第22話 正義の鉄槌(1)
とある寺院。広大な敷地の隅の方に、一面鋼鉄張りの何とも奇妙な「道場」があった。
白石優子は、一人の男と対峙する――年齢感のない、どこか浮世離れした雰囲気の僧侶。白く裾の短い袈裟を身に着け、手には薙刀を携えている――刃は切れないが、本物の金属でできている。
対する優子は剣道の胴着のようなものを身に着けていた。左手に長い数珠のようなものを三重に巻き付けけている……いや、数珠と言うよりむしろ「鞭」とでも言うべき代物だった。輪にはなっておらず、紐の太さも長さも鞭そのものだった。奇妙に赤身のかかった焦げ茶色の縄に、直径3センチほどの銀色の珠がじゃらじゃらと連なる。ひとつひとつの珠の表面には、それぞれ漢字のような深紅の一字が彫りこまれている。持ち手の部分にまかれたひもも、吊金具から垂れ下がる房も、赤みを帯びた茶色で統一されている。
各辺十数メートル。正確に立方体の、無機質な空間。道場と言うにしても、あまりに広すぎる。二人の間の距離は、武道の稽古にしてはあまりに距離が離れている――鞭と薙刀と言う、奇妙な取り合わせのためだった。
優子は鞭を振るって床に叩きつけていた――金属製の床が、キンッ、と鋭い音を立てた。今日もまずは肩慣らしからだ。数回往復させ、反動の強さなどを確かめる。
正午近くの日差しが入り口から差し込み、二人の顔を照らす。
「――いつでもどうぞ。」
よく通る深みのある声で、僧侶は言った。
「……じゃあ、行きます!」
優子は僧侶めがけて高速で鞭を振るう。僧侶は薙刀を斜め上に傾けるだけでそれを防ぐ。
方や女子中学生、方や、細身で儚げな修行僧。二人とも、その見た目からは想像もつかないほどの筋力を有している。
鞭にしてはアンバランスで使いにくいのは明らかだが、これは鞭と言うよりは、どちらかと言えば「敵」を拘束するための武器。だがある程度は、戦いにおいても使いこなすことが求められる。優子は、武器を持った「敵」とも戦わなくてはいけないのだから。
以前一度だけ、これを使って人の体を持った敵と戦ったこともあった。その時点でもかなり有利に戦うことはできていたが、今回はそれとはやや違う条件の下で戦っている。
返し手で下から振り上げられた鞭は、同じように最小限の動きで回された刃先で受け止められる。
優子は二撃目の時点で前方に踏み出しており、再び間髪入れず攻撃を加えた。ただし、今度は相手の側方から、薙刀の石付きの側に回り込ませる。僧侶の胴体を狙った攻撃だ――だが案の定、その思惑は読まれていた。
僧侶は音もなく地面を蹴り、ほぼ真横に飛んで鞭を避ける――体と武器を平行にしたまま一枚の紙のごとく、風に吹き飛ばされるかのようにスライドさせる。
――そして、着地する前からすでに、武器を握る手は次の動きへと向かう。
優子は、彼が正面に薙刀をふるい、鞭を地面に叩き落とす未来が見えた。咄嗟に鞭を引き寄せ、体の前で腕を回す。
新体操のリボンの様に、不自然な動きで鉄の珠が踊る。それらは直接僧侶の体に届くが、彼は武器を軽業の様に回して全ていなしながら、トン、トン、と後退していく。この狭い範囲内で自分の身長より長い刀身を、それほど繊細に操れるものかと思わせる……人間業では、ない。
優子は右から左から攻撃を繰り出しつつ、再び距離を詰めようとする。
叩きつけ、弾かれる。剣道の打ち合いのごとく繰り返される一定のテンポを、時折急に崩して速い攻撃が行われる――あくまで想定しているのは実戦だ。僧侶は高速で舞う鞭を、刃をほぼ並行に振ってガリッと弾く。かなり強引で美しさの欠けた戦い方だ。……無理もない。重い武器を低身長の子供が使い、怪力で強引にソニックウェーブを起こしているのだ。対応する動きもめちゃくちゃである。
今度は僧侶が前に進み、優子をけん制する。
引いて、進んで、引いて、進んで――その繰り返し。
傍から見ていれば、これは持久戦になるしかないだろうと思われそうになった頃、優子は突然鞭を引き付けながら、右斜め前方に向かって飛び出した。僧侶が刃を振り下ろす直前、優子は体を左側に倒し、スライディングしながら鞭をふるう。鞭は僧侶の右足を一瞬で締め上げる――
僧侶は目を見開き、刃の軌道を横に変えようとしたが、もう遅い。優子の遠心力で足が浮き、前かがみに倒れかける。
彼が姿勢を立て直した時には、優子は彼の背後で跳躍していた――だが、彼も追いつけないということは無い。その時には胴体を右側から回し、優子の両足を薙ぎ払おうとしていた。
優子の右手に、数珠がひとりでに巻き付いていく――そう、この武器は一つ一つの珠が念じるだけで動かせる。故に、どれだけ無理のある動きも可能となるのだった。
そしてこのように籠手として用い、パンチ力を上げることもできる。
「――おりゃあっ!」
優子は腹から低い声を出しながら、拳を思い切り突き出す――間一髪、僧侶はほとんど首の動きだけでそれを避けた。
ここに来て優子が、初めて「あっ」というような、子供らしい顔をする――つまり、これより先はノ—プラン。この一手に、全てをかけていた。
その間に僧侶は、武器を宙に置くようにすっと手放す――そして優子の体を抱き留めた。
「――こうなったらもう、身動きが取れないね。」
「ああ~……。」
僧侶は優子を床に降ろした。
お互い礼をして、本日の修行は終了。
「ありがとうございました、先生。」
「お疲れ様、優子。」
「先生」と呼ばれた僧侶――
「それにしても、随分死に物狂いだったね。私も意表を突かれてしまった……でも、相手に殺意があったら、あんな強引な戦い方は通じないよ。力業で瞬間的に速度が出ても、やっぱり全体的に遅い。」
「う~ん……今日は、一回本気で勝ちに行こうって思って……。」
「なるほどね。……でも、場所の広さを利用した最後の一手は良い奇策ではあったね。ただ、やはり戦いにおいては堅実さが一番だ。」
「はい……大抵、戦うのも狭い場所だし……。」
「学校の廊下、とかもね。」
「…………う~ん。」
「まあ、その場合薙刀や槍を使う敵もいないだろうがね。」
優子が使っていた武器は、怪異の――否、呼称が何であれ、相手の「能力」を封じる効果を持つものだった。そしてそれは、空穏の能力が「神具」として付加されたものである。
基本的には敵の攻撃を防ぎ、拘束するための道具だが、敵が物理的な攻撃手段を用いてきた場合、防ぐことはできない。よって、純粋に武器を打ち合わせる戦いの訓練も必要になるという訳だった。
「そうだ、例の、同じ学校に連続して現れ続ける怪異の話だけれど……優子の力が通じなかったのはやはり、魂を持っていなかったからだと思う。」
「魂が、無い……?でも、どうみても感情とか、性格もあったし……。」
空穏は首を振った。
「おそらく、そういう風に振る舞うように『作られている』んだろうね。」
「作られる、って……普通の悪魔と、違う?」
通常、空穏たちが戦う『悪魔』と言うのは、低級な魂から成り、実体すら持てない「生物未満の何か」である。
「彼らは契約者自身の心象――つまり、イメージを借りた性質になっているようだ。最近になって急に現れるようになったと言うことからも考えるに、彼らは契約者になり得る人間が見つかるたびに、彼らに合わせて『デザインされた』、と考えられるんだ。つまり、」
空穏は言葉を区切った。
「――どこかに、『本体』がいる。低級霊なんかじゃない、恐らく体を持った悪魔だ……用心した方が良い。」
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