第10話 キューピットさん(10)
二年A組。いわゆる朝の会の時間。
先日、部活動中に熱中症で倒れた人がいると伝えられた。かなり深刻なので、入院と言うことになったらしい。皆さんも暑さ対策に十分気を付けて、云々と教師が注意する。
智也は当然そんな報告に興味などない。
聞き流している生徒も多いだろう。あるいはこう思っているかもしれない――そんなことを言うなら、各教室にエアコンを配備してほしい、と。なぜ生徒が自分で気を付けろ、という話が先に出てくるのか。保護者の風当たりがそろそろ強くなるだろう。
あるいは、隣のB組ではこう思っている者も多いだろう。――三十度を超えないと授業中の水分補給が許されないルールはおかしい、と。そんな校則はないのだが、担任の自分ルールである。
ちなみに唯一担任に物怖じせず話ができる礼司は、誰しもそれくらい我慢できる――と思っているのではなく、そもそもインフルエンザ以外で体調が悪くなる状況があまり想像できていない。
智也はそんなことをぼんやりと想像する。つくづく、教師と言う人間は頭が悪い。もちろんすべての教師がそうだとは思わないが、智也が今まで見てきたものの多くはなぜか、全て似たり寄ったりだった。統計的にはそう言うことだ。
それにしても、である。上条礼司と言う人間も本当に、おめでたい奴だ。初めて見た時は智也も、わざとやってるんじゃないかと疑った。多くのせいとは初対面の時、そう思っただろう。だが、二言三言話すだけで、すぐに気付く。
――そうか、これが本物の熱血バカか、と。
何も考えなくていいというのは、本当に幸せなことなのだろう。体制に従うことに何の疑問も持たない。あいつの心中はいつも、「仲間の絆」と呼びつつその実自分が主人公の、美しい物語が支配している――智也は彼のことをそんな風に批評する。
――それに、人間関係への配慮も浅い。浅すぎる。
智也は、その短慮の結果、彼が思いを寄せる人間が危険な目に遭ったかもしれないということを、知っている。
結果的に大事には至っていない。しかし智也はそれ自体が礼司の責任だと思っているのではない。ただ、単純に――どうして飯島玲奈なんかと関わってしまったのか、と言いたくなる。
常軌を逸した怪異。これは誰にも予想できない。
しかし、常軌を逸した人間については別だ。
そもそも、まともな人間が自分の願望のために、こんな犯罪的な契約を怪異と結ぶはずがない。智也はコピーから彼女の人柄については聞き尽くしていた。
――これまで聞いた生徒の話の中で、一番気持ち悪い。
それが感想だった。
智也は同年代の少年少女の多くは、どこか自分中心の、ゆがんだ世界観を固有しているのはわかっていた。
だが玲奈は特にひどい。倫理観にも重大な欠陥がある。コピーが再現した彼女の心の声を聞いていみたが、論理についていけなかった。
智也もまた、彼女と同じ小学校で、三年生の時同じクラスだった。その時から、これは危うい種類の人間だ、とは感じていた。まさかここまでのことをやらかすとは、思っていなかったが。
彼女の、離れた席からの礼司に対する粘着質な視線――それを智也は、反対側の教室の隅で発見してぎょっとしたのを覚えている。そしてそれは、ほとんど一日中続いていた。
当時の彼女は、会話をする同性の友達が全くいなかった。そしてたまに、人目のない時に礼司に近寄って行って、ようやくおもむろに口を開く。その時初めて、彼女の鉄面皮には感情が宿っていた。
幼い恋心――?否、あれはそんな可愛い言葉で済まされるものではなかった。礼司だって、彼女をちゃんと個人として認知していて、あまつさえ「戦友」リストに入れていたのに、どうして気づかなかったのか――まあ、今さら言っても仕方ないが。
――所詮、馬鹿は馬鹿だな。
智也はやれやれと首を振る。もちろん心の中で。しかし、表情の変化はない。
彼は一日中、この調子である。実に気むずかしそうな、話しかけづらい少年――そう言う印象を与える。
……だが、そんな彼に話しかけてくるクラスメートもいる。
昼休みのことだった。
「……ねえ、智也くん。ちょっといいかな?」
白石優子である――ノーという訳にはいかない。
「何?白石さん。」
智也はものすごく気が進まないながら返事をする。決して彼女が嫌いなわけではない。むしろ尊敬しているし、いつもは勉強の話なら、注目されない程度にしている。しかし、この場合用件が問題だった。
――きっと、昨日の続きだ。
「今さ、熱中症で倒れた人の話があったでしょ?」
優子は小さな声で言う。
「うん。」
「あれ、恵美ちゃんなんだって。」
優子は深刻そうな顔をしている。
「…………まさか。」
関係ない世間話――という訳ではない。智也はすぐに気付いた。
「うん。傍にいた礼司くんに聞いてわかったんだけど――多分、キューピットさんの仕業だと思う。」
「矢が刺さったって?」
「うん。」
「……倒れたって言うけどさ、具体的にどうなったの?症状は?」
智也も声を潜める。
「……昏睡状態、だって。原因不明。」
――なるほど、物理的な攻撃じゃないのか。よくホラー映画で出てくるみたいな。
さすがにそこまでできる怪異ではあるまい。コピーが言うには、怪異はある程度「実績」を積まないと、そもそも物理的な干渉手段すら持てない。そして完全に生身の体が手に入るのには、もっともっと時間がかかる。
――呪いみたいな感じか。
昨日の放課後、優子も部活(吹奏楽)の最中に、校庭に人だかりができているのを見かけた。その中心にいたのが、礼司だと気づいたという。優子は眼鏡をかけているのに、遠くから人を見分けるのが得意だ。
「礼司くんが言うにはね、二階に白い人影が見えたんだって。」
「白って……服装が?」
「ううん、全身が真っ白に見えたんだって。」
「……そうなんだ。すぐ消えた?」
「うん。……私もその教室行ってみたんだけど、誰もいなくて、しかも鍵がかかってて、窓も閉まってたんだ。」
「……瞬間移動して消えた、とか?」
――なんにせよ、実体化は不完全、か。
怪異なら、何があってもおかしくないだろう。智也は正直言って、今聞いた情報にはあまり興味が無かった。だが、優子が自分にこの話をする意図は――
「……………………。」
優子は口をつぐんで、智也の顔色を窺っている。そんな風に見つめられると若干戸惑ってしまう。
智也は仕方なく返事をした。
「申し訳ないけど、僕にはどうすればいいかなんて、何もわかんないよ。」
「……だよね。さすがに、やっつける方法なんて……。」
――『やっつける』つもりだったのか。
智也はぎょっとする。
昨日の放課後、コピーと智也の交友を知った優子は、『キューピットさんを放っておいたら危ないと思うから、その問題を一緒に解決してくれないか』と頼んできた。
智也は冗談じゃない――と言いたかった。解決って、何ができると思ってるんだ。自分が力になれることなんてない。
優子が自分にそれを頼んだのは、ただ単に、『他の人は怪異について知らない』という消極的な理由からだったらしい。
もちろんすぐに「難しいと思う」と言った。
すると優子はあっさり「無理を言ってごめん」と謝って――「わかった。じゃあ、私が一人でやるから。」と、宣言した。
「でも私、ああいう『悪魔』に関わったことはあるけど、なんていうか……ああいうタイプの奴は、詳しく知らないから――その、ちょっと知恵を貸してくれるだけでも、お願いしていいかな?……智也君、コピー君と仲、いいでしょ。……私はほら、こんな風に、嫌われちゃってるみたいだから。」
怪異について教えること自体は、あまり問題ない――それも、コピーが直接優子と会話する気になれば済む話なのだが。しかしそれよりも、『私一人でやる』、だと?
そう言われると――どうも、決まりが悪い。
そもそも、優子自身が一度狙われているのだ。
積極的にできることは無いが、だからと言って智也は彼女のことを無視しようなどとは思っていなかった。身の安全を見張っておくくらいは、しようと思っていた。
なのにこれでは、智也が彼女を見捨てたみたいではないか。
――その言い方は、ずるい。
しかし、彼女にはそんな打算は無いのだろう――彼女はあくまで一途だ。しかも多分、自分の身の安全のことではなく、次の被害者を出さないようにすることだけを考えている。
――本当にこの人は、こういうところが……。
智也を感動させるところでもあるが、苦手なところでもある。素直に感化されることもできない。彼女の人柄に触れていると、居心地が、悪くなる。
だから、けっきょく友達未満なのだ。
結局その時は、「一応考えておく」、とだけ言ったのだが――
「……現状さ、これ以上相手の行動が予想できないし、とりあえず様子を見ようよ。」
智也はあたりさわりのない答えを言う。
「……そうだね。でも、もし誰かがまた撃たれたら……。」
「……それでも、死ぬわけじゃないし。」
「それでもダメだよ!一生目覚めないかもしれないんだよ?」
「…………それは。」
今のは少し、失言だったようだ。優子の顔が曇っている。
智也はこの場を切り抜けるための言葉を探す。
「…………コピー君が言ってたけどさ、怪異は人間の間で有名になればなるほど強くなるんだ。……逆に言えばさ、これ以上儀式が流行らないようにできれば、それ以上の事態は防げるんじゃないかな。今、キューピットさんの行動自体は止められなくても。」
それを聞いた優子の顔がほころぶ。
「そうなんだ!じゃあ急がないとね……。ありがとう智也くん!私にできることをやってみるね!」
「あ、ああ、うん……具体的に、何するつもり?」
「まずは、みんなにキューピットさんの儀式をやめてもらうんだよ。」
「……そううまく行くかな。」
「そこは、まあ、頑張るよ。……それから、飯島さんとも話してみる。」
「それは、どうだろう…………話、通じるかな。」
相手はもはや、本物の犯罪の共謀者だ。説得でどうにかなるとは、思えない。
「うん、多分聞いてくれないけど……それも頑張ってみる。」
優子は覚悟を決める。
「……でも、そもそも最初に狙われたのは白石さんだよ?……下手に喋ったら、余計怒らせることになる。」
「それもわかってる――大丈夫、私に矢は当たらないから。」
「……どういうこと?」
優子はにこりと微笑んで、ポケットから白いお守りを取り出す。
「――これ、知り合いの人からもらったんだけど、これのおかげで怪異の攻撃は通じなくなるみたい。いっぱい作ってもらって、狙われてそうな女の子たちにも配ろうと思うんだ。」
「……それ、ふつうのお守りじゃ、無いの?その……本当に、特別な力があるってことだよね。」
「うん。あ、どうやって作ってるかは秘密だよ。」
優子はそう言ってほほ笑んだ。智也はそれ以上追求するのをあきらめた。この人は以前から怪異の存在を知っていたようだし、きっと「何か」あるのだろう。やはり謎が多い。
そう。この人なら、もしかすると――智也はついつい、期待してしまう。
「……あと。もう一つコピー君が教えてくれたことがある。」
「何?」
「直接戦う以外で怪異を倒す方法は、一応あるって。……依頼人が『いなくなる』こと、つまり……。」
智也は迷いながらも、口にした。
「この場合、飯島さんが死ぬことだ。……もちろん、これは論外だよね。」
「うん、そうだね……誰も傷つけずに解決したいよね。」
優子は全く動揺しなかった――「誰も傷つけずに解決『したいよね』」?
智也はその言い方に、若干の違和感を覚えた。だが、優子はいつも通り、単に正しいことを言っただけだ。気にすることは無い。
「じゃあね、教えてくれてありがとう。また何かあったら報告するから。」
優子は素敵な笑顔を置き土産に、優子は自分の席に戻っていく。いつも通り、自主学習でもするらしい。
――やれやれ。
智也はため息をつく。
話している間ずっと、誰かが聞いていやしないか気にするのも大変だった。昼休みだから誰もいないけど。
――もう、後に引けなくなってきたな。
自分が、ではなく、優子が、である。当然、不安だった。いくら底が知れない白石優子とはいえ、妖怪変化と敵対するなんて――
そう考えている途中、智也は何やら廊下が騒がしいことに気づいた。
優子も何事かと席を立ち、教室の前にいた早苗に声をかける。
「――C組の鍋島さん、階段から落ちちゃったって!」
早苗が興奮気味に言う。
「え、怪我は!?」
「怪我は……わかんないけど、なんか、意識無いんだって……!ヤバイ、よねこれ!?」
そう言いながらも早苗は、鍋島なる見知らぬ生徒の心配をしているわけではない。
智也は、こいつは事件が起きるといつも、どこか楽しんでるみたいだな、と思った。
――それにしても、このタイミングでこれは……いかにも、って感じだな。
智也は再び、振り返った優子と目が合った。
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