第10話 救援求ム。


「あっ、もしもし? 店長? すいません、今日ちょっと急用入っちゃって――あれ、店長? ……っかしいな、電波繋がってる?」


 繋がっている筈がない。


 咲崎さきざきさんが耳に当てて話しかけているのは一升瓶であり、そもそもスマホですらない。加えて今いる場所は異世界なので、元の世界まで電話が繋がる確率は限りなくゼロに等しいだろう。


 私がその事を指摘すると、ジャケットの内ポケットから取り出されたのはいったい何がどうなったらそうなるのか、画面がひどくひび割れたスマホだった。


「ああぁ、ダメだぁ!」咲崎さんはスマホから耳を離してけらけらと笑い、「こっちも繋がんないわぁ、ひっく……クビかな今のバイト」

「……ルキ。一応聞くけど、この人知り合い?」

「知り合いにこんな人いたら多分忘れないんじゃないかな……初対面、だと思うけど」


 面と向かって相対すれば、咲崎さんの装いが改めて視界に映る。

 ジャケットの内側に着込んでいる和服はよく見れば花柄で、藍色の生地に彼岸花とその花弁はなびらを散らしたようなデザインだ。


 スリットが入れられた裾からは焦げ茶色のブーツが覗き、手指にはあずき色のネイル。笑うたびにポニーテールに結い上げられたピンクベージュ色の髪が揺れ、しかし、手にした一升瓶ときついアルコール臭がその人の印象をことごとくだらしないものに塗り替えていた。


 手にした物が分からないくらい酔っているけど、何か嫌な事でもあったのだろうか。


 かすかに気にかけて、咲崎さんの視線が先ほどからずっと私に向けられている事に気が付いた。紫陽花あじさいのような淡い紫色の瞳に首を傾げると、


「ルキ、って聞こえたけど……もしかして君、氷見坂瑠稀ちゃん!? TOTの?」


 驚きと共に体の芯が冷えていく。

 この人は、私を知っている。


 トレース・オブ・ティアーズ――TOTは、私が所属していたアイドルユニットの略称。それを知っているという事はつまり、


「ちょ待ッ、えっ、どどどどどどーしよう!? メイクしたっけ? ああ、あのあたしっ、君の”ファン”ですっ!? 怪しい者じゃなく――! いや、これ言う奴はだいたい怪しい奴なんだよな。ごめん、今のだけナシで。てか間近で見るとほんっと髪綺麗で羨ましい……」


 TOTのファン、というよりも、熱量を見る限りでは私のファンと認識していいのだろう。あまりにも唐突な出来事にどんな顔をしていいのか困惑してしまう。


 複雑な感情が渦を巻き、しかし私はこの人を覚えていなかった。


 あたしの事は半美って呼んでもらって良いんで、っていうかビジュが本当に好きで、瑠稀ちゃんに人生変えられました。卒業して残念だったけどまさか会えるなんて――目の前にいるのは”元”アイドルなのに、純粋な言動にわずかながら心が動いてしまう。


 ひと際お洒落な装いも手伝い、であればなおの事、私が半美さんのような人の事を覚えていないのは不自然に思えた。


 こんな人、とてもじゃないけど忘れそうには――芽生えかけた疑念をさえぎったのは私のポケットから鳴る、特徴的な着信音だった。


「ルキ、なんか音鳴ってるよ?」

「たぶんイセスタ……葵さんからかな」


 通知を確認すれば、イセスタのメッセージ機能に連絡を寄越してきたのはやはり葵さんだった。チャットスペースに遷移せんいすると、字数にしてたった四文字の言葉が綴られている。


「”救援求ム”……?」

「あ、もしかして……!」横から背伸びして画面をのぞき込んでいたメロが呟き、「カフェにお客さん、いっぱい来てるのかも。ルキ、急いで戻らないとっ!」


 広場を通り過ぎた時確認した時刻は、ちょうどお昼前。半美さんと話し込んでいた時間もかんがみれば、既に混雑する時間帯になっているであろう事は想像に難くない。少し、のんびりしすぎていたのかもしれない。


 反省しつつ、半美さんに申し訳ないと思いながら急用を切り出そうとすると、


「半美さ――っ……? あれ……?」


 目を凝らし、辺りを見回しても見える景色は変わらない。半美さんの姿が、いつの間にか消えている。


 風が運んでくるアルコールの残り香だけが、私たちにその存在を感じさせていた。




 急ぎ足でカフェに到着した私たちを待っていたのは、ほぼすべての席を埋め尽くさんばかりのお客さんの姿だった。


「二人とも、おかえりですぞ!」厨房へ入るなり葵さんはエプロンを渡してきて、「そして助かりました! 瑠稀殿はこれを身に着けて接客、および注文をとるだけの簡単なお仕事ですので! さあ!」

「え、ええっ……!? いや私、やったことないんですけど――!」


 やった事がないと言ったのは二重の意味でだった。カフェで働いたことも、アルバイトをした経験すらない。そもそもそれは、みんなから教えてもらう約束だった筈の事だ。


 けれど、四の五の言っていられる状況じゃないのも十分に理解していた。


 カフェのスペースは個人経営の喫茶店をもう半分ほど広げたくらいなものの、お昼時ともなればあの通り、人が来る。何よりも私は、ここでみんなと生活していくと決めたばかりだ。


「……いえ、すいません」


 一人だけ泣き言を言ってる場合じゃない。

 遅かれ早かれ、カフェの仕事は覚えなくちゃならない。


 それがほんのちょっと、早まっただけのこと――身勝手な弱音を引っ込めて、私はエプロンの紐を結ぶ。


「とりあえず、やるだけやってみます……! 何かミスしたらすみません!」

「大丈夫だよルキ! メロ達もサポートするから!」

「葵さん、これ六番テーブル――」


 高めの位置で結い上げた髪を口に咥えていたシュシュで結び、横髪を右耳にかけなおす。覚悟はできた。


 人の多さにも怯まず、淀みなく「いらっしゃいませ」と声を発する事が出来たのは、アイドル活動で磨かれた度胸のおかげかもしれない。





 緩やかになった客足はそのまま時間の経過を告げていた。


 窓辺から差し込む陽射しはオレンジ色に変わり、店内にいるお客さんの数も気付けば数える程になっていた。会計を済ませ、私は退店するお客さんの背中に言葉を掛ける。


「ありがとうございました……!」

「ありがとうございました~! また来てくださいね~♪ ――あ、いらっしゃいませ~!」


 ドアベルの音が響くと同時に、私もメロに追随するように挨拶する。お昼時の混雑を乗り越えた私はそのままの流れで、カフェの仕事をこなしていた。幸いなことに、大きなミスは今のところやらかしていない。


 接客に関してはメロが付き添い、ホールと厨房を行ったり来たりする葵さんにも時折気に掛けてもらった点が大きかった。サジは調理全般を担当しているため厨房から出られなかったものの、私が注文を運ぶ時はそれとなく気にしてもらっているのが分かった。


 そして混雑時のピークを過ぎれば、徐々に周りを気にする余裕も芽生えてくる。


「助かりましたぞ瑠稀殿……あれだけのお客、コミュ障ド陰キャのワイでは捌き切るにもひと苦労でしたので」

「いえ……むしろ、みんなの方が凄くないですか? 私に教えながら自分の仕事もしっかりこなしてましたし」


 おそらく視野が広いのだろう。葵さんは接客と調理、人手が足りていない方を適宜てきぎ見極め、臨機応変に対応していた。


 サジは注文を受けてから料理が完成するまでが早く、どのテーブルに運ぶかまでを正確に頭に叩き込んでいる。メロに関しては言わずもがなだろう。普段の立ち振る舞いが接客に活かされ、愛嬌に満ちた態度がお客さんに笑顔を与えていた。


 それにメロの笑顔は――どうしてだろう、見ていると陽乃を思い出してしまう。


 上から目線な感想になってしまうけれど、みんなでお店を回しているだけあってそれぞれの動きや判断に迷いが無い。働いてから長いのだろうか。


「葵さん。あと一時間くらい?」サジが窓の外を見ながら呟き、「店じまいしたら買い出し、行った方がいいかも。材料足らなくなってきた」

「むむ、承知しました。では後ほどワイが参りましょうか」


 閉店後の作業は三人にお任せします。呼び水のように、葵さんの声がまた新たなお客さんを招き寄せた。

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