第24話 躾


 カフェへと向かう道すがら、私は驚いていた。シオンさんに叱られる前と後とで、なづなの態度がいくらか軟化していたからだ。


 感情的になる事もなく会話が成立し、声を小さくして喋る姿はまるで借りてきた猫のようにおとなしい。ただ、それはそれとして違和感が強く作用していたのも事実だった。気性の荒さを先に見ていた分、ギャップはどうしても大きくなる。


「……なづな殿。もう敬語は取り払ってもよいのでは?」

「まじすか! うはっ、あざっす葵パイセン! やさしっすね!」


 ぱ、パイセン――?と目を丸くする葵さんを見て、私は小さく微笑んだ。


 カフェに戻った私たちを迎えてくれたのは焼き上がったパンケーキの匂いだった。ミルクとバターの香りにシオンさんは頬を緩ませ、メロのいつもの笑顔に私たちは安心してただいまを返す。


 店内にお客さんはいないが、お昼過ぎという時間帯を考えればそう珍しい事でもない。


 私はなづなとライモンさんから注文をうけたまわり、自分たちの飲み物も用意する為にメロと厨房へ入る。注文を運ぶためにホールと厨房を何度か往復した後、私はなずなが座る対面の席に腰かけた。


「……よかった。もう落ち着いたみたいで」

「へへ、ひっでえ目にあったけどな。ええと……」


 言わんとしている事はたぶん、私の名前だろう。口の端にパンケーキのベリーソースとクリームをつけて思案するなづなの顔は少しだけ滑稽こっけいに見える。


「……瑠稀でいいよ。そっちはなづな、でしょ?」

「あぁ、うん。さんきゅ。で、ライモン」

「わかってる」会話のパスを受け取ると、ライモンさんは果物のジュースを口にする。「オレ達にも少し、込み入った事情があってね。そのあたりの事を話せたらと思うんだけど……いいかな?」


 代表して葵さんがうなずき返し、そこから始まる話に私たちはしばし耳を傾けた。


 ライモンさん達が抱えている、事情の話に。




「――店内で突然暴れ出した男性に経営していた店を奪われ、住む場所がなくなった……ですと?」


 語り出しは物々しい結論からだった。穏やかな空気に亀裂が入り、動揺の波紋がかすかに広がり始めると、ライモンさんは事の顛末てんまつに触れ始める。


「そう、それでオレ達はこの街に流れ着いてきた。今のところその日暮らしが続いてるけど……何日もこんな生活を続けてたら、懐の余裕もなくなるだろう? じゃあどうするかって、店を奪ったソイツを追い払うしかないワケでさ」

「なづな達は力貸してくれそうで、腕が立つヤツを探してたの。動画に撮ってた、ジャケットの人みたいなね」

「じゃあ……なづなは半美さんその人のこと聞きたくて、私に?」


 問いかけに「そ」とだけ返事が返されると、納得と同時に苦笑いがこぼれてしまう。


「……いきなり盗撮したみたいな動画見せられたから、かなり警戒してた。疑った私も悪かったけど」


 勝手ながら、なづなの態度にどこか無神経なものを感じていた自分にも非はあるのだろう。それでもやはり、先に事情を説明してほしかったという気持ちは偽れない。順番さえ間違っていなければ、少なくとも戦いにまで発展する事はなかったはずだ。


 とはいえ、それも今となっては後の祭りだった。


 お互い過ちを犯したことは自覚していたので、この件に関しては素直に謝る事で水に流した。具体的な説明は省きつつ、半美さんに頼る事はできないという点も添えておく。


「店舗の横領は、当然ながら犯罪行為です」


 口を開いたのはメロ特製のパンケーキを綺麗に平らげ、同じくメロがれてくれた桃の紅茶に舌鼓したつづみを打つシオンさんだった。


「なのにそれを知った上で……あるいはやったのでしょうか。だとするとその方は」

「……転移者」


 ぽつりと落ちてきたサジの呟きに柔和な笑みが返される。


「ふふ。可能性がある、というだけの話ですが……どうですか、なづなさん?」

「アッ――いやマジでその通りだと思いますシオンさん。なんかやばい力使ってたし、あれ絶対スキルっすよ。様子もおかしかったんで、ハイ」

「なづな……」


 これもシオンさんがしかった賜物、なのだろうか。


 端々の言葉遣いはともかく、口ぶりはえらく丁寧なものに変わっている。道中のなづなは借りてきた猫のようにおとなしかったけれど、今度は一転、しつけが行き届いたペットのような印象だ。目には見えない、確立された上下関係の上で成り立つやりとりがそこにあった。


 お金か、生活に困っていたのか。

 それとも単に常識が欠如しているだけの人間だったのか。


 想像を巡らせるたびに疑問がつのり、ただ確かなのは、その人がライモンさん達を困らせているという現実だった。ライモンさんが首筋に手を添え、ぐるりと首を回してこちらを見る。何か言いたげな様子である事は面持ちを伺えばすぐに分かった。


「さっきなづなが言ってたけど、オレ達は腕の立つ人間を探している」

「はい。……っていうか、もしかして――」

「ルキ。さっきの戦い、実に見事だった。よかったらオレ達に力を貸してほしいんだけど……どうかな?」


 話の途中から何を言おうとしているのか察しがついてしまっていた。それに元の世界であれば文言もんごん共々、こんな頼み事をされる事はまずないだろう。


 にも関わらず大して驚きの感情を抱かなかったのは、この世界に馴染んできたという証拠なのかもしれない。良し悪しはさておき、やや複雑な気持ちではある。


 戦いぶりを褒められた事は――正直、特になんとも思わない。けれど、純粋に二人の力になりたいという気持ちはあった。事情を知った今ならなおさらだ。


「あの、葵さん。メロにサジもなんだけど」私は三人の顔をそれぞれ一瞥いちべつして、「私は力になれればって思ってるんだけど……みんなはどう?」


 カフェですべき事や生活を考えれば、私一人の裁量で決める事はできない。三人に意見を仰ぎ、妥協できる点を探す。現実的な考えに従って問いかけると、すぐに開口したのは葵さんだった。


「ワイはアリだと思います。それと可能であれば、ワイも同行願いたく……なづな殿にも懐かれましたし、ここはワイが最後まで面倒を見るべきかと」


 葵さんのすぐ隣からお礼の声が飛んできて、


「メロも賛成、ついてきたい! 要はその悪い人をやっつければいいんでしょ?」


 無鉄砲な提案にライモンさんの顔色を伺うと、笑みをたたえた頷きが返される。人手があればそれだけありがたい。こころよく同行を願い出てくれた二人に感謝しつつ、しかしそうなるとカフェに残るのがサジ一人になってしまう。


 どちらかは残った方が良いのでは。考えている事を察してか、サジが先んじて口を開いた。


「人手にアテがあるから、おれの方は平気。瑠稀さん達はそっちの二人を助けてあげて」


 気を遣っているわけではなさそうだった。


 念のためサジの言う”人のアテ”をメロと葵さんに尋ねてみると、どうやらその人は三人ともに面識があるらしかった。よくお世話になってるし、任せていいと思うよ。メロの言葉に背中を押され、いよいよ方針は固まった。


 ライモンさん達が住んでいた街に向かい、お店を取り戻す。目的は単純そのものだが、争い事はおそらく避けられない。


 すぐ街へ向かう事に決めた私たちは手早く身支度と準備を済ませ、


「なづなさん」


 カフェを出る間際、シオンさんの声になづなの姿勢が面白いように直立する。


「もしお店を盗った方とお会いしても、丁寧に、穏便に事を済ませようという気持ちを忘れないでください。最初はこころみるぐらいでいいですから」

「あいッ! 気を付けぁす!」

「……完全に舎弟しゃていですな」


 葵さんの的確な比喩ひゆをきっかけに、私たちは小さく笑い合った。

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