第23話 八つ当たり《後編》


 攻勢に転じつつ相手をかく乱し、必殺の一撃を叩きこむ。

 意表は突いた。意識を研ぎ澄ませた分、威力も申し分ない。鋭きいわおの切っ先は矢の如く宙を駆け、雷の城塞を貫かんと牙を剥く。しかし、


「あっ――ぶねえなぁ、オイ!」


 それを成し遂げたのは意地か、気迫か。弾丸が雷壁に着弾した直後、なづなはピラミッドを横に回転させ、その軌道を強引に、かつ力づくで逸らしてしまった。


 三角錐という形状だからこそ成せる業だろう、余裕はなかったが喉元過ぎればなんとやら。危機を乗り切ったという自負と、まっさらな稲妻越しに見える彼方かなたの動揺がなづなにたけりを上げさせた。


「うぉらあああああっ!!」


 雷壁が地を削り、砂塵を巻き上げ瑠稀へと迫る。まるで土砂や瓦礫を力任せに押し流す、ブルドーザーのようだ。面の圧力は相対するだけで戦慄せんりつに値し、勢いを押しとどめんと放たれる点の魔力では全く歯が立たない。


 生半可な魔法では意味がない。

 かといって先のような強力な一撃は放つまでに時間がかかる。思考できる余裕は刻一刻と、轢断れきだんするような音に削り取られていく。


「……『リベンジャー』」


 内に堆積する焦りと不安を丸ごと掃き出すかのように、瑠稀は大きく息を吐く。イメージと呼べるほど具体的なものはない。やるべき事はごく単純だった。


 足を踏みしめ、魔力を己の手に纏わせる。そして眼前にまで迫った電撃のピラミッド、稲妻ほとばしるその壁面を、


「ッ――!!」


 真っ向、正面から受け止める――!


「力、強すぎなんだけど……! 靴底っ、絶対すり減ってるし……!」

「いいッ加減ッ、潰れろよお前っ!」


 地面を踏みしめるたびに瑠稀の履いているブーツがガリガリと悲鳴を上げる。気がかりではあったが、デリケートさに気を払えるような状況にない事は他ならぬ瑠稀自身が理解していた。


 拮抗していた力は徐々になづなに傾き始め、


「潰れろ潰れろって……じゃあ」


 踏みしめていた足が、地面から力強く離陸した瞬間だった。


ピラミッドそれ、踏み潰すからっ!」

「なっ――ぇっ!?」


 頭上からほとばしる衝撃がなづなを襲う。

 瑠稀は雷壁に手をつき、前方宙返りをするように前回りに跳躍。さらに両足へ魔力を纏わせ、ピラミッドの頂点を思い切り踏みつけたのだ。


 受け止めた力を蓄積し、溜まったエネルギーを反撃に転化する。『リベンジャー』スタイルがもつ特性の前に例外はない。


 まるでくさびを打つような格好で地面にめり込んだピラミッドを見れば、その威力は十分にうかがい知ることが出来るだろう。動かせず、持ち上げる事もままならない。こうなってはもはやガラクタ同然だが、


「痛ってぇだろボケカス! ”矢印”、ブレイド!」


 その切っ先はガラクタの内より、直上にいる瑠稀目掛けて突きでた。


「うっ……!?」身を反らして瑠稀は刃を避け、「なんでもありじゃん、そのスキル……! 言葉遣い汚いし!」


 赤い正円、立方体の弾丸、球状の爆弾、三角錐ピラミッドの防壁――そして矢印部分を伸長し、楔型の刀身を備えたこの剣も。なづなのスキルによる産物と見て間違いない。


 おそらくは図形や記号を形成したり、魔法の属性を与えて自由に扱う事が出来る能力と見て間違いないだろう。その汎用性・応用性の高さは瑠稀が身をもって理解している。だが、だからといって退く気はない。


「どんだけっ! 弾きパリィッ! する気だオイ!」

「……よく舌噛まないね、それだけ喋って……!」


 鋼のように硬く、強く。刃が手足に振れる瞬間、纏わせた魔力を一瞬だけ強めて硬化こうかする。ふとりきんだ瞬間にとった思い付きに近い行動だが、その結果は見事、遮二無二しゃにむにに襲い来る刃を捌けるまでの効果を生んでいた。


 見誤れば窮地に陥るだろう。


 だが、たとえ刃を持たずとも、己のスキルとたぐいまれな直感力を頼りに瑠稀は互角に鍔迫り合う。甲高く響く斬撃音が緊張を煽り、火花と化して散る魔力が瑠稀の鼓動を早くさせる。


「これで、ぶった斬れろっ!」「いい加減終わらせる……!」


 跳躍し、剣を振り下ろさんと柄を握るなづなと。

 刃ごと戦意を叩き折らんと構える、瑠稀の視線が交差した刹那、


「――お疲れ様、なづな」

「だいぶヒートアップされていたようですな。瑠稀殿」


 杖が刃を受け止め、懐に飛び込んだ影がか細い腕を掴む。

 三分経過――勝負は不意に、終わりの時を迎えたのだった。





 いつの間に時間が経っていたんだろう。


 戦っている最中は時の流れを把握できず、葵さんに止められてようやく時計の針が動き出す。風が、熱を帯びた体を冷ましていく。


 目の前にいるその子――いや、もうなづなと呼ぶことにしよう。


 なづなは口角泡こうかくほうを飛ばしながら「あと三分延長」と繰り返しせがみ、声の先にいるライモンさんは手で壁を作りながらその様子をなだめている。まるで聞き分けのない子に接する親のようだ。見ていると微笑ましさより、苦労をしのぶ気持ちの方が勝ってしまう。


 この子、どうしましょうか。それとなく葵さんに意見を求めると、こつ、こつと、ハイヒールのような高めの足音が近付いてきた。


「――おや。荒れていますね、随分と」


 清らかな鈴のような声。物腰の柔らかさを感じさせる丁寧な口調。振り返った時、規則正しい足音は整った歩行姿勢から奏でられていたのだと知る。


 黒を基調とした着物姿の装いが日光に照らされ、栗色の長髪がしとやかに靡く。私の、知っている人だった。


「シオンさん……? どうして、ここに?」

「こんにちは。瑠稀さん」小さく会釈すると肩にかかる髪を後ろに流し、「建物――ああ、今私たちがいる空き家の事です――の様子を見ておきたかったので、葵さんについてきてしまいました。ちょうどお昼休みと重なったので、ついでに、と」


 状態にほぼ変わりなし。屋上に抉られたような傷が何点か有り。百五十七日前には見られなかった傷ですが――独り言に割り込むのもどうかと思いつつ、私は素直に白状する。


「えっと……ごめんなさい。そこの傷はこの子――なづなと戦ってた時につけちゃって、本当にすみません」


 私だけに非があるとは思えなかったけれど、それでも傷をつけてしまったのは事実だ。謝って済むのだろうか。ともすれば、弁償する必要があるのでは。


 不安がっているとシオンさんは可愛らしく小首を傾げ、


「あら……? ふふ、大丈夫ですよ。これぐらいの傷は問題ありません。ですが……」


 うっすらと、妖艶に細められた目がなづなを流し見る。


「あまり気持ちのいい行いではありませんね。”それはしまって頂いても”?」

「げっ……! ――は、ああ……! おいっ!?」


 問いかけというより、シオンさんの言葉には命令に近い圧が込められていた。いや、圧と言うのもまた違う気がする。


 耳にすれば脳が直接揺さぶられるような感覚があり、声を向けられたなづなに至ってはまるで目に見えない、何かに強制されるかのように取り出したスマホをしまいこんでしまった。


 おおかたシオンさんの物珍しさに負けて一部始終を撮影しようと企んでいたのだろう。それ自体は考えるまでもない理由だが、魚の小骨のようにつっかえていた疑問が解消されたのはすぐの事だった。


「驚かせてしまいすみません。ただ私……声に魔力が乗ってしまうようで」

「はあ? だからなんだよゴシック女!」

「こんな事も出来るんですよ――」


 ぴんと立てた人差し指を唇の前にもっていくと、静かに、細く、シオンさんは息を吐きだした。”静かにしてください”。ジェスチャーを見れば込められた意図は明らかで、べらべらと口を動かしていたなづなの唇が一文字に結ばれてしまう。


 その有様を見るだけで、私にはシオンさんの持つ力の強さが十二分に伝わってきた。声に魔力を乗せられるという事はつまり――


「申し遅れましたが私はシオン。”あなたのお名前は”? ”敬語で”、かつ”丁寧にお願いします”」

「……紅白べにしろ、なづなです。シオンっ、さ、んっ……!」


 なづなの受け答えはこの上なく丁寧で、かつ従順なものだった。かすかに窺える抵抗の痕跡はいっそ健気ですらあり、しかし結局は素直にいう事を聞いている――いや、


 言葉遣いは丁寧な方が余計なトラブルを避けられます。人に謝る時は”ごめんなさい”か”すみません”、目上の人なら後者が最適。スマホそれ無闇矢鱈むやみやたらに人に向けてはいけません。”約束、できますか”――?


 清らかな声のまま、やはり形容しがたい力を伴って常識的な行いがかれてゆく。屈辱か、あるいは恐怖の潤いがなずなの目尻に滲み始める。


「あ、あのシオンさん……!」声を上げると、きょとんとした様子の視線が向けられた。「きっともう、なづなも反省してると思いますし。その辺でいいんじゃないかな、って……」

「それにシオン殿、もたもたしていると昼休みが終わってしまうのでは? カフェではメロ殿がパンケーキを焼いている頃でしょうし!」


 葵さんが咄嗟に出してくれた助け舟が功を奏した。


「……いけません、そうでした。メロちゃんを待たせるわけにはいきません」

「へあっ……?」

「ごめんなさい、なづなさん。でも、今教えた事は守って頂けたら嬉しいです」


 飴と鞭と言えば聞こえはいいのかもしれない。


 けれど先ほどまで詰められていた相手に途端に優しくされるという光景は、若干バイオレンスに感じられて思わず苦笑いがこぼれてしまう。現になづなは感情が追い付かず、絶妙に気の抜けた表情と返事を返していた。


「……あの、ライモンさん達も一緒にどうですか? とんぼ返りになっちゃいますけど」

「フッ。そうしてもらえると助かるよ、ルキ」


 なんともいえない空気のまま解散すれば後味の悪さは拭えないだろう。涙をこらえるなづなを見かねて、私たちは再びカフェへと戻る。


 シオンさんの足取りは、心なしか弾んでいた気がした。

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