第11話 キューピットさん(10)

 その日の放課後。

 優子は玲奈を学校の校舎裏に呼び出した。今日はちょうど、弓道部の練習はない。

「……で、何の話なの?白石さん。」

 玲奈はあからさまに警戒しながら聞く。


「単刀直入に言うね。飯島さん、キューピットさんと契約してるでしょう?」

 優子はいつも通りのほほえみをたたえながらさらりと尋ねた。


「…………なんのこと?」

 玲奈は当然のようにとぼけるが、その反応はあからさまに遅れていた。


「あなたが裕樹くんのことを好きなのはわかるよ。私も応援したいって思う……でも、誰かが傷つられているのを見過ごすわけにはいかない。」


 きっぱりと言う優子に対し、玲奈は話の趣旨と違うことに反応した。

「応援したいって……裕樹くんに告白されたくせに、何言ってるの……?私のこと、馬鹿にしてるの!?」

 その反応も、優子には半ば予想通りだった――感情を揺さぶれるのは、都合がいい。


「馬鹿になんかしてないよ。私は裕樹くんとお付き合いするつもりはないし。本気で応援したいって思ってる。だからお願い、私のことを敵だと思わないで。」


 優子は心から訴えかける。

「私は飯島さんの味方だよ。あなたに幸せになって欲しい。でも、キューピットさんなんかに頼らないで。そいつは危険な存在だよ。あなたの願いを叶えてくれるかもしれないけれど、そのために他人を傷つけてる、紛い物の天使――本当は悪魔なんだよ。」

「なにそれ……天使とか悪魔とか、どうでもいいじゃん。願いを叶えてもらえるなら、それはいいことでしょ?占いとか縁結び祈願とか、みんなやってるでしょ?」

「そういうのとは、全然違う……飯島さん。自分の幸せのために他人を犠牲にするなんてダメ。あなたにはそんなことせずに、自分の努力で幸せをつかみ取って欲しい。」

「~~っ!綺麗事言わないで!」 

 玲奈は激高した。優子の悲し気な表情が、胸の前で拳を握るしぐさが、その熱っぽい口調が――すべてが神経を逆なでしてくる。


「何っ、努力って……努力なら、ずっとしてる!でも誰も認めてくれなかった!裕樹くんも私のこと忘れちゃうし……白石さんはいいよね、頑張らなくてもなんでもできるんだから……勉強も運動も。顔も性格も完璧だし、みんなに好かれてるし……誰にも、嫌われることないし……気持ち悪いくらい、完璧なんだから。」

 玲奈のその嫌味に対し、一瞬優子の口元がひきつる。誰にも嫌われない。気持ち悪いくらい――不自然なくらい。玲奈は気づかずに言っていたが、その言葉は優子にとっては、ひがみ以上のものだった。だが、玲奈は気づかなかった。


「あなたなんかにっ……私の事なんて分かる訳ない!」

「…………そうだね。私には、あなたの辛さはわからない。……でも、今あなたがやってることが、正しくないってことはわかるよ。人間は、正しく生きないと幸せにはなれないってことも。」

「正しいって……そんなの知らないし!説教しないでよ!正しくなんてないのに笑ってる人たちだって、いっぱいいるじゃん!」

「そういう人たちは、いつか結局破滅するよ。」

 優子は突然、冷酷な声でそう言った。玲奈の背筋に寒気が走る。


「あなたもきっと、そういう人たちに苦しめられて来たのかもしれない……だから、やり返してやりたいって思ってるんじゃない?でも、それはあなたが自分勝手になっていい理由にならない。それじゃあなたまで駄目になっちゃうよ。」

「……う、うるさい!黙ってよ!」

「お願い、私はあなたのことを助けたいだけなの。裕樹くんのこと以外にも何か悩んでるなら、教えてよ。……そっちから拒絶されたら、何もしてあげられないよ……。」

「……知らない、そんなの。あなたに関係ない……。」

 玲奈は目を逸らしながら言った。


「…………話し、終わりでいいよ?もう、帰るから。」

 そう言って玲奈は踵を返す。


「……飯島さん。」

 優子が呼びかけると、彼女は足を止めた。


「お願い、どうしてもやめないって言うなら、私もう……。」


『――どうするつもりなんですか?』


 そう言って玲奈は振り返る――否、玲奈ではなく、彼女の中の「キューピットさん」が。その赤く光る瞳孔は、明らかに人間のものではない。


「あなた…………。」

『まさか、私を実力で止めるつもりなんですか……?それとも、玲奈に何かするつもりですか?』

 そう言ってキューピットは、優子の胸ぐらをつかんで引き寄せる。


「っ…………!」

『――彼女に手を出すことは、私が許しませんよ。……大体あなた、いったい何なんですか?なぜ私の矢が効かない!怪異が取り憑いている訳でもない、ただの人間の癖に!』

 彼(女)はどうやら、自分の仕事が思い通りにならないことでプライドを傷つけられたようだった。「悪魔」は自分の都合でしか行動しない……当然、こいつも玲奈を思いやってではなく、自分のために事件を起こしているのだろう。


 優子は玲奈の手を振りほどこうとするが、その力は中学生とは思えないほど強かった。……だが、優子もそこで本気を出して抵抗する。辛うじて、手を引きはがすことに抵抗した。


「っ……!?あなた、なかなかやりますね……。」

 玲奈は自分の腕を庇いながら後ろに引いた。


「あなた……一体、何が目的なの!?」

「目的……?はっ、そんな決まりきったことを……!あなた、やっぱり我々について何も知らないのですね。なのに私の矢を防いだ……さては、協力者がいますね?」

 そう言ってキューピットはにやりと笑う。


「先に私の質問に答えて。何のためにこんなことをするの?」

「答える義理はありません。それに、私の問いにも答えなくて結構。もうやるべきことはわかっています。」

 そう言って彼(女)は、今度こそ優子に背を向けて駆け出した。

「っ!待って……!」

 すさまじい速度で走っていく玲奈の後を、優子は追いかける。彼女も相当な健脚であり、二人の距離はだんだんと縮んでいく。


 校舎の前の花壇の脇で遂に追いつき、玲奈の腕をつかんだ。

「――その子の体に入って、何するつもり!?答えろよ!」


 顔をあげた玲奈の目は、もう赤色ではなかった。

「……私知らない!もうついて来ないで!」

 玲奈は彼女の腕を振りほどく。


「これ以上邪魔もしないでよ……!キューピットさんが、許さないから。」

 そう捨て台詞を吐いて、立ち去って行った。

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