第6話 キューピットさん(6)
次の日。
さすがの小島恵美も、すぐに大きくは動けなかった。今の礼司はあくまで保留状態。まだ優子とは完全に可能性が途切れたわけではない。いつも通り、地道に『できる女アピール』や『頑張ってるアピール』をするしかない。
前者はいわゆる女子力の誇示(趣味やファッションの話)だが、これは礼司にはほとんど通じない。というか全く興味を持たれない。後者の方が良い。すなわち部活動の練習である。
とは言っても、礼司は自分の競技に集中している。別の種目をやっている女子をじろじろ眺めたりはしない。しかし、恵美は目立つ成績があればすぐに礼司に報告しに行く。礼司は共に努力する仲間へ賛辞を惜しまない。故に恵美の自己陶酔、ではなく自己肯定感は膨れ上がる。ついでに陸上部特有の露出度の高い服装を活かして、わざと扇情的なポーズをとったりもしているが、まったく気づかれない。
つまるところ彼女は、スポーツの精神をなめ腐っていた。それでも全く不純なモチベーションで人並み以上の成果が出ることはあるのだ、残念ながら。
いっぽうの玲奈は、これまでそんなことは全くしてこなかった。礼司は小学四年生の時いらい、玲奈とは違うクラスだ。彼女のことはほとんど認知していないだろう。条件としては恵美の方が有利だった。
ところが、彼女は不意を突かれる形となった。
その日の早朝、玲奈は「偶然」通学路で礼司と出会い、何やらあっと今に仲良くなってしまったのだ。
「また会ったね」から始まり、早朝から練習に励む礼司をねぎらい、自分の部活動(弓道部)の話。実際は、そんな早朝から練習する習慣などないのだが。
『弓道は自分の心を見つめる競技っていうか、自分との闘い。そこに妥協なんて、したくないなって。もっと高みを目指そうって思ったんだ』……などと言うマニフェストは、礼司を感激させるには十分だった。
そして小学校の時の話。礼司はなんとなく、そう言えば、彼女は昔から努力家だった、と思い出す。
話している内容はなんということは無い。もしその交わされた言葉だけを見れば、だれもが人並みには外交的な異性同士らしい距離感の会話だと思うだろう。
だが、実際にその場面をよく見れば、その印象は覆る。
玲奈は、様子がおかしかった。話すときに、礼司に絡みつくような視線を向けるのも、どこか気まずそうにまた逸らすのも、信号を待つときの隣り合う距離感も、どこか危うげに上体を傾け、どうとでも取れる距離まで顔を寄せて引き戻すのも――時折、赤く光って見える瞳も。
何とも、言語化のしようのない「何か」があった。その時間は確実に礼司の心に何か波紋を生じさせたが、二人きりの間に起きたその程度のことは、誰も知る由もない。
そして、「その程度のこと」はそれから頻繁に続くことになった。
本来、そのあいだ礼司は、優子とどうやって距離を詰めようかと、ひっそりと顔を赤くしつつあれこれ考えを巡らしているはずだったが、そうしていると、脳裏になぜか玲奈が入り込んできてしまう。
あまりにも自然に受け入れ、そしてあまりにも自然に入り込まれてしまったため、どうも習慣的に意識にのぼるようになってしまった。
ある時、彼女は体操着で登校してきた。
本当に、それだけのことだった。「暑いし、着替えが面倒くさくって」、と。急いできたようで、ややしどけない様子だった。走ってきたのか、汗もたくさんかいている。
そして襟をそっとつまんで扇ぐ……ゆっっっくりと。
礼司は目を逸らす。露出する面積はレオタードと変わらない。変わらない、のだが……!下着の紐が、見えている。それは、その……色々と、意味が変わってしまうのだ!
なぜそんなに急いだのかって――?彼女は下を向いて体を奇妙に揺らしながら、ぽつりと言う。
「……礼司くんと一緒に登校したかった、から。」
さすがに礼司でも、その意味はなんとなく察せられた。
……こうして恵美は、知らない間に少しずつ、敗北へと向かっていた。恋愛初心者はどちらも同じはず、だったのに。
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