第18話 相合傘


 通り沿いを少し歩けば華やかな店構えの飲食店がずらりと軒を連ねている。種類もジャンルも様々で、昼食を何にしようかと悩む通行人がしばしば店先のメニューボードの前で足を止めていた。私たちもその中の一人だ。


 食べる量はどれくらいがいいかな、ワイはガッツリいきたいです、それならさっきのお店にしようか、うん、じゃあそこにしよっか――お店の吟味ぎんみを終えると、人波をすり抜けて吹く風が私の後ろ髪を撫でていく。


 何気なく振り向くと、私は無意識の内にきびすを返していた。


「すいません葵さん。お昼、先に食べてて大丈夫です……!」

「なぬっ? る、瑠稀殿――!?」


 背中で声を聞きながら雑踏の中へと駆け出していく。理由を話していられる余裕はなかった。


 急がないと、遠くに見えたあの人影を見失ってしまう。目を離したらまたどこかへ消えてしまうんじゃないか。脇を見るのがおろそかになり、何度か人に肩をぶつけてしまった。普段なら気にもとめない人波が、今だけはわずらわしく感じられる。


った……っ、すいませんっ……!」


 細い路地に入ると、危うく見失いかけたその人の後ろ姿が再び視界に映り込む。

 建物と建物の隙間。そこから差し込む陽光の中に消えていった背中を、私は再び追いかけた。




 おそらく、抜け道のようなものだったのだろう。


 路地を抜けると街を囲うへいがあり、ひと一人が通り抜けられそうな程度に崩れている箇所を見つけた。髪と服をひっかけないようくぐり抜け、その先で見たのは青々とした平野と、


「……半美さ――」

「ごめん。今話しかけないで」


 木の板を十字に重ね、縄で縛っただけの簡素な十字架。その前で膝を折り、合掌した半美さんの姿を見れば何をしているかはすぐに分かった。お墓参りだ。


 いったい誰のお墓なのだろう。半美さんが手を合わせているという事は何かしら縁が深い人と見ていいけれど、私には予想がつかない。加えて作りから察するに、これは半美さん自身の手で作ったお墓――なのだろうか。


 静まり返った空間にそよ風が吹き抜けると、半美さんは合掌を解いて立ち上がる。


「ごめんごめん。びっくりさせちゃったね」

「いえ、私の方こそ声かけてすみません。と、そうだ……」私はポケットから半美さんのスマホを取り出し、「これ、半美さんのですよね? 昨日、忘れてったみたいなんで」

「おっ、ありがと~! いや昨日、どこで失くしたか覚えてなくってさ……はは、家ん中でめっちゃ騒いじゃったよね。お隣さんから壁ドンされちゃったし」


 ここが元の世界であったなら、ただの世間話として受け止めていただろう。

 しかし半美さんの言葉は、酔った勢いで呟いている虚言きょげんにしては妙なリアリティがあった。昨日と同じ、語気に滲む明瞭さがなおさら違和感の影を色濃くする。


 足元の一升瓶――半美さんがいつも手にしているものだ――を拾い上げると、半美さんは栓を開けて一口、喉に流し込む。


「これさ、友達のお墓なんだよね。あたしが作ったんだけどさ」


 ひとつ、予想が当たった。


「お酒好きで遊び好きで、角を見た時はさすがに驚いたっけ。でも馬鹿話にもたくさん付き合ってくれて……ふふっ、喋ってると思い出しちゃうなぁ」


 お墓の上に持っていかれた一升瓶の口は、そのまま透き通るほど綺麗なお酒でお墓を濡らしていく。満遍なく、惜しみなく注がれ、木の端からしたたり落ちる水滴が草を揺らす。ちょうど、栓を閉めるタイミングだった。


「元の世界に戻れるよう頑張ってくれたのも、そういえばあんただったっけ」


 元の世界に――戻れる?


「……半美さん。それ、本当なんですか?」

「本当だよ」目を合わさないまま半美さんは続ける。「ただ……悪いけど、方法は教えられないかな」


 順調に上り詰めていた階段を唐突に踏み外したかのような感覚だった。


 教えたくないのか、あるいは教えられない理由があるのか。頭の中を駆け巡る逡巡しゅんじゅんに意地の悪い発想までが入り混じった時、半美さんはお墓に背を向けて数歩、前に出た。


「理由はふたつあって――ひとつは、こいつらだね」


 降り注ぐ陽の光、同じく見据えた視線の先で見た光景は、およそ常識では考えられないものだった。


「……っ! なんなんですか、これ……!」

だよ」


 泥のような灰色の塊が中空にいくつも集積し、凝固され、粘土のように形を変えていく。その形はちょうど、私たち人間と同じ人型のシルエットを模倣もほうするかのように。しかし大地に産み落とされた造形は、えらくかけ離れたものだった。


 ガラス玉のようにつるりとした丸い頭部に、布切れやボロボロの鎧に覆われた胴体、手足。背丈の細かな違いはあれど、無機的とも有機的ともつかない外見からは、肌を刺すような鋭い敵意が放たれている。


 これが――この世界に存在する魔物。


 存在自体はたびたび耳にしていたものの、実物を目にするのは今日が初めてだ。流線形の手足は私たちと似ても似つかない。


「どれだけいるの……!」

「ふんふん。なるほど……」人差し指を小さく上下させながら、「ざっと十か二十ってところかな。心配しないで瑠稀ちゃん、ぜんぶあたしが相手するから」

「……半美さん、もしかしてまだ酔ってま――っ!?」


 意識を半分、魔物に割いていたのが大きかった。


 取り囲むように現れた魔物の群れ、その中から形成した魔力の槍を手にした数体の魔物が、切っ先を下に向けて私たちに跳躍する。言語を発さない、なかば不意打ちのような挙動だった。


「冗談でしょ……!」


 避けるべきか。それとも攻撃を防いで、反撃に転じるべきか――いや、どちらも半美さんを守るには適さない。向けられる切っ先の数は、意地悪くも均等に分かれていたからだ。


 刻一刻と迫る刃を捉えつつ、私はかばうように半美さんの前に出る。直後、


「えっ……――!?」


 注ぐ陽射しが遮られ、金属音のような甲高い音が鳴り響く。だ。ひと張りの和傘が、雅やかな生地の向こうで刺突を防いでいる。

 手を引かれて抱きしめられている事に気が付いたのは、お酒と香水の混ざり合った匂いに鼻をくすぐられた時だった。


「……無粋だねえ。相合傘の邪魔するなんて」

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