第28話 星の踊り場


 ひどい目覚めだったと、冷静さを取り戻してからも思う。


 部屋に戻って事情を説明すれば、メロと葵さんは私の恥じらいをおもんぱかるように頷き、ただひとり、なづなだけはくすくすと湧き上がる笑いをこらえ切れずにいた。最悪だ。なづなが笑うたびに、私は誤魔化すように髪の毛を触ってしまう。


 朝食は美味しかったに違いないが味わっていられる余裕はなく、おそらく気を遣っているのであろうメロから話題を振られるたびに、ちくりと胸が痛む。


 その後、ライモンさんはどこにいるのかと探してみれば昨日、みんなで集まっていた作業部屋でコーヒーを味わっていた。近くのソファではヌリさんが横になり、ブランケットを被りながらすやすやと寝息を立てている。


「やあ。おはよう、みんな」


 ライモンさんに挨拶を返し、私たちは適当な椅子に腰かける。


「昨日の夜、こっそりオレの店に行ってきたよ。いわゆる偵察、ってヤツだね」

「え……? 一人で行ったんですか?」

「ああ。なづなが楽しそうにルキ達の部屋に入っていくのが見えたからね。水を差すのも悪いかと思って」


 一人の方が身軽だし、むしろ都合が良かったよ。気を遣わせまいと添えてくれた言葉に、しかし素直にお礼を返すことは出来なかった。


 決してライモンさんのお店を取り返すという目的を忘れていた訳ではない。それでも協力できなかった事を丁寧にびると、ライモンさんはきょとんとした表情を浮かべ、不意に目元を押さえ始めた。


「……ああすまない、ちょっと感動してね。なづなだったらきちんと謝らないし、お礼だって言わないだろうから」

「……アリガトウゴザイマス。ライモンサマ」

「フッ、冗談だよ。はい、今日の飴」

「ん。はいはほありがと


 これがいつものやり取りなのだろう。棒付き飴を受け取るなり包装紙をはがし、なづなはひょいと口に咥えてしまう。葵さんは髪の毛先を撫でながら、


「して、ライモン殿。偵察した感じはいかがでしたか?」


 脱線しかけた話が戻されるとまず一言、「人気ひとけを感じなかった」という首を傾げたくなる言葉が返ってきた。


「外から様子を伺っただけだけど、もぬけの殻なのか、それとも息を潜めているだけなのか……ちょっと判別がつかなくてね。あまり考えたくは無いけど、何かしら罠を張って待ち構えている可能性もある。だから引き返してきたんだ」

「万一、という事もありますからな。英断だったと思いますぞ」

「でもさ。お店を取り返すには、結局中の様子を確かめなきゃいけないんだよね? そうしないと、なづなとライモンの住むところがない訳だし」


 メロの意見は正しいと言えば正しかった。


 中に入らなければライモンさん達を襲った人――犯人がいるのかも分からず、安全かどうかも不明瞭なまま。それに何より、このまま手をこまねいているだけでは二人のお店を取り返すことは出来ない。


 仮に罠の可能性があるのだとしても、結局は踏み込んで確かめる他ないのかもしれない。それならメロの言う通り――


「私も、行くしかない気がします」「やっぱ、行くしかないんじゃね?」

「「……あ」」


 声の重なりが私となづなの視線を繋ぐ。するとライモンさんは唐突に立ち上がって、


「――なるほど!」勢いあまって椅子が床に倒れた。「うじうじ悩むよりまずは行動あるのみ、という事だね!? 二人とも!」

「や、なづなはただ、考えるのめんどいなって」

「くそっ、オレとした事が頭がカタくなっていたようだ……! だがたしかに、こういう時は直感をアテにするに限る! さあ行こう、みんな――!」


 身支度を整えに部屋へ戻ったのだろうか。

 私たちに有無を言わさずそう告げて、自己解決を果たしたライモンさんは実に軽やかな足取りで作業部屋を出て行った。


「……ライモンさんって、たまにああなの?」

「ちょい思い込み激しいっつうか、感動屋なトコはある」


 けどまあ、と咥えていた棒付き飴を取り出し、


「五対一だし? 数の暴力で行けばまあ、なんとかなるっしょ」


 なづなが答えるその横で、オートマタの男性は黙々と倒れた椅子を立て直していた。


 数の暴力を作戦と呼ぶのはさすがに無理があった。しかし人数的な頼もしさを感じていたのは事実で、推測ばかりを重ねていても状況は好転しない。


 考えるよりも、まずは行動あるのみ。


 手早く出発の準備を整えた私たちは執事風の装いに身を包んだオートマタを見つけ、ヌリさんに宛てたお礼の伝言をお願いする。寝ているところを無理に起こすのはさすがにはばかられた。


 うやうやしく見送りにまで来てくれたオートマタに感謝しつつ、私たちはヌリさんのアトリエを後にする。メロに服の袖を引っ張られたのは、その道すがらだった。


「ルキ、お願いがあるんだけど――」




 体内時計の感覚を信じるのならば、今はお昼前になるだろうか。


 頭上には相も変わらず満天の星空が広がり、日付が変わったのだという認識を月夜の闇が曖昧にしてしまう。大通り沿いに進んで小道に入り、角を何度か曲がると目的地にたどり着いた。


 骨董こっとうカフェ、『星の踊り場』。

 ライモンさんとなづなが経営し、住んでいたお店だ。


 お店の看板はイルミネーションをイメージした装飾で飾り付けられ、丸みを帯びた可愛らしいデザインの星や月が散りばめられている。しかし今はそのどれもに輝きが宿っておらず、電光を失った装飾たちがもの寂しげな雰囲気を漂わせていた。


「魔力を通してるハズもない、か……当たり前だろうけど」


 不満と腹立たしさの入り混じった言葉が耳を震わせる。窓ガラスから覗く店内は薄暗く、あらかじめ聞いていた通り人の気配は感じられない。


 けれどこの中に、ライモンさん達を襲った犯人がいるかもしれない。


 おそるおそる足を踏み入れると、足元のちりほこりが宙を舞う。剥がれた内装の壁紙や家具がそこら中に散乱し、壁には引っ掻き傷のような痕跡がいくつもつけられている。見たことはないが、獣の爪痕のように荒々しい。


「――けほっ、けほっ……」


 ふと隣を歩いていたメロが軽く咳き込む。


「メロ、大丈夫?」

「うう……メロ、埃っぽいところ嫌ぁい……!」

「すまないメロ。取り返したらまずは掃除だな……やれやれ、こいつは気が重――」

「――すいませぇーん! お邪魔してまぁーす!!」


 なづなはここを友達の家か何かだと勘違いしているのだろうか。

 無論そんなはずはないのだけれど、すぅっと息を吸い込んだのも束の間、ひどく緊張感に欠ける声が空間に木霊こだました。


「っ……! なづな、声大きい……!」

「え? ああ、ごめん」なづなは棒付き飴を咥えなおし、「でもほら、シオンさんに穏便にって言われてるからさ。相手が出てこないと話し合いとかできんし……っ?」


 ――ごとり、どさり。


 かすかに聞こえた物音が不意に話を途切れさせる。重々しくも紙のような質感を伴った、厚めの本が床に落ちた時のような音。くぐもったその音に耳を澄ました時、ほどなくして三つ目の音が鼓膜を揺さぶった。


「――――ぁっはっ!?」

曲者くせものっ!」

「ビンゴ……! 奥の読書スペースからだ!」


 犯人が、近くにいる。

 そう思うだけで緊張感はピークにまで高まった。


 葵さんとライモンさんが先陣を切り、二人の後を追うようにして通路を駆け抜ける。距離はさほどでもなく、すぐに本や本棚、椅子にテーブルまでが乱雑に散らかった広々とした空間にたどり着く。


 さらに奥の通路へと駆けていく人の姿を、私たちは見逃さなかった。


「――俺を”守れ”ぇっ! ”お前ら”ぁっ!」


 短く切りそろえられた金髪の後ろ姿に、男性特有の低い声。はたしてその叫びは誰に向けたものなのだろうと思案した刹那、呼び声の相手は突如、姿を現した。


「……あれって……!」


 中空に浮かぶ、灰色の、いくつもの泥のような塊。それらが粘土のように形を変え、人に近い輪郭を成していく過程には見覚えがあった。


 魔物だ。


 ちぎれたページや木片を踏みつけて降り立ち、しかしその外見は私が知る魔物の姿と多少異なっている。首にはそれぞれ色の違うボロボロのマフラーが巻かれ、形成した魔力の剣や槍、斧などを見せつけるようにポーズを決めている。さらに、


「……どういうセンスなんだ。アレは……!?」


 おおむね同意見だったものの、よりにもよってと言うべきか。


 神妙な面持ちで突っ込みを入れたのは、『推ッス!』とプリントされた誰よりも奇抜なシャツに身を包んだライモンさんだった。

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