第7話 キューピットさん(7)
午後4時44分。男子トイレ、鏡の前。
周囲に誰もいないことは確認済みだ。それが儀式の条件である。
儀式の外の人間が近づくと、妖精は姿を消してしまう。そしてそのルールは、智也が『言い聞かせて』決めたものだった。
「ああ~、智也ぁ~。」
「……やあコピー君、久しぶり。」
智也は無感情に鏡像に答える。
半年ほど前、偶然出会った友人である。名前は智也がつけてやった。その後しばらくは、放課後の校内であればどこでも遭遇した。智也は怪異現象の実在を知って興味深いとは思ったが、いくら本やネットで調べてもその神秘の解明はできそうになく、放棄した。
そしてこういうものは、慣れてしまえばどうということもない、ということも学んだ。最初の印象は、未開人がパソコンや携帯に驚くようなものだ。しかも、この怪異は――正直言って、たいしたことない。
ただ一つだけ智也にとって有益なところは、彼が校内の人物の心の秘密をすべて知っている、ということだった。読心術、というべきか。時々、興味深い話をいくつも聞ける。そのたびに智也は「彼ら」を傍観者的に品評し、不思議な人間たちに興味津々のコピー君に、解説をしてやった。
現在、彼が現れる場所は校内のトイレだったらどこでもいい。雑な設定だったが、客足を増やすためには仕方ない。もともとそう言う怪談があるわけでもない。
だから偶然の出会いから噂が広まるしかないのだが、かといって出現頻度を上げて騒ぎになるわけにはいかない――そう配慮した智也が思いついたのがこの、「時間ピッタリに鏡の前に立つ」と言う条件であった。
しかし、せっかく増えそうだった客足も、「商売敵」のせいで減少しつつあるらしい。
「……それでぇ、そのきゅーぴっとッテ奴ガさァ!大人気でぇっ!しかも……えーっ、と、何だっけ……そう、ウンメイ、も変えられル、とかさ!俺より強いってことになっててサ!」
「……でも、嘘なんだろ?」
「いーや。いル!俺あいつ知ってる!超メーワクっ!」
「ふーん……。」
コピー君以外にも怪異がいることは想像に難くないが、まさか同じ学校にいるとは。コピー君も運が悪い。
「……でも、あいつの方が実績、があるから……。」
「……飯島玲奈さんか。」
「うん、そー!れいなとゆーき!」
あの儀式のことは、智也も小耳にはさんでいた。
「でもまだ、『いい感じ』ってだけだろう?」
「……いい感じ、って、なんだ?まだ、交尾してないノか?」
「…………『交際』の間違いだろ。」
「そー!それだ!」
智也は時々、人間を動物の一種として説明したことを若干後悔する。とは言っても彼自身、恋愛の九割は性本能でできている(残り一割が虚飾)と思いロマンスを一蹴しているが。彼は、人間の美徳なるもの全般に対して、信頼が浅い。
「俺さァ、クビになっちゃったよぉ……!どぉすればイイ?」
「さあ?とりあえず、恋愛以外の占いだけすれば?ここ(男子トイレ)もあるし。」
怪異たちは、誰しも人間の噂によって与えられた「役割」のために生きているのだ。それが無ければ、生き甲斐が無いのと同じである。それはキューピットさんも同様のはずだ。
コピー君によれば、小島恵美たちがキューピットさんを呼んだ時、怪奇現象が起きたらしい。それが流行りの発端だったとか。彼は、その当事者全員の心中を知っているので、それがやらせでないことはわかっていた。
しかし一方で、キューピットさんはそもそも占いの霊などではないという。だからコピー君に言わせれば、『あいつはサギシ!』らしい。
「……じゃあ、そのキューピットさんってのは、どういうやつなんだ?」
「……役目は、契約シャをマモルことだ。」
「守る……?」
「えーと……そう!シュゴレイって奴!」
「ああ……ていうことは、もしかして、守ってるのは飯島さんか。」
「うん。」
ということは実際は、彼女(?)は飯島玲奈の恋路にしか関心がない訳だ。ならば、儀式で呼び出されたのは偶然か。そして、その機会を利用して恋敵をけん制した、と――小島恵美はむしろ対抗心を燃やしているらしいが。
「守って……恋をかなえてくれるんじゃなくて?具体的には、その、上条君が飯島さんのことを好きになるようには、できないの?」
「デキナイ。でモ、アイツは契約者の利益を守ル。テキをやっつけるんダ!……テユーカ!レイナもソモソモ、俺の客だったのにィ!」
コピー君曰く、玲奈も一度、偶然コピー君を「発見」したらしい。だが、好きな人を当ててみせた上で占いをしてやろうとすると、彼女はおびえてすぐに逃げてしまった。月並みの反応である。
しかしどのみち、である。人の心の弱さを見透かしてくるくせにその意味の理解度と知能は幼稚園児並みのコピー君は、恋愛の相談相手としては最悪だろう。デリカシーのかけらもない。
「なんでェ、来年も一緒に花火ミヨウって約束すると、交尾したくなるんだァ?」とか言いそうだ。智也は容易に想像できてしまいげんなりした……これも部分的に自分のせいなのだが。
――適材適所、ってことだな。あるいは市場原理か。
智也はコピー君に同情してやらない。
……何はともあれ。
その後、玲奈は夢の中で「キューピットさん」に出会ったというのだ。
「……夢の中、ねえ。」
智也はコピー君から詳しく話を聞く。プライバシーなどへの配慮は一切ない。
二人にとってこれは、ただの学術的なケーススタディという感覚だった。何の研究か?――もちろん、人間の研究である。
……そうして話し込んでいたので、外で立ち聞きをしている人物の存在に、気づかなかった。
「……あ、あの。ごめんなさい、その……さっきから、全部聞いちゃった。」
智也はその人物を見て驚く。
「……白石、さん?」
白石優子――オカルトなどには最も興味が薄そうな人間が、そこにいた。どうやら今までの会話をすべて聞き、その上で全く驚いていない様子だった――すべて事情は呑み込んでいるようだった。
「私もその、4時44分に、隣のトイレにいて……ちょっとその、コピー君に、聞きたいことがあったから。」
智也は白い目でコピー君を見る――近くに人がいれば気づくんじゃなかったのか!
コピー君は……わかりやすくしどろもどろ、と言うか、苦々しい、顔をしていた。智也の顔を、コミカルに歪めて。
優子の顔を映す気には、ならないようだ。そう言えば彼は以前、優子が苦手だと言っていた。
「あう……。」
「だ、大丈夫!誰にも!言わないから!」
白石さんは目の前で両手を振って苦笑いする。
智也は焦った。
――参ったな。
正直、他人と妖怪がらみの話は共有したくなかった。妖怪と友達、だなんて、妙に特別感のあるキャラとして扱われたくない。まして、白石優子である。
「……えーっ、と。それで、聞きたいことって?」
「あ、うん。……その、『キューピットさん』ってさ。」
コピー君はしぶしぶという感じで優子と目を合わせ、また逸らす。礼儀がなっていない。
「……もしかして、弓矢、持ってる?」
「……やっぱり。」
智也は思わず言ってしまった。
――まあ、そこに来るよな。
自分もさっきから、その可能性はあると感じていた。しかし、これは――面倒なことになるのは、不可避だろう。
智也は観念して、ため息をついた。
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