第23話 正義の鉄槌(2)
とある日の、体育の授業。
「朝比奈ぁっ!お前はどうしてそういつも弛んでるっ!いい加減その根性を直せぇっ!」
朝比奈毓は、教師の鬼瓦に怒鳴られた。一人だけ、何度やっても五段の跳び箱が飛べなかったためだった。
鬼瓦はいつものトレードマークであるバットの先端を地面にたたきつけ、怒りに手を震わせていた。本当だったら、そのバットを実際に振り回して毓の脳天を破壊したいに違いない。毓はそう確信していた。鬼瓦はそれを振り回すそぶりを見せることで(あるいは時々本当に振り回して)、破壊衝動を発散しているのだ。
確かに多かれ少なかれ、彼にはそういう危うい気質はあった。だが、本人にその自覚はない。高圧的な態度やバットの携帯は、あくまで教師としての威厳を見せるためだ、と正当化している。なお、野球部の顧問ではない。
ちなみに、上条礼司だけは彼のそうした行為に一切ひるまない。今までに一度叱責を受けたことがあったが、大真面目に反省の言葉を怒鳴り返し、むしろ面食らわせた。それ以来、鬼瓦は彼に対しては何も言わない。最近の生徒にしてはなかなか感心だ、などと思っているが、一方で自分に対して恐れをなさないことは気に入らなかった……この感情にも、やはり彼は無自覚である。
少し離れたところで整列している生徒たちは神妙な顔をしているが、うつむいている何人かは笑いをこらえており、誰も真剣に聞いていないことは明らかだった。
だが、彼らは鬼瓦と一つの点で、感情が一致していた――毓への敵意である。他の全員がノルマを終えた中、毓は一人だけ、できるまで一人で跳ばされ続けていた。授業時間を無駄に引き延ばす、クラスのお荷物。この場で叱責を受けたというだけでは勘弁ならない。
実際、この後の昼休み、三河達はいつものごとく、人気のない体育倉庫で彼を散々いたぶった。
三河慎太郎が無表情で毓の腹を蹴る。
菅野元人は耳障りな笑い声を挙げながら、壊れた機械の様に罵詈雑言を浴びせ続ける。
比嘉英二は気の利いた冗談を言おうとして思いつかず、とりあえず合いの手を入れながらヘラヘラと笑っている。そして持ち込み禁止の携帯電話を使い、毓の醜態を写真に収める。
「――お前はさ、存在自体が迷惑、だからその罰なの。わかる?」
「やめ、やめて、もう……!」
「え、何?聞こえないんだけ、どっ!」
「あぐぅっ……!」
「アハハッ!何その声!赤ちゃんじゃん!あぶうっ、あぶうっ!ギャハハハハハ!」
「ママのおっぱいほちいのぉ?それとも、C組の飯島のおっぱいとか?いっつも見てんじゃん!アハハッ!」
「ち、がう…………!」
「あー図星だ図星ぃ!エッロ!顔きめぇし中身もエロイじゃん!」
「クズの分際で女子のこと見てんじゃねえよ……。」
「存在してるだけで、あれじゃね……えーと、」
「公然わいせつ罪。」
「そうそれ!」
「アハハハハハハッ」
「じゃあその分もお仕置きしないとな。……ほんとだったらあれだろ?女子に『変態』ってビンタされるのが好きなんだろうけど、俺が代わりにやってやるよ――おら。」
慎太郎はビンタをするそぶりをして毓をひるませる――
「――はい、冗談。」
「アハハッ、ビビってんの!」
「っ、ビビってない――」
そう言いかけた時、本当にビンタが飛んできた――げんこつと同じくらいの強さだった。毓の上半身は横なぎに倒れる。
「――ほら、ビビってんじゃん。」
慎太郎の凍るような視線を受け、毓の腕はカタカタと震えていた。
「バーカッ!」
「ギャハハハハハッ!」
「おい、泣いてんじゃん!雑魚カァス!」
「おい、なんか言えよお前……何、もう一回やって欲しいの?」
「っ、ちがっ、待って――」
毎日毎日、この繰り返し――鬼瓦に理不尽な理由で怒鳴られ、グズとののしられ、三河達にはサンドバッグにされる。誰も助けてくれない。そればかりか自分に侮蔑の視線を向け、その場にいること自体が罪悪であるかのように遠巻きに陰口を言う。
毓はそうやって惨めな思いをするたびに、今に見ていろ、と思いながら、彼らに復讐する妄想をして留飲を下げていた。
……だがその日、彼はとうとう限界を迎えた。
――もう耐えられるかよ、こんなの……。
そこでふと思いついたのが、遺書を残して自殺することだった。世間に向かって、自分が受けた仕打ちのことを洗いざらい告発してやる。そうして死の呪いをかけてやろう、と。死んで怨霊になれば無敵だ。本当に復讐ができる――と、本人にとっては「起死回生」の名案のように思えたのだった。
…………という訳で。
「……死ぬか。」
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気が付くと毓は、学校の屋上に立っていた。
頭上には、澄み切った青空――だが、どこか遠近感がなく、天井に空の絵を張り付けたような違和感があった。
風は全く吹いていない。少しの雑音も聞こえてこない――実に奇妙な、穏やかな気持ちになる。
――ああ、そっか。俺、これから死ぬんだ。
毓はやるべきことを思い出して、屋上の縁に近づく。
フェンス越しに下を見下ろす――今から、この下に……。そう思って、今更足がすくんだ。本当に、できるのか……?
毓は恐る恐る、フェンスに足をかけて、向こう側に行こうとした――その時。
「――おい。」と。
後ろから、低いハスキーボイスが聞こえてきた。
毓が振り返ると、給水塔の上に一人の少年が座っていた。片足を立て、膝の腕に腕を載せている。
彼は、かなり奇妙な見た目だった。学校の体操服の上に、深紅のマントを羽織っている。顔に被った金色のマスクからは、サメのヒレのような一本の角が生えており、目の部分は歌舞伎役者のごとく黒く縁どられ、目の部分は透明な赤いフィルムで覆われている。露出した口元も含め、全身の肌の色はかなり日に焼けていた――いや、よく見れば、人肌と言うより木の枝のような奇怪な色合いだった。筋肉はかなり引き締まっているが、皺も多く、ずいぶん不健康そうに見える。
彼は毓の方を見もせずに話し続ける――「お前、何やってるんだ。」と。
「…………何、って……。」
「お前、あいつらに復讐したいんだろ?」
「え…………。」
少年は毓の方を睨んだ――毓はその赤いフィルムの向こうから、見えない視線に刺し貫かれた気がした。体が強張るのを感じる。
「だったら、そんなことしてる場合じゃないだろ――」
そう言いながら、給水塔の上から飛び降りて、ふわり、と音もなく着地した。
少年はつかつかと歩み寄る。毓は後ずさろうとするが、背後がフェンスだったのですぐに追い詰められる。
「――お前、俺と契約しろよ。」
「…………え?」
「俺はお前の想念から生まれた『処刑人』。……だから、お前の望む復讐を果たしてやるぜ。」
「え、えっと…………。」
あまりに急なことだったので、毓は頭の回転が追い付かない。
「なんだよ、迷う必要ねぇだろ?早く同意しろ!」
「処刑人」はなぜか喧嘩腰で言う。毓はいつもの癖で一瞬、目を閉じて防御態勢を取ってしまった。
「……お前、なんか、俺の……守護霊、みたいな……?」
「守護霊とは違うぜ。そのパターンはもう試した。言っただろ、俺は『処刑人』だって。守るんじゃなくてボコすのが専門だ。」
「ボコすって……何が、できる?」
「それはお前の恨みの強さ次第だ。だが少なくとも、俺に勝てない相手はいない!依頼は確実に遂行するぜ。」
「ほ、ほんとか?」
「あぁ?なんだお前、疑ってるのか!?」
処刑人の怒鳴り声に、毓は再び首をすくませる。
「い、いや…………え、本当に、やってくれる、の……?」
怯えていた毓だったが、次第に話の現実味が増してくると、今度は期待に胸を膨らませ始めた。
――こういう展開っ、ずっと待ってた……!俺の願いが、現実になったってこと、か……?
「ああやってやる。ちなみに何人でもOKだ、順番になるけどな。単にボコすんじゃなくて、お前の希望次第で相手を追い詰める演出もしてやるぜ。」
「えっと……その、対価とか、ある、のか……?」
「ああ、あるぜ。よくわかったな……対価は、お前の魂だ。」
――やっぱり、そういうパターンか。
毓はつばを飲み込んだ。「魂を取られる」のは明らかにヤバそうだ……だが、今の彼はそもそも、全てを投げ捨てて復讐をしようとしていたのだ。検討するだけ、損はないはずだ。
「その、た、魂を取られると……どうなるんだ?」
「今までの人生と大して変わらない。ただ、自分が自分なのかどうか怪しくなるだけだ。あと、時々体と心の主導権が握れなくなる、以上!」
「え…………それって、お前に操られる、ってこと?それって……俺になんか、損失、って言うか、なんか、あったりするの……?」
「基本的にない。今まで通りの人生って言っただろ……ていうか、そこまで詳しく説明してやらねーよ。」
それぐらいのコストならば、得られる利益に比べれば全く取るに足りないものに思えた。
「えっと……死んだりするわけじゃ、無いんだよね?」
「チッ、くどいんだよお前!いつまでもうだうだ質問ばっかしてねえで、さっさと決めろ!」
処刑人は毓に詰め寄って胸ぐらをつかむ。
「わ、わかった……契約、する!あいつらを……あ、つまり、三河と、菅野と――」
「言わなくても知ってるっつーの!あのクズ三人組だろ?」
「あ……後、鬼瓦も…………!あいつ、俺のことを見下して、いつも偉そうにして……特に今日は――」「それも知ってるっつーの!」
毓がまだ喋っている間に、処刑人は彼を突き飛ばして叫んだ。
「よし心得た!契約成立ぅ!」
そして左の握りこぶしを作り、右手は天高くつき上げる。その掌に、無数の光の粒が集まって来た。それは次第に棒状の輪郭をなし、彼の手中に納まる――陽光を反射して、勇ましく銀色に輝くバットが。
処刑人は校庭の方を睨みながら、それをまっすぐ振り下ろし、宣誓した。
「――『処刑人』である俺様がぁ!朝比奈毓をいたぶり、辱め、いじめてきたクズどもに――天誅を加えてやる!」
バットが反射する金色の光が強くなり、あっという間に周囲を飲み込んでいく。単にまぶしいのではなく、光が文字通り、空間全てを満たしていく。
目を塞いだ毓は、次第に意識が遠のいていった――――
…………そして目覚めた時には、自宅の布団で目覚まし時計の音を聞いていた。
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