第26話 遥か忘却のオートマタ
「――あ、ああああのっ私っ、親でっ、子供、がッ、その子で、怪しいものじゃないんです本当に本当にすいませんただちょっと声掛けられたらなぁ~ぐらいに思っててただけでゲェホッ――」
今日はおかしな人によく合う日なのかもしれない。
好き放題に伸び生やされた
この女の人がメロに視線を送っていた張本人……なのだろうか。
葵さんの提案で二手に分かれ、挟み込むようにして女の人に近付いたものの、今となってはそこまでする必要もなかったように思える。
「ライモンさん。確認なんですけど、この人がお店を盗った――」
「いいや、違うね」「いや違う」
「……そうですよね」
なづなまでが声を揃え、私は垂れ下がった横髪を耳の上にかけなおす。
危害を加えてくるような素振りはなく、先ほどからずっと身振り手振りを交えて弁明らしき言葉を並べ立てている。正直に言えば拍子抜けの感が勝っていた。
手を繋いだままメロと顔を見合わせていると、
「あ、あの……本当なんですよ……私が、その子の親だって話」
落ち着きを取り戻したのか魚のように泳ぎまわっていた瞳は静まり、早口気味だった口調もゆるやかなものになる。絆創膏の貼られた手指の先にいたのは、
「……えっ、ええっ? メロぉ!?」
女の人は無言、かつ素早く首を縦に振り続ける。まるでヘッドバンギングのような動作に、なづなは笑いを
常に夜空が広がっている為、この街では時間帯の変化が非常に把握しづらい。
ゆえにメロに視線を送っていた女の人――ヌリさんに指摘されるまで、既に夕方を迎えていた事に気付けなかった。深海のように暗く、薄く紫がかった空を見て夕方だと認識できる人間はまずいないだろう。
じき夜を迎えようかというタイミングになれば当然、どこか泊まれる所を探す必要がある。
仕方ない、今日のところは宿で一拍するとしよう。やむなしといった様子でライモンさんが切り出した時、視界の端でおずおずと手が挙げられた。
「あっ――!? あのっ! 良かったら、私のアトリエに泊まりませんか……? お部屋も余裕、ありますし……」
「アトリエと言いますと、あのアトリエですか? 画家などが使われる……?」
葵さんが問いかけ、
「ふふへっ……私のはまあ、オートマタを作る為のアトリエですけど」
結論から言えば、ヌリさんはただの不審者ではなかった。
広場一帯から離れるように歩くときらびやかな街の装飾は鳴りを潜め、古書堂や骨董品店が立ち並ぶ、モダンクラシカルな雰囲気が漂う通りに差し掛かる。
その景観に溶け込むよう佇んでいる館こそが、ヌリさんのアトリエだった。
「……壮観だねえ、こいつは」片目を閉じ、ライモンさんは語気に感心の色を滲ませる。「壁際やケースに飾られてる模型、全部オートマタか。服装も凝ってる」
「いや、若干怖くね? こう、ずらっと並べられてると」
ライモンさんの言葉と同じくらい、私にはなづなの気持ちが理解できた。
肉感的な肌の質感に、一本一本、繊細さが感じられる髪の毛の作り。
執事風の装いに身を包んだ見目麗しい男性――ヌリさんによればこの人もオートマタらしい――に案内されるまま、私たちは別室へと足を運ぶ。
「――お待たせしました。ではお嬢様、私はお茶の準備をして参ります。他の者には部屋の用意をさせてきますので」
日頃耳にしない呼び方をされていたのはヌリさんだった。
素材の違う布生地に型紙、工具類、見た事のない形をした機械部品。察するにここは作業部屋なのだろう。
口元をふにゃふにゃに緩ませたヌリさんが私たちの視線に気付き、
「あっ!? す、すみません! お部屋の準備を待つ間、少しお話でも……どう、ですかね」
散らかってますけど、どうぞ好きな所に。促されるまま適当な椅子に腰かけ、私たちは大きなテーブルの傍に着く。
さて何を話そうかと考えた時、意外にも話題選びには迷わなかった。
「あの、ひとつ聞いても良いですか」
私と目が合った瞬間、ヌリさんはさっと横に視線をずらす。
「……ヌリさんの身分は分かったんですけど、本当にメロの親なんですか? メロもいまいち、ピンときてないみたいだから気になってて……」
ここに来るまでの道中、メロはずっと難しそうな表情を浮かべたまま考え込んでいた。戸惑いというより、何かを思い出そうとしているようだったので声はかけなかったけれど、親を前にした時の反応としては違和感が強かった。
ヌリさんと会った時も妙によそよそしく、まるで初対面の人に対するような――
「あがががががっ……それはそのですね――」
「……えっと、ごめんヌリ」メロの声が故障した機械のような声を
「む……? 覚えていない、ではなくですか?」
引っかかりのある言い回しに葵さんが食いつくと、執事風の装いに身を包んだオートマタが紅茶を運んでくる。それぞれの手前にティーカップが置かれると、
「……記憶が無い……そっか、記憶に使う魔石の安定化がまだ……駆け出しのころだったもんなぁ私。でも根本的な原因は……」
「ヌリ殿?」
「え? うああすみません……! いい一号! じゃあ今覚えてる、一番古い記憶って何かな?」
やや困惑した表情を浮かべながらメロはゆっくりと話し始めた。
もっとも古い記憶は二年前、誰にも使われていない古びた屋敷の中で眠っていた時の記憶。それ以前の記憶をさかのぼろうとしても、まるで
メロが持っている二年の記憶と四年の空白を足せば年齢と同じ、ちょうど六年という数字になる。けれどそんな事は、示された事実に比べれば実に
「……記憶喪失だったんだ、メロ」
「夢にも思いませんでしたな。普段から天真爛漫そのものでしたから」
葵さんのもらした言葉はそのまま私の思っていた事だった。気がかりな点はもうひとつ存在する。
「あれ? ってかさ、なんでメロはヌリパイセンと離れてたわけ?」
「…………六年前、一号が私の前から消えてしまったからです」
「消えた、って……?」
白くか細い指先が、凝った
表紙に目を向ければオートマタに関連する書籍である事が伺え、その下にある本は服飾、メイク――一番下にあるのはオートマタの図面、だろうか。
紅茶を口にしてひと息つくと、ヌリさんは深みのある橙色の水面に視線を落とす。
「一号は私が初めて作ったオートマタで、世界にも芸術として認められた、初めてのオートマタなんです。方々の美術館から展示の招待があって、この街での展示を終えた次の日。美術館で保管されていた一号が、突然いなくなったと連絡を受けました」
「盗まれた……という事かい?」
ライモンさんの言葉に静かに首を横に振り、
「いいえ。何度も現場を確認しましたが、盗難の痕跡は見当たりませんでした。……正直、ショックでしたね。私が生まれる前の
本の上にあった指先が図面に落ち、図面をなぞっていた指先がむなしく空を切る。絆創膏の貼られた手指はともすれば痛ましく、同時にヌリさんが積み重ねてきた努力の証でもあったのだと知る。
もしかしたらヌリさんは、自分の心身を削ってまでオートマタの事に没頭しているのかもしれない。
考えすぎだという思いが浮かびかけるも、目の下のクマと手入れのされていないぼさぼさの髪――それに
「――ってやばい!! 何語ってんだ私!?」
ここをライブ会場か何かだと勘違いしているのでは。思わずそう疑ってしまうくらい大きな声を上げ、ヌリさんは吸い込むようにして紅茶を飲み干した。
ある種のパフォーマンスのようにさえ見える行動に目を丸くしていると、今度は誤魔化すような笑みを浮かべ、
「いやぁ、私ってこんなじゃないですか? 作ってる奴はこんなだけど、私が作るものなら綺麗に出来るんだって、オートマタに夢見ちゃってるんですよねぇ――まあそのおかげで頑張れてきたところもあるんですけど。っはは、あはっ――」
ほどなくしてドアが開いたかと思うと、先ほどの執事風オートマタとは髪型や顔立ちが異なる、男性オートマタが声をかけてきた。
どうやら部屋と食事の準備が整ったらしく、その事を伝えに来たらしい。
この街に来てから狂いかけの体内時計も、ご飯時ともなればおよそ正確に時刻を告げていた。
「あ……! 一号はメンテナンスしたいから残ってもらっていい? すぐ終わるから!」
みんながそれぞれの部屋に案内される中、メロは椅子に座ったままでいる。閉口したまま、しかしその面持ちにはどこか真剣さが滲んでいるような気がした。
「……メロ? ヌリさん、呼んでるよ?」
「あ……ごめん。ちょっと考え事してて」と言いながらメロは笑みを作り、「夕ご飯、一緒に食べたいんだけど……いい?」
待たせてしまう事への申し訳なさを、私は優しく笑い飛ばしてあげる。
「うん。部屋で待ってるから、後で一緒に。ね?」
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