第18話 青春の空(5)

 本日の時間割。

 数学、国語、理科――体育。…………体育!


 種目はサッカーだった。

 全員の士気がかつてなく、あり得ないほど高い中……運動神経の悪い智也は、公開処刑に処されていた。


「おい智也ッ、何やってんだよッ!もっと集中ッ!」


 ――お前らがじろじろ見て来なきゃもっと集中できるんだよ!


「大丈夫ッ、お前ならできる、信じてるぞおぉッ!」


 ――お前誰だよ、話したこともねえよ!


 暑さのせいもあって、頭がふらふらする……だが、ここで倒れては恥の上塗りだ。

 怒り(と半ば殺意)に任せて半狂乱でプレイする……その過程で何度かファウルを指摘された。

 

 だがそうしている内に、気が付くといつの間にかゴールを決めていた。

 

「「「キャアアアァァッ!」」」

「やったぁッ!智也君カッコイィィッッ!」


 ――てめえらの歓声で僕が喜ぶと思ってるのか……思い上がる、な……。


 実際、嬉しくもなんともなかった。ただただ、早く終わって欲しいというその一心しかなかった。


 今ならもう、休んでも文句は言われないだろう。そう判断して教員の方に向き直った時――視界がぐらり、と揺れた。


 …………そして気が付くと、青空が目に映っていた。


 ――あぁ…………誰か、保健、室に……。


 智也の意識は、そこで途絶えた。


****************************************


 6時間目、美術の時間。


 智也が教室に入ると、さながら英雄のごとく熱烈な歓迎を受けた。智也は(照れているのではなく屈辱で)顔を赤くし、逃げるように自分の席に着く。

 保健室で目覚め、給食を食べてきたところだった。どうせ社会の授業くらい、一回休んでも問題なかった。別に皆勤賞が欲しい訳でもない。しかし……なんだか、割に合わない大損害を受けた気がする。色々と。 


 今日は水彩画の授業だった。クラスメートたちのうち多くは、青い空と太陽、肩を組む仲間たちの姿など、似たようなモチーフばかりを描いている。


 ――反吐が出る。


 自分も空気を読んで右に習わないといけないのだろうか。だがむしろ、友達もいないくせに仲間と自分の姿など描いたら、白い目で見られるだろう。ここは無難に、風景画にするか。あるいはグラウンドで練習をする同級生たちの姿を描こうか……そうすれば、機嫌を取ることもできるだろう。

 智也は絵に情緒を籠めるのはひどく苦手だったが、写実的な絵を描くのは得意だった。今まで目立たないようにするため誰にも言っていないが、生物図鑑の模写が特技だったりする。事象の全体像を紙と言う両手に収まる形に落とし込み、対象を完全に理解できることに落ち着きを覚えるのだ。

 智也はいつも見ている練習風景を思い出す……だが、昨日の礼司の不気味な笑顔が思い浮かんでしまい、集中できなかった。いっそ、皮肉としてあの笑顔を描いてやろうか、等と思ってしまい、自重した。

 そんな風に考えながら、何気なく教室の壁に目を遣る……廊下側の壁の中央に掛かっている、一枚の絵が目に留まった。七色の絵の具が、ぐるぐると渦を巻いている、肖像画…………ん?肖像画?


 あんな肖像画があるものか。もはや顔すら描いていないではないか――智也は今更その不自然さに気づいた。確かに、肌色や赤色の割合が大きい気がするが……誰かがいたずらで上から塗りつぶしてしまったのだろうか。


 誰も気にかけていないようだし、教員の姿も見当たらない。智也は作業に集中しよう、と視線を落とそうとした――その時、肖像画の表面が、水面に波紋が生じるようにうごめいた。


「…………っ!?」


 一瞬の見間違い、等ではなかった。波紋が渦をゆがめ、溶かし、違う絵に置き換えていく――

 波紋が収まった時にそこに映ったのは、この美術室の室内だった。まるで鏡を模したかのように、ちょうど絵を焦点として対称な教室の内観が、額縁の向こう側に広がっている。

 

 ――怪異、か……?


 「怪異」という言葉を思い出すとともに、智也はこの状況の不自然さにも気づく。


 ――みんながおかしい、どころじゃない……なんなんだよこれ!?


 学校に50名しかいない?全員陸上部?家に帰れない内に次の日が始まる?教員が二人しかいないのに授業が勝手に進む? ――めちゃくちゃではないか。

 前回の「キューピットさん」の「攻撃」は目に見えるものだから、まだわかりやすかった。だが今回は、こうなった経緯も、解決の仕方もわからない。そしてそれ以上に、白石優子がいない。彼女の秘密道具には期待できそうにない。


 ――これ、どうすればいいんだ……?


 智也は考える。なんとなく、方向性は見えている気がした。おそらく、あの絵の向こう側の世界が、「本来智也がいた世界」なのだろう。まさか時間の法則そのものが「描き」替えられたという訳でもあるまい。コピー君は確かに、怪異はそんな大それたことはできないと言っていた。せいぜい、一定範囲の人間に呪いをかける程度だと。

 ならば、世界がおかしくなったのではなく、智也たちだけが「こちら側」に連れて来られた、と言う方がうなずける。「こちら側」――つまり、絵の中の世界に。

 そういえばこの前の「キューピットさん」も、智也を学校そっくりの空間に引き込んだのだった。コピー君も、鏡の世界に住んでいる――ここには一定の法則があるとみていい。つまり、怪異にはそれぞれ、自分だけの「世界」があるのだ、と。


 ……そして今、あの絵画の向こうに、おそらく現実の世界がある。ならば……。


 智也は周りの様子をうかがった。


 ――今動いても、大丈夫なのか?


 こいつらが止めようとしてきたり、しないだろうか。……だが、迷っている間に向こう側へのアクセスが途切れてしまっては元も子もない。

 智也は意を決して立ち上がった。

「――おい智也、どうしたんだよ?」

 隣の席の礼司が、特に含みも持たせずに尋ねてくる――そういえばそもそも、こいつもクラスメートではない。

「ちょっとトイレ。」

「ああ、トイレか。」

 礼司は納得した様子だった。

 だが、智也は彼に対しては警戒し続けている。コピー君から聞いた話から考えるに、今のところこいつが一番怪しい――怪異の契約者疑惑、だ。

 

 彼は先の大会の結果を悔いており、この中学生としての日々に終わって欲しくない、と願っている。今、この世界の時間は大会前まで引き戻されている。そして、閉じ込められた人間は、智也以外全員なぜか陸上部員だったことになっている――偶然とは考えにくい。


 智也は教室の後方のドアに向かって歩いていく。

 ちらりと振り返り、誰も自分の方を見ていないことを確かめた。そして何気なく、後方の机上に雑然と置かれている彫刻刀を一本、手に取ってポケットに差し込んだ……念のために。


 そして進路を変え、壁の絵に近づいていく。


 智也は絵の表面に触れた――再び、触れたところから波紋が生じる。指先がプルプルと、奇妙に振動する。


 ――このまま、向こう側に行けたりするのかな。


 額縁のサイズは、十分大きい。


 きっとみんなが自分を見ている。止める暇を与えてはいけない――智也は思い切って、額縁に向かって乗り出す。


 顔にも先ほどと同じ振動が広がる……水の中に顔を突っ込んだようだった。目を閉じているのに、目の前にぐにゃぐにゃと奇妙にカラフルな模様が広がる。


 …………随分と、簡単だった――




 ――――そう思った時、突然胴体を何かにがしり、と捕らえられた。

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