前。そこにあるべきはずのものが、無い――「鬼瓦専用バット」である。普段、彼が部活動中にそれを持つことは無い。彼はバスケットボール部の顧問だが、自分でも生徒に混ざってボールに触れ続けているため、バットに用はないはずだ。なお、彼は元人にも目をつけており、一度注意してくるとしつこくて敵わない。
元人は首をかしげたが、別段大したことではない、と思い直し、再び後ずさって外に出ようとした――だがその時、後ろから何者かに突き飛ばされる。
「っ――
床に手をついて倒れた元人は、すぐに起き上がって背後を睨んだ――そして、犯人の姿を見て言葉を失う。
そこに立っていたのは、金のマスクに赤いマントを身に着けた、肌の茶色い少年だった。
「……………………は?」
どこから突っ込みを入れればいいのかわからない。……だがすぐに、元人の思考は平常運転に戻る。
「…………プフッ、ハハハハハッ!!!なんだお前っ、そのっ!アッハハハハハハ…………!!!」
彼にとっては対象の「意味不明」を理解することより、それが「滑稽である」という事実の方が重要だった。故に、まずは笑う。指を指し、歯をむき出して、ゲラゲラと笑い飛ばす――少年が手に持っているバットには、まったく注意を払わずに。
「笑ってんじゃねえ!!!」
少年は突然、鼓膜がビリビリトと震えるような怒声を上げ、バットを横なぎに振るった。
元人は反射的に腕を構えるが、もう遅い。彼の側頭部にめり込んだバットは、彼の顔を餅のようにべしゃりと歪め、壁に向かって弾き飛ばす。下品に突き出されていた前歯が二本、ポップコーンの様にはじけ飛んだ。
「あぶっ…………!!!うべっ……え゛、う゛ああぁぁぁっ……い゛っでえ゛えぇっ……!!!」
グラグラする頭を押さえ、涙目になりながら元人は呻く。視界が衝撃と涙で歪む。目がつぶれたかと思った。
「おっとやっべぇ。つい俺のための『罰』で契約がダメになるところだったぜ、危ねぇ危ねぇ……殺しちまったら意味ねぇからなあ?」
「お゛、おまえ……いっらい、なんなんら……!!!」
元人が隙っ歯で発音がままならないまま、怒鳴る。
「――俺は『処刑人』。弱者の恨みを晴らし、悪を裁く、正義の味方だ!」
処刑人はそう言って、血の付いたバットを結人に向ける。元人は後ずさる――その時、倉庫の扉がひとりでにぴしゃりと閉まった。
「え、なに、は…………?」
「――菅野元人ぉっ!これまで散々自分の快楽のために弱者をいたぶってきた極悪人!ここで今、俺が天誅を下してやる!」
「や……やめ――」
「情けは無用っ!」
処刑人はそう言ってバットをふるう。
「うわあっ…………!」
元人は両腕で顔を庇う……だが、バットは振り下ろされなかった。
「……ほう、なるほどな。」
元人が何事かと顔を上げると、処刑人はこう言った。
「――依頼人から注文だ。……まずお前、服を脱げ。」
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「お前はクズッ!スポーツと虐め以外、何もできない……!能無し!知性のかけらもないっ、暴れ回るだけのっ、動物以下!」
「ごめんなさいっ!ごめんなさいぃっ…………!」
元人は全裸で亀のように丸くなりながら、背中に殴打の雨を浴びる。
――いいぞ!もっとやれぇ!もっと!
校舎のどこかにいる毓は、処刑人と視界を共有しながら興奮にわなないた。あの元人が、あられもない姿で一方的に蹂躙され、こちらに向かって慈悲を乞うている――夢にまで見た、この上なく素晴らしい光景だった。
「許してくださいぃ……!もうしません、もうしませんから、許してぇ…………!!!」
「お前が反省しようが関係ねえ!依頼人はお前を許さない!おとなしく裁きに甘んじろぉっ!」
処刑人は彼を足で蹴ってひっくり返し、腹部に二撃、続けてバットを振り下ろす。
ゴスッ、ボゴッ…………
「うあ゛ぁ!あ゛っ、あぁっ…………!」
元人は呻きながら、血の混じった唾を吐く――更に容赦なく、胸部に一撃。
バキィッ……!あばら骨が折れた。
――アハハハハハハハッ!ざまあみろぉっ!
「――全治三か月ってところか……おいどうする?まだ続けるか?」
――………も、もういいかも…………。
毓の声が若干小さくなる。
「ふん、おまえが満足すればそこで終わりだ。」
毓はさすがに、これ以上はやりすぎな気がしていた。これは自分の手に余る力だ、とは思いたくなかった。自分が直接元人を殴っているかのような仮想体験で済ませたかった。それ以上は……まあ、自分が情けをかけて勘弁してやったのだと、そう言うことにしておこう。
――そう思った時、倉庫の扉が叩かれた。
「おーい元人?もう野球部もみんな帰ってんだけど……。」
英二の声だった。
「……どうする?あいつもやるか?」
――待って……いいこと思いついた。
毓はほくそ笑んだ。
「……もしかして、毓いんの?俺も混ぜてよ――」
英二は大して乗り気でもないのに、ノリが悪いと思われないようにわざわざ自分から入っていこうとする――そして扉を開けて、固まった。
「…………は?」
「よお、『お友達』。……なんだよその顔。俺たちはいつも通り遊んでるだけだぜ?ほら、お前も混ぜてほしいんだろ?」
「え、いや――」
英二は逃げようとしたが、襟首をつかんで引きずり込まれる。その背後で、再び扉が勝手に閉まる――そして今度は、がちゃり、と鍵がかかる音が続いた。
処刑人は英二を地面に突き倒した。
「っ……!?うああああぁぁぁっ!」
英二は叫んであとずさろうとするが、倒れている元人にぶつかり、それ以上進めなかった。
「――おいおい、ビビってんのかよ、らしくもねえなぁ……『雑魚、カァース』!」
それは、いつも英二が悪口を思いつかなかったとき、毓に浴びせる定型文そのものだった。
「…………お前……もしかして、毓、か……!?」
「違う……俺は『処刑人』、正義の味方だ。お前たちのような悪人どもを罰するのが使命だ!」
「な、に…………。」
「ああ、今はまだお前の番じゃない。その代わり、ちょっと頼みがあるんだが――聞いてくれるか?毓の『お友達』よぉ。」
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