第16話 猫


「依頼のご報告、ありがとうございます。お疲れさまでした」


 渡された書類に名前を書き、何点かの記入項目にチェックをつける。依頼の報告は受ける時と同じく、ごく単純な記入作業をこなすだけで片付いた。


 報酬金はサジが受け取り、あとはまっすぐ帰るだけ――しかし私の意識は別の方へと向いていた。先ほど整然とした身なりの人たちに連れて行かれた、ベルさんと盗賊の人達だ。


「シオンさん。さっき、ベルさん達を連れてったのって……?」

「ああ、街の騎士団の方々です」手元の書類をまとめると、聡明そうめいさの滲む瞳と視線が重なった。「白を基調にした服装と、緑の腕章が目印です。私は耳にしただけで見たことはありませんが……”警察”といえば瑠稀さんには伝わりやすいでしょうか」


 耳馴染みのある単語を出されれば、その人たちの役割を理解するのは簡単だった。違いがあるのはおそらく装いだけなのだろう。相槌を打ってベルさん達の今後を尋ねると、それについてもシオンさんは教えてくれた。


 ――ベルガリオ様が自身を除く全員の罰金を支払ったため、その方々の懲役は免除。なのでベルガリオ様のみの懲役となりますが……転移者の方を保護していたという事情を汲み、懲役期間はその分を考慮したものとなります――


 事の顛末てんまつを聞けば疑いようがなかった。

 あの人は自分より、仲間の人達を優先したのだ。


 バオムさんの時といい、私にはその行いこそが何よりもベルさんの人柄を表していたように思う。自分の罰金まで支払えなかったのはもしかしたら――考えかけたところで、シオンさんの声が優しく耳を揺さぶった。


「相当、慕われていたのでしょうね。仲間の方々はいたく感謝していたそうで……あとは、ご本人の行い次第になるかと」

「……そうですか。ありがとうございます」


 柔らかな笑みにお礼を告げて、席を立つ。やれるだけの事はやった。

 ギルドを出て家路につき、しかしカフェに着いた私たちを出迎えてくれる声は、


「――あっ、いぃやあっしゃぁやせ~~~~~!!」


 ひどく、やかましいものだった。





 呂律が回っておらず、一語一語何を言っているのかはほぼ聞き取れない。それでも言葉の流れとイントネーションから察するに、おそらく”いらっしゃいませ”と言っていたのだろう。


 はたしてその声の主は葵さんではなく、ましてやメロでもない。席に着いて一升瓶の酒をあおる――咲崎半美さきざきはんみさんその人のものだった。


 事の経緯いきさつが理解できずに立ち尽くしていると、のそのそとした足取りで葵さんが厨房から出てきた。「おかえりなさい」と絞り出すような声に覇気はない。当然だ。営業時間はとっくに過ぎているし、酔っ払った人に付き合わされれば誰だって疲弊するはずだ。


「だ、大丈夫ですか葵さん……? それにメロは?」

「メロ殿は買い出しに行かせました、安全のため……出来ればワイも、外の空気を吸ってきたいのですが……」

「ああ……お酒臭いもんね。店の中」


 サジの言う通り、店内の空気は外に比べて尋常じゃないくらいにアルコール臭かった。元凶は分かりきっている。メロをこの場にとどめなかった葵さんの判断は英断といって差し支えないだろう。覚悟を決めて、私はサジにお願いする。


「サジ、葵さんの事お願いできる? たぶん、私しか話せそうな人いないし……」

「わかった。……気を付けてね、瑠稀さん」


 人と会話をしに行くだけで「気を付けて」という言葉を貰ったのは初めてだった。

 二階へ避難する二人を見送ると、ホールに残されたのはいよいよ私と半美さんの二人だけになる。


 本来、穏やかさが際立つ筈の店内には特大の鼻歌が流れ、マジ楽しいね、最高、お酒最高イズマイライフなどという、これまた大きな独り言が合いの手のように挟まれる。


「……くっさ……」


 思わず悪態をついてしまいながら、私はコップ一杯分の水をグラスに注ぐ。自分が飲むためではない。半美さんに飲ませるためでも――いや、その答えは半分正解かもしれない。


 一歩、二歩と近づくたびにきついアルコールの匂いが鼻腔を刺激する。これが泥酔状態というものなのだろうか。


「え、あれ、嘘!? え、えっ、瑠稀ちゃんじゃん!? うわマッ――」


 ごめんなさい、半美さん。

 口にした刹那、私はグラスに注いだ水を思いきり振りかけた。




 荒療治じみた酔い覚ましに抵抗はあったものの、水をかける前と後とで半美さんの落ち着き具合は大きく変化していた。


 急いで半美さんの顔をタオルで拭き、そのまま二杯分の水を飲ませてあげる。すると返ってきたのは「記憶飛んでたね、あたし」という、自嘲するような語気をはらんだ言葉だった。


 先日は”キラキラ”の処理をして、今はこうして酔ったところの世話をしている。


 出来事だけを振り返れば、私だけが、ほぼ一方的に、この人とろくでもない縁で結ばれている。やるせない思いを慰めるかのように、開放した窓から流れ込む夜風が頬を撫でていった。


「――いや、ねえ? 探してるもの見つからなくてさぁ。だったら飲むしかないじゃんって感じでぇ……バイトもクビんなったしさぁ」

「……なんのバイトですか」


 半分話を聞き流していたけれど、ずっと口を閉ざしたままなのも感じが悪い。問い返すと半美さんは片手で頬杖をつきながら、


「お好み焼き屋さん。新宿の三丁目にあるお店なんだけど知ってる? 豚玉がめっちゃおいしいお店なんだけど」

「……あの、半美さん。もしかしてまだ酔ってます?」

「ふへっ、まあちょっとだけね」


 ふわり、酒気を帯びた香水の香りが鼻をくすぐった。


 お好み焼き、新宿、豚玉……元の世界でしか聞くことのなかった単語がわずかばかりの懐かしさを運んでくる。言葉とは裏腹に、半美さんの口ぶりは酔っているとは思えないほど明瞭に聞こえた。


「ところで瑠稀ちゃんさ――あでっ」テーブルの支柱に足をぶつけたのだろう、半美さんが小さくうめく。「っつ……このあたりでお墓あるとこ、知らない?」

「墓地、って事ですか? でもすいません。私、転移して日が浅いので……」

「えっと、ちょっと違くてさ。私が探してるのはこの街の――」


 とろんとした瞳が一瞬、かすかに見開かれ、


「ごめん。思い出したからいいや、はは」


 気のせい、だろうか。


 半美さんが目を見開いた瞬間、身に纏う空気から朗らかさが失われたような感じがした。唐突な問いかけと自己解決に首を傾げていると、半美さんはお冷のおかわりを頼んでくる。


 空になったグラスを受け取り、厨房へ向かって手早く氷水を注いでくる。ほんの一、二分にも満たない離席の後、私は自分の目を疑った。


「……半美さん?」


 対面の席にいた筈の半美さんが、忽然こつぜんと姿を消していた。

 ドアベルの音は鳴っておらず、ならば店内のどこかに迷い込んだのだろうか。しかし二階に加えて屋上を探してみても、半美さんの姿はどこにも見当たらない。


 ほどなくして買い出しから帰ってきたメロに聞いてみても、道中で半美さんらしき人とはすれ違わなかったそうだ。いったい、どこへ行ったんだろう。


 自分たちの着いていたテーブルを通り過ぎようとしたその時、


「……これって、半美さんの?」


 まるで置き土産のように残される、椅子の上にあるスマホが目にとまった。おそらく半美さんが持っていたスマホと同じものだろう、画面の割れ方がやはりひどい。


 お客さんの忘れ物は拾得物としてみんなで管理する事になっているが――これは後で、自分から本人に手渡そう。ポケットに入れて窓の外を見ると、店先の小道を歩く一匹の三毛猫と目が合った。


「……猫みたいな人」


 気付いたらそこにいて、いつの間にかいなくなっている。

 気ままにあくびをする姿が、今だけは半美さんと重なって見えた。

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