第22話 八つ当たり《前編》


 水を差されたような気分だった。


 この子が何の為に動画を撮ったのかもどうでもよくて、私はただ胸に渦巻く嫌悪感と、思い出を汚されることに抗いたくてその子の瞳をじっと見る。焦げ茶色の瞳にはふつふつと、仄暗ほのぐらいい敵意がみなぎり始めていた。


「はあ……? いや、なにそれ」


 鼻で笑いをこぼしつつ、しかしそれが起爆剤になったのだろう。


「なづな質問しただけじゃん。なのにその態度とかありえなくね? なあ? おい、答えろしお前ぇっ――!」


 まるでヒステリックでも起こしたかのように声を荒げ、店内にいた数人のお客さんがぎょっとこちらを見る。しまった、と思った。お客さんにはもちろんの事、ここで騒ぎを起こせば葵さん達にも迷惑が掛かってしまう。しかし自分の浅はかさに気付いても、吐き出した言葉は取り消せない。


「その動画に映ってるのは私だから……! でもごめん、ちょっと落ち着いて!」

「なづな」ライモンさんがのんびりと紅茶をすすり、「オレ、注目されるのは好きだけど、悪目立ちはしたくないなぁ。ほら、他の人こっち見てるよ?」

「ライモンうっさい! 黙ってて!! こいつ店員のクセにふぁがっ――!?」


 どうやって収拾を付けようか、焦りが思考を急かした瞬間だった。


 呆れたように息をこぼしたライモンさんは懐から二本の棒付き飴を取り出し、包み紙をはがして即座に女の子の口に差し込んだ。一連の動作は早業はやわざかと見紛うほど素早く、


「どうどう、なづな。落ち着くんだ。糖分が足りてないから、そうやってすぐに感情が爆発する。冷静に、冷静に」

ずぁえんあざけんな! あじゅああへいへえなづなは冷静ッ!!」


 何を主張しているのかはそれとなく分かったけれど、少なくとも冷静さを欠いているのは誰の目にも明らかだった。


 それでもライモンさんの言葉通り、糖分が脳に行き渡ったおかげだろうか。大きく息を吐きだすとその子はカフェオレを飲み干し、濡れた子犬がそうするように頭を振るわせ、手櫛で髪を整える。


「……予定変更すっか」きつく目元を細めながらが私を見る。「お前、今からなづなと勝負して。してっつーかしろ、従えなづなに」


 やることなす事、何もかもが唐突で思わず顔をしかめてしまう。


「……ごめん。全然、意味わかんないんだけど」

「三分でいいから。それならスグでしょ? こっから近いトコでやるし、拒否ったらまた騒ぐ」


 こちらの心情を知ってか知らずか、念押しするように言葉を添えられた。どう考えても無茶苦茶で意味不明な提案で、けれど断って迷惑を掛けるのも避けたかった。


 それに私も、落ち着いて受け答えが出来ていれば――考えていてもらちが明かない。


「ちょっと、相談してきます。いきなり抜けると迷惑かかるんで」

「はよ行けぇー!」

「…………恥ずかしいんだけど」


 背にかかる怒声を、私はぼそりと悪態をついて受け流した。





 カフェ『サジメロアオイ』からほど近い建物の屋上に三つの影が立つ。


 瑠稀となづなは向かい合い、ライモンはさびれた雰囲気を漂わせるベンチに腰かけて二人を見守っている。手出し無用となづなから直々に告げられての事だ。ライモンにとって断る理由はなく、介入すべき理由もない。


 あの後、瑠稀は葵に事情を話したうえでなづな達に同行していた。


 カフェを抜けるのはさすがに難色を示されるのではと懸念していたが、相談の最中、メロとサジが帰ってきたのなら話は変わってくる。


『――であるならば、ワイが三分後に迎えに行きましょう。他の方々に配慮して頂けるのは嬉しいですが……瑠稀殿はそれでよろしいのですな?』


 己の非を認めていたからこそ、瑠稀は首を縦に振った。


 戦う時間は三分。建物内に人がいない事はなづなとライモンの二人が確認済み。時間が来たらライモンが終了の合図を出す――確認事項を事務的にライモンが述べると、いよいよ場に緊張感が漂い始める。


「やっぱお前だったのか。動画の、見送ってた方の奴」

「……見ればわかるでしょ。っていうか、それさっき言ったし」


 髪をほどいた姿を見れば、なづなが疑う余地はなかった。動画で見たのと同じ――いや、動画よりも美しく艶やかな黒髪が風に揺られてその存在感を主張する。己の最たる魅力のひとつともいえるその髪を、瑠稀は気だるげに背中へ払う。


 なづなにとって瑠稀に戦いを挑んだ理由は、大きく二つ。


 ひとつはある目的を果たすに足る存在かどうかを見極める為。もうひとつは――


「それじゃあ……始めようか」


 ぞんざいに扱われた事に対する――単なる八つ当たりだ!


「ぜってぇ潰す! 雷光飛槍ライトジャベリン!」

「『ハンター』……っ! 疾風剣フローブレイド!」


 かざした腕を銃口になぞらえ、なづなの背後から次々に雷槍が形成されては撃ち出されていく。速度も物量もなかなかのものだが、機動力に長けたスタイルに切り替えた瑠稀を捉えることは出来ない。


 舞うようにステップを刻んでは身をひるがえし、軽やかかつ流麗な太刀筋が雷光を逸らす。如何いかなるタイミングで反撃に転じるか、機を伺うように立ち回る瑠稀とは対照的に、なづなは早くも勝負を動かす一手を打った。


「――”まる”」


 右手で雷槍を放ちつつ、宙に滑らせた左手指が正円を描く。すると瑠稀となづなを結ぶ中間地点の中空に、突如として赤い円が形成される。これで”狙い”は定まった。


「そこだ……! 火炎弾丸フレイムバレット!」


 円の中心目掛けて放たれた弾丸はそれをくぐり抜けた直後、気流の流れに乗って加速する鳥のように、を得て瑠稀の下へと飛翔した。


「いや何それ……っ!?」


 先の雷槍ならまだしも、目の前に迫る弾丸の速さはその比ではない。


 立ち止まれば、射貫かれる。


 驚きの表情を浮かべたのも束の間、直感のまま瑠稀は踏み出そうとした足をそのまま回避に利用する。力のベクトルを正面から側面に切り替え、体をひねりながら横へと跳躍するように。咄嗟の判断が功を奏したか、弾丸はすんでのところで瑠稀の横を通過した。


「避けんなコラァっ! ”まる”、からの立方体キューブ!」


 しかし、なづなの攻め手が緩むことはない。


 眼前により大きな正円を描いたなづなは手をかざし、そこから立方体の弾丸を無数に射出する。ある弾丸はまっすぐに、またある弾丸はボールのように跳ねながら瑠稀へと殺到する。


 片方だけならまだしも、それらが一度に押し寄せれば回避するのは至難の業だ。右、左と切り払い、瑠稀は冷静に弾の軌道を見極める。


「クソ、すばしっこい……慣れてんのかアイツ!」

「――ねえ!」


 鋭い斬撃音が響く中、瑠稀の声がなづなの耳を揺さぶった。


「今の絶対っ、当てる気で撃ったでしょ!」

「ああ? ったり前だろ、最初っからそのつもりなんだからさぁっ!」

「……なんなのあの子……!」


 なづなの苛立ちは、しかし同時に瑠稀の応手が正確であることを証明していた。立ち止まりつつも、決して一所ひとところにはとどまらない。弾丸を切り裂いては隙間を作り、一歩、また一歩と着実に距離を詰めていく。


 残り数メートル、立方体の雨あられという障害物競走の果てに瑠稀の刃は今まさに届かんとしていたが――


「ヘッ――球体スフィア!」


 この瞬間を待ちわびたかのような笑みに、なづなの口角が吊り上がる。


 数多の立方体を生成していた正円に奥行きを持たせ、そのまま球状に成形。全面闇のような漆黒で覆われた外見はさながら不発弾のようでもあり、はたして次の一手は、それが比喩ひゆではない事を証明した。


「じゃあな店員! 疾風円刃フローカッター!」

「っ! やば……!」


 飛び退きつつ放たれた刃が、不発弾に碧色へきしょくの火を点けた。

 燃え盛る炎の代わりに荒れ狂う暴風を巻き起こし、螺旋状の気流を巻き起こす。


「……っ痛ってて、クッソ!」風圧に負けて尻もちをついていたなづなが立ち上がり、「っはははははっ! ライモン、残り何分? これ三分もいらなかったわ!」

「――――!」


 乱気流が声をさえぎり、なづなの耳に届くは言葉にならない音ばかり。だが乱雑に髪をたなびかせる風さえも、今は天からの祝福のように心地よい。


 自分の前にいた相手は跡形もなく消え失せた。

 もはや判定を待つ必要もないだろう。この勝負に勝ったのは――!


「――『シューター』、水流散弾アクアショット!」


 しかし、確信への否定は空からやってきた。


「まじか……! っく、”四角錐”、雷光ライトピラミッドッ!」


 一発、二発。雨のように降り注ぐ弾丸を、なづなは自身を囲うように形成した雷のピラミッドで迎え撃つ。勝ち誇っていた筈の笑みは消え失せ、なづなの頭の中を疑問符が埋め尽くす。


「お前、なんで!?」

「知らない……! こっちが聞きたいくらいなんだけど!」


 実際のところ、瑠稀が無傷でいられたのは偶然に依るところが大きかった。


 球体がぜる間際に跳躍し、さらに疾風跳躍フロージャンプ――風を足元で炸裂させ、跳躍する魔法を使って爆発範囲から離脱する。その直後に球体が爆ぜ、中空にある瑠稀の体をより高空へと舞い上げたのだ。


 そして稼がれた高度は、そのまま攻撃にも利用される。


水流剣アクアブレイド……!」


 落下の勢いを乗せて放たれた兜割りはピラミッドの面を捉え、受けに回ったなづなの足を地面にめり込ませる。さらに蹴りを放ちながら瑠稀は後退し、水の刃を砕いて再度、散弾をなづなに見舞う。


 放たれた数こそ多いものの、一発一発は小粒の弾丸だ。城塞の如く、一部の隙も無く張り詰められた雷壁の前ではその弾数すらも意味を成さない。


「無駄だっての! 全部蒸発してんだっ……!?」


 そう――この攻撃単体では。


「――岩塊狙撃ロックスナイプ溜め撃ちチャージショット!」


 右の掌から放たれる散弾は目くらましを兼ねた時間稼ぎ。

 意識を集中させ、左手の指先から放たれる渾身こんしんの一射こそが瑠稀の本命だった。

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