第17話 元の世界に戻る11の方法


 半美さんが注文したものをメモに書き留めて迎えた翌日。カフェはいったん、休みにする事になった。


 店内を満たしていたお酒の香りがテーブルや椅子、カーテンなどについてしまっていると分かれば、ほとんどのお客さんは不快感をあらわにする事だろう。消臭用のアロマをき、匂いが消えるまでは営業を再開できない。


 その間に私たちは、ある場所へと足を運んでいた。


「……こっちはダメでした。葵さんは?」

「ワイも関連していそうな本を漁り、もしかしたらとジャンル違いの書籍にも目を通しましたが……収穫なしです。無駄足、というやつですな」


 口惜しげにつぶやきつつ、葵さんは分厚めの本を棚に戻す。右も左も背の高い本棚に囲まれたここはこの街、セントシャールの図書館だ。


 観葉植物が適当に配置され、ガラス窓から差し込む陽射しが静謐せいひつな空間に活気を添えている。視界の隅に設けられているスペースは子供向けの、いわゆるキッズスペースなのだろう。何組かの親子が一緒になって絵本を楽しみ、時折上がる賑やかな歓声が微笑ましい。


 今日、私たちがここに来た理由は明確で、元の世界に帰る方法を探すためだった。


 様々なジャンルがあり、蔵書量も多い図書館ならあるいは――期待半分、そううまくいくだろうかという疑念半分で臨んだ結果は、葵さんの言う通り無駄足だった。


 なにもストレートに方法自体が書いてあることまで望んだ訳ではないが、ヒントになりそうな情報さえも見つからなかったのはさすがに徒労感が強い。


「転移者の事はちらほらと書いてあるようですが……やはり、肝心要の部分が見当たらないと肩透かし感がひどいですな。本にまとめられるほど情報量が少ないのでしょうか?」

「世界から世界に転移するって、スケールだけ見たら凄いですもんね。……こういう時、元の世界だったらスマホですぐ調べちゃうんですけど」

「『これさえやれば帰還できる! 元の世界に戻る十一の方法』――みたいな動画とか出てきそうですな」


 あまりのうさんくささに思わず小さく吹き出してしまった。


 実際そんな動画があるのかどうかは分からないけれど、置かれている状況が状況だけに、わずかにでも期待はしてしまうかもしれない。


 では、そろそろ二人の下に戻りましょうか。葵さんの言葉に頷き返し、私たちは窓際の席で本を読むメロとサジを見つけた。テーブルには本が広げられ、ラインナップは料理のレシピ本、絵本、ファッション誌――


「……メロは何の本読んでるの?」

「服の本!」そう言って眺めていたページを見せてくれる。「こういうフリフリの服とか好きで、よく買っちゃうんだよね。瑠稀はどんな服が好き?」

「私? あんまりこだわりはないけど……あ、こういうのとか」


 縦にラインの入ったセーターや秋冬を意識したジャケット、キュロットスカート等を指さしてしまったのは、元の世界の季節柄ゆえだろうか。十月下旬の秋ともなれば、肌寒さも徐々に増してくる頃合いだ。


 メロの好きな服の系統と私の好きな服の系統は、たぶん違う。

 互いに何がいい、何が好きと話しているうちにうっすらと気付いてしまった。


 それでもメロが今着ているような、ゴスロリのファッションに興味がない訳ではない。むしろ逆で、私が着るとしたらどんな格好が良いかとか、メロを見るたびに妄想してしまう自分がいる。


「サジ殿は絵本ですかな?」


 ふと横にいる葵さんが声を掛けると、読み終わったのかサジは本をぱたりと閉じる。


 タイトルは――”まおうさまの恋。にんげんと恋におちるまでのひゃくにちかん”。


 意外だった。ひらがな多めのタイトルと優しいタッチの絵柄から察するに、やはり子供向けの絵本だろう。勝手なイメージではあるものの、絵本はサジが手に取りそうにはないジャンルだと思っていた。


「うん。結構、面白かった」


 よほど気に入ったのか、サジが満足げに感想をこぼす。視線の先では手入れの行き届いた中庭を子供が走り、それをベンチに腰かけた親たちが見守っている。


「そういえば……メロって何歳いくつなの?」


 ふと子供たちを見て浮かんだ疑問を口にすると、


「メロ? メロは六年六歳だよ」


 六歳――いや、六歳?


「……十六歳、じゃなくて?」

「え? いや、うん。本当に六歳だけど?」


 耳にした数字が聞き間違いではないことを証明するように、葵さんの顔には驚愕の色が浮かんでいた。六歳。正直、想像していた年齢の半分以下だった。これに驚かないのは、いくらなんでも無理がある。


「えっと……ごめん。私メロのこと、少し年下ぐらいに思ってたから」

「これにはワイもびっくり仰天驚き満点――はっ」葵さんは指の甲で髪の毛先を撫で、「失敬、取り乱しました。よもやそこまで幼かったとは、ワイの目をもってしても見抜けなんだ……」

「え、ええっ!? 二人とも、なんでそんなにびっくりしてるの?」

「あ、ちなみに十六歳はおれだから」


 直前に明かされたメロの年齢に比べれば、サジの年齢は外見をかんがみても極めて常識的なものだった。そしてなぜだろう、予想通りの事が分かっただけなのにひどく安心してしまう。


 私たちの年齢を上から並べると、葵さんが二十歳はたちで私が十八、サジが十六、メロが――六歳。


「……メロ殿だけえらい飛び級してますな」


 同じことを考えていたであろう葵さんが気持ちを代弁してくれたところで、私は何とはなしにポケットに手を差し込んだ。すると昨日、半美さんが忘れていったスマホと注文のメモが手に触れる。


 気付いたらそこにいて、いつの間にかいなくなっている。


 半美さんに抱いた猫のような印象は、後者だけなら私にも当てはまりそうだった。アイドルになった時はともかく、辞める時は突然だったからだ。


 かたや元アイドルで、かたやそのアイドルの元ファン――いや、半美さんにまで”元”を付けるのは正しくないかもしれない。それでも私とあの人はどこかで通じていて、互いに影響を与え合っているのかもしれない。


 もっとも半美さんに対して、私自身は未だに見覚えが――


「……あ、ごめん。お腹鳴ったのおれだ」


 ほうけた音にやんわりと意識を引っ張られ、一拍間を置いたのちに小さな笑いが伝播でんぱする。壁掛け時計に目を向けると、じき正午を迎えようかという時間帯になっていた。私たちも、お腹が空いていた。


「ふっ……昼餉ひるげにはちょうどよさそうですが、各々どうでしょう?」

「はーいっ! メロ賛成っ♪」

「私も賛成です。メロ、本片付けてこよっか」


 気付けば館内にいる人もまばらになり、そこはかとなく緩んだ空気が漂い出す。外に出て見える通り沿いの飲食店は、既に賑わいを見せていた。

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