成功の秘訣

低田出なお

成功の秘訣

 父は帰ってくると一目散に寝室へ向かい、枕元のクマのぬいぐるみを顔面に押し付けた。そういう日は決まって夜遅くの帰宅の時で、ただでさえ暗い父がより一層陰鬱に見えた。

 クマの腹に顔を埋め、直立で固まる父の姿は、扉の透き間から除いていた当時の私に相応の困惑を与えたことは言うまでもない。幸か不幸か、私には反抗期らしい時期は無かったが、もしそうした時期があったならと考えると少し不安な気分になる。きっと私はぬいぐるみを用いた奇行をあげつらっていた事だろう。いい年をした大人が、ぬいぐるみで何をしているのか。指を突き立てて糾弾する自分の姿を容易に想像できた。

「だからさあ、なんで俺に言わなかったのよ。山本さんの話なら俺が対応するって言ってただろ」

「すみません」

「ったくよお。勘弁してくれよほんと」

 今ならそんなことを言わなくてよかったと心から思う。父もこうした理不尽に立ち向かっていたのだろうから。

 前に部長に伝えたらお前が対応しろって言ったじゃないですか。そう言えたらどれほどよかっただろうか。

 もちろん、そんなことは口にしない。ぐちぐちと続く小言は同じ話のループを3回ほど繰り返し、最後にひとつまみの武勇伝を挟んで終わる。入社して1年もたたずに気づいた最も短い小言のパターンは、極めて高い再現性を誇っていた。

 武勇伝の終わりの合図である鼻を鳴らす音に会釈をして、自分のデスクへ戻る。数分ぶりに見る机上には、規則性無く重ねられた複数の資料が再生紙の付箋で彩られていた。

 今日も定時で帰れそうにない。舌打ちの代わりに短く息を吐いた。








「いやー助かった! 井上のおかげだ」

「ありがとうございます」

「まさかオーモリとの話がこれほど円満に終わるとは思わなんだ。流石はうちのエース!」

 満面の笑みを見せる部長は、まるで子供のように喜んでいた。

「運が良かったですね」

「いやいや謙遜しなくていい。いやしかし、最近は随分と調子がいいじゃないか」

「そうですかね」

「そうとも、このままでは俺の地位も危ういか!」

 部長の粗雑な賛辞をほどほどに切り上げ、会釈をして背を向ける。今日も定時で帰りたい。早急に残りの仕事を片付けたかった。

「ん? おい、ちょっとちょっと」

「なんでしょう」

「襟のところ、ゴミついてるぞ」

「…あぁ、本当ですね。ありがとうございます」

「締まらんなあ。そういう細部をみられるんだぞう」

 やっぱりまだまだだなあと笑う部長に愛想笑いを向けながら、摘まんだブラウンの短い毛を払った。

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成功の秘訣 低田出なお @KiyositaRoretu

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