第19話 鬼遊び



 紅葉のようにあかい傘の下、瑠稀の瞳に焼き付いたのは不敵に笑う、咲崎半美の横顔だった。


 腕の中で抱かれたままになっていると、半美は手首のひねりを効かせて傘の柄をぐるりと回す。まるで子供がそうするかのような軽い所作だったが、風車のように回る傘は風を纏い、槍ともども魔物の体躯を吹き飛ばしてしまった。


 どこからともなく現れたひと張りの和傘と、有り余るほどの余裕を感じさせる半美の佇まい。


 そこに尋常ならざる雰囲気を感じていると、不意に瑠稀の肩から手が離される。


「瑠稀ちゃん、戦える? お墓守っといて欲しいんだけど、出来るかな」

「やっぱり……一人で戦う気なんですか」

「うん」あっけらかんとした様子で半美は答え、「すぐ終わらせるけど、そのお墓は壊されたくないから」


 万が一を考慮して、という事なのだろう。


 友人の墓であることを考慮すれば至極当然で、しかしその懸念とは裏腹に半美の言葉には根拠のない自信と、瑠稀に対する信頼の念が滲み出ていた。瑠稀に返せる言葉は、ひとつだった。


「……わかりました。でも、気を付けて……!」

「ひひっ、ありがと」


 きびすを返し、静かに呼吸を繰り返せば甘く爽やかな匂いが鼻腔をくすぐる。まかり間違っても半美のものではない。おそらくは抱き寄せた時、瑠稀の黒髪から添えられた香りであろう。


 相対するは、異形を人の形に押し込めた有象無象の怪物たち。

 傘を閉じ、地を踏む足をにじらせて、面持ちに浮かぶ笑みは変わらない。緊張感など知った事か。


「さあて、と――!」


 地を蹴って響く音は驚くほどわずかで、瞬時に魔物との距離を詰めた半美が繰り出したのは飛び膝蹴りだった。


 曲げられた膝がガラス玉のような頭部を捉え、蹴り抜けばサッカーボールのようにその体を吹き飛ばしてしまう。同時に向けられる多方向からの殺気が、半美の感覚を鋭敏に研ぎ澄ませる。


 魔力で槍を形成し、手をかざして弾丸か、あるいは刃を放とうとする魔物たち。たとえ視界に映り切らずとも、肌を刺すような感覚が如実に挙動を伝えていた。


 そして予感は、間を置かずして現実のものとなる。


「っはは! カラフルだねぇ、受ける方はたまったもんじゃないけど!」


 取り囲むように弾幕のごとき厚みをもって迫る、槍と魔法の雨あられ。物々しい通り雨を前に、しかし半美はなお笑う。


 傘を開き、先のように雨露あめつゆを弾くもまた一興いっきょう――いいや、それでは芸がない。とりどりの色と形を備えた魔法を前に、もったいぶるのは恥の極み。


 ならば、とくと御覧ごろうじろ――!


「さあて、お気に召すかな!」


 その槍は肉体を穿うがたず、魔法が砕くは得物ですらない。


 大地に傘を突き立てて、ことごとくを阻むは地中から隆起りゅうきする無数の卒塔婆そとば。呼び起こされし供養くようの盾が、押し寄せる魔性の荒波を鎮めてゆく。そして、


「ほらほら! 次は一曲、聞いていきなよ――ッ!」


 半美の獲物は傘の形を捨てていた。


 抱えられるは真白い撥皮ばちかわ、真紅のさお、ふくよかな胴とが鮮やかに映える風雅な三味線。彼岸の花を舞わせつつ、それは半美の手元に形成された。どこからともなくばちを取り出しかき鳴らせば、つま弾く音色が花弁はなびらが、鼓動のままに震撼する。


 酔いの回った雄叫びに、唸るように震える弦に応えたのは、はたして周囲にいる魔物の群れ観客達ではなかった。


「……もしかして、音に魔法を乗せてる……?」


 ただ騒々しいだけの演目を行っているわけではない。魔力を込めてつま弾けば、弾き出された音色は音波、音塊おんかいとなり、たちまち魔物を霧散させていく。


 卒塔婆を攻撃する者と、卒塔婆を背景に演奏ライブする者。はたして真の不届き者がどちらなのかは、瑠稀の知るところではない。しかしお気に召さなかったか、もがき苦しむ魔物の一体が空高く跳躍し、演奏中の半美の影を落とす。


 気付くのは容易だった。これを見逃すほど半美の目は節穴では――


「はっ! ほっ! ……あれ?」


 魔物目掛けて放った魔法は全弾命中――せずに大きく的を外れ、蒼天の彼方にむなしく消えていった。十中八九、酔いが回っていたせいだろう。半美の目は多少、節穴の可能性があるかもしれない。


「うわ、あっぶな!」手に刃を纏わせて斬りかかる魔物の一撃を背後に回り込んでかわし、「まあそれならそれで……よい、しょっと!」


 がら空きになった背中を文字通りに踏み倒すと、半美はそのまま魔物の体に飛び乗った。


「っひひ……”ふね”にはちょうどいいサイズ」


 痛快な笑みを浮かべ、再度、半美の得物は形を捨てる。


 彼岸の花が秘めやかに三味線を取り巻き、徐々にしゃくを長くさせ――船頭せんどうを務めるならば、やはり”これ”が相応しいだろう。


「――いぃやっほぉぉぉぉう!! 飲酒運転さいこ~~~~っ!!」


 酒気を帯びた船頭が握るは、風情溢れる木目調のかい。舟を踏みつけ、魔力で波をみなぎらせ、いざ漕ぎ出すは有象無象がうごめく海。しかし手にした櫂で波を掻けば、大波、小波を巻き上げて、うねる大水おおみず敵を呑む。


 卒塔婆も魔物も巻き込んで、逆巻く波濤はとうかさを増す。それに抗うべく放たれた小粒の魔法など、もはや暖簾のれんに腕押し、ぬかに釘といった有様であろう。その徒労ぶりを嘲笑うかの如く、波飛沫はただただ無邪気に弾けていた。


「おいしょおっ!」櫂を振るって半美は乱雑に舟を殴り飛ばし、「お疲れ! いい乗り心地だったよ!」


 好き放題にうねりを上げた波の後、降り注ぐ飛沫の雨が半美と、ただ一体の魔物の肩を濡らしていた。


 よくぞ耐え凌いだと称えるべきであろう。


 騒々しくも凄絶な演奏をくぐり抜け、二十に近い魔物の群れを飲み込まんばかりの大波にも抗い切ってみせた。奇想天外にして奇天烈極まりない半美の戦いぶりをここまで刮目した、ただ一人の強者。


 ゆえにこそ、その手に纏う赤き刃は仲間の無念に燃えていた。


「……っひひ、やる気満々だ」


 櫂が形を捨てる。あろうことか得物が次なる形をとったのは一升瓶だったが、半美に戸惑いはない。むしろそれでいいと言わんばかりにほくそ笑み、一升瓶を刀のように脇に構えだすという始末だ。


 仰々しく剣を構えた魔物からすれば一笑に付すべき格好であろうが、互いに真っ向から相対する構図は一騎打ちさながらの気迫に満ちている。そして、


「――ッ!」


 両者の肩を風が撫でれば、合図には十分だ。


 踏み込み、詰め寄り、抜き打つ。

 一瞬にして一秒にも満たない刹那の閃きこそが、決着に要された時間だった。


 魔物が振り上げた赤き刃を日の光が照らし出す。まるで鏡合わせのように、半美も同じく得物を振り上げた姿勢のまま硬直していた。しかし、ただ一つ。違うのは得物の形。半美の手に握られていた一升瓶は、


「……南無阿弥陀仏なむあみだぶつ


 魔物を抜き打つ瞬間から、刀へと形を変えていた。


 りの無い刀身を鞘に納めると、鯉口がささやかに音を鳴らす。一拍の間を置き形を捨て、刀は花弁を舞わせながら一升瓶の形をとる。背後から聞こえるすすけた音に耳を澄ませば、もはや振り返るまでもない。


 潔い散り際を最期に――かくして、ここに雌雄は決した。


「――っぷはぁっ! 運動した後の一杯もたまんないわぁ……っひひ!」


 美酒に酔いしれる声が勝鬨かちどき代わりに響き渡る。


 突き上げられた一升瓶とそのラベル――”鬼遊び”の銘柄が、誇らしげに燦々と輝いていた。

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