第27話 夜ふかし


 他のみんなより少し遅れてとった夕食はすこぶる美味しかったように思う。なのに味の感想がぼんやりしているのは食事中、終始メロの様子が気になっていたからだ。


 メロはたぶん、まだ考え事をしている。

 ヌリさんの話と、おそらく自分の記憶に関する事も。


 食事を終えて部屋まで案内されると、クラシカルな雰囲気漂う空間に間隔を空けて並べられた二つのベッドが目に入る。どうやら二人部屋を用意してくれたらしい。今はちょうどお風呂場も空いているらしく、私たちはそのまま浴室へと移動した。


「……私ってこんな……こんなって、どうしてあんな事……」


 ふと呟きが聞こえてきたのは、体につく泡をシャワーで流し切った時だった。


 しっとりと水気を帯びた金髪は頬に張り付き、物憂げにしたたり落ちる水滴が横顔を濡らしている。改めて見ても、隣にいる女の子が人形だとは思えない。


「ヌリさんの事、考えてた?」高級感のある広々とした浴場内に、今度は私の声が反響する。「ご飯食べてる時もずっと難しそうな顔してたから……違ったら、ごめんだけど」

「……ううん、当たってる。私なんかとか、私ってこんなみたいな言葉、メロは使ったことないから。だから、どうしてそんな言葉使うんだろうって、考えてたんだ」


 メロらしい前向きな言葉に思わず笑みがこぼれてしまった。


 小さな足が浴槽に向かい、私たちはそのまま湯船に浸かる。正直、私とメロだけで浸かるのがもったいなく感じられるほど広い浴槽だった。体を包み込むあたたかな温度に息が漏れ、まとめた髪からはみ出る毛を耳の上にかけ直す。


 浴槽の隅から隅までをゆったり移動するメロを見守っていると、その広さを十分に堪能したのか今度は私の腕に体を預けてきた。


「不思議な感じがするの。メロは会ったばかりだと思うのに、ヌリは違う。それでもわかるんだ。たくさん本とか読んで、勉強して、頑張って……オートマタを、メロを作ってくれた事。すごく綺麗に、可愛い服まで着せてくれて」


 すくい上げた水面に憂いを帯びたまなざしが注がれ、


「凄い事をしてるんだから……ヌリはもっと、自信を持っていいのに」

「……伝えてみたらいいんじゃないかな」

「え?」


 吸い込まれそうなくらい鮮やかな水色をたたえた瞳が私を見る。宝石のような、綺麗な瞳だった。


「ヌリさんに、今言ったメロの気持ちを。もしかしたらヌリさんは、まだ自分に自信を持ててないのかもしれない。……どれだけ凄い事をしてても、人から言われなきゃ伝わらない事だってあると思うし」


 少なくとも私はそうだったんだ、と言外に言葉を添えておく。


 この世界で半美さんに再会した時、アイドルだった自分が誰かの支えになれていたのだという事に、私は改めて気付くことが出来た。

 当然、私はもうアイドルじゃない。けれど受け取った言葉の数々は、今なお私の胸にあたたかさをくれる。応援はきっと――力になる。


「メロに、上手に伝えられるかな?」

「大丈夫」励ますように微笑み返し、「メロの好きなところとか自慢に思ってることは、二人が一番、よく知ってるはずだから」


 色鮮やか瞳が今一度、大きく見開かれる。そうして返されるのはいつもと変わらない、天真爛漫な笑顔だった。





「…………なあ、起きてる奴いる?」


 明かりを消した室内にひそめるような声が響く。


「えっ、まじか……? 全員寝た……?」

「……なんでまだ起きてるの」

「うおお、いた!」


 まるでお化けでも見た時のようなリアクションにため息が出る。


 なづなと、なづなに連れられた葵さんが私たちの部屋にやってきたのはお風呂上がり、寝る支度を整えていた頃だった。


 寝るまで暇だからという理由で話のネタを振り続け、正確な時刻は分からないけれど、おそらくもう日付は変わっている頃だろう。私の隣からはメロの静かな寝息が聞こえ、なづなの隣では葵さんが横になっている。まるで修学旅行の夜みたいだ。


 薄暗闇の向こうにある天井を見つめていると、なづなはうっすらと笑みを含ませながら口を開いた。


「瑠稀、お前悪ぃヤツだなぁ。意外と夜ふかしとかイケるタイプ? 見た目清楚なのに」

「……別に。っていうか、見た目は関係なくない?」

「かもしれんけど。よく言われるっしょ?」

「……まあ、たまに」


 押しつけがましい問いかけに私は渋々しぶしぶうなずいた。実際、同級生や友達からそう思われることは少なくなかった。


 外見か、あるいは身に纏っている雰囲気のせいか――どちらでもいいし、どうでもいい。清楚であるという自覚はないし、たとえそうなのだとしても、おそらく見た目だけだろう。


「瑠稀はさ。元の世界、帰りたいと思う?」


 このまま私の事を話題に上げるのかなと構えていただけに、唐突な話題転換には驚きがあった。少しの思案を挟んだ後、私は正直な気持ちをなづなに伝える。


「私は……どっちがいいか探してる。みんなと一緒に」

「へぇ」良し悪しの図りづらい相槌が返され、「なづなは帰りたくない派。死んでも帰んねぇよ、あんなトコ」


 強い感情が込められた言い回しだった。視線を横に向けてみても、暗くてなづなの表情はうかがえない。


 理由については触れない方がいいだろうと頭の中で結論を出すと、間を置かずして暗闇に声が落ちてくる。


「なづな、いま十六なんだけど。学校は中学が最後だった。親は中学卒業した次の日にどっか行ったし、親戚もいない。たぶん親が親戚いるトコから逃げてきたんだろうなって、なづなは勝手に思ってる」


 十六歳って事はやっぱり年下だったんだ。そんな言葉が出る前に、明かされた過去が私の口を塞いでしまう。感慨もなく、ただ経過した出来事を語るように淡々とした口調でなづなは話を続ける。


「で、そっから一年ちょい。ウチん中にあった金かき集めて、いろいろ”金稼ぐ方法”試しながら生きてたら、こっちの世界に飛ばされてた。……バカキツい毎日だったなぁ、マジで」


 中学を卒業したばかりの、十代なかばの女の子でも出来る仕事。途中、脳裏をよぎりかけた邪推じゃすいにも等しい想像を私は頭から振り払う。かすかに滲む冷たい語気は、なづなの暗い過去を示唆しさするかのようにさえ感じられた。


「……なづな」


 どうしてなづなは、自分の過去を私に打ち明けたんだろう。


 信頼していたから?

 それとも、話の流れで口を滑らせただけ――?


 かける言葉を探すうち、隣で眠っているメロが寝返りを打つ。毛布をかけなおしてまぶたにかかる前髪をどけてあげると、


「別に、なんか慰めが欲しくて喋った訳じゃないから」心を見透かしたような言葉が背にかけられた。「はい次、そっちの番。なんか面白い話して?」

「えぇ……? 話の振り方雑……」

「いいから! じゃあなんでもいいよ」


 面白い話のストックはほぼ無いに等しい。それでも強いて挙げるなら、やはりアイドルだった頃の話だろうか。思いつくまま私は口を動かした。


「……私、三ヶ月くらい前までアイドルやってた。学校帰りにスタジオ行って、ダンスとか歌の練習したり……週末にはライブもしてた」

「ぶはっ……!」唐突になづなが吹き出した。「いや瑠稀っ……! おまっ、意外性のカタマリか? え、メンバー何人? テレビ出た?」

「四人。テレビは出てないけど、動画サイトにチャンネルは持ってた。そこで生配信したり、練習風景の動画とか――」


 やがて話がひと区切りを迎えると、「いや異世界の話だわ」となづなは満足げに感想をこぼした。異世界なら、今の私たちもいるけどね。控えめに微笑みつつそう返せば、ささやかな笑いが薄暗闇の中に木霊こだました。


 不思議な時間だった。


 なりゆきで戦い、一緒に行動した挙句、今はこうして夜を共に過ごしている。

 初対面の時に感じていたひりつくような感じもなく、空間を満たす穏やかさはじき、微睡まどろみとなってまぶたを重くさせる。


「――なづな、不登校でさ。小中あわせて、学校半分くらいしか――で、綺麗にマルが書けるじゃん? でもマル付けする時、それで文――で――メられたり――」





 いったい、いつの間に寝ていたんだろう。


 沈んでいた意識がゆっくりと浮上し、瞼越しに感じる光の感覚、体に触れる温もりの輪郭が徐々に鮮明さを取り戻していく。うっすらと瞼を持ち上げれば、文字通り目と鼻の先にある瞳と視線が重なった。メロだ。メロの顔が、すぐ目の前にある。


「お……はよう、ルキ」


 目が冴えていないせい、だろうか。


 メロは恥ずかしそうに視線を逸らし、そこはかとなく頬を赤らめているように見える。「おはよう、メロ」という挨拶を半分まで言い終えた時、私はその理由に気が付いた。


「あ……待っ、違ッ――!」


 ――小さい頃から、私は何かに抱き着いていないと寝られない体質だった。


 元の世界ではぬいぐるみを抱きながら寝るのが私にとっての普通で、異世界に来てからもそれは変わらない。長めのクッションを代わりにして眠り、翌朝当たり前のように目を覚ます。


 けれど、もし抱きしめるものがなかったらどうなるのか。


 答えは目の前にあった。

 私は隣で眠っていたメロの体を、寝ていたのだ。


「瑠稀殿。その……何と言いますか」

「――だっ、っはははははっ……! いや瑠稀、おまっ、ちょ、マジか……! あれ、スマホどこだっけ?」

「……る、ルキ。そろそろ……」


 自分の顔と体がかあっと熱くなる。シュシュを外して髪をほどき、耐えられなくなった私はその場から逃げるように部屋を飛び出した。


 メロになんて謝ろう。考える間も、体に残る生々しい体温が私を責めていた。

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