第9話 キラキラ


 街ですべき事を終えれば、あとはカフェに帰るだけだった。


 行き交う人波が増えていると感じたのは気のせいではなく、大通りに軒を連ねている飲食店からはほぼひっきりなしに人が出入りしている。


 通りすがった広場にある、モニュメントのような芸術品に飾り付けられた時計を見れば時刻はちょうどお昼前。なるほどと思いつつ、私は隣を歩くメロと先ほどから雑談を交わしていた。


「――でね、初めてアオイに会った時は興奮してたんだよ?」

「興奮?」


 首を傾げているとメロはすうっと息を吸い、


「『ぬおおおおおおっ! 異世界ですとっ!? 推しがいない世界なんてまさしく地獄ゥッ……!』――って!」

「っ、ふふ……! それ、葵さんのマネ?」

「あ、伝わった? 似てた!?」


 不意打ちだった。


 似てる似てないはさておき、メロの声で葵さんのものまねをされるとなんとも言えないミスマッチ感があり、おかしなギャップに笑みがこぼれ出てしまう。決して葵さんを馬鹿にする訳ではないけど、私たちは顔を見合わせて笑い合った。


 今頃、葵さんとサジはお店を回している頃だろうか。

 帰ったらまずお昼を食べ、買った物を整理整頓。その後、カフェの仕事をみんなから教えてもらう約束になっている。


 アイドルは例外として、まだアルバイトをした事がない私にとっては初めての仕事だ。どんな事をするのだろうと、興味の矛先が向きかけた瞬間だった。


「――――――ええぇぇぇっっ……!」


 耳を震わせる野太いえづき声に、ぞわりと、体中を電撃のように悪寒が駆け抜ける。かなり嫌な音だった。


 声に付随ふずいして聞こえるびちゃびちゃとした音が”その場面”を想起させ、すぐに頭から振り払う。隣を見るとメロの顔にはそこはかとない不快感が滲み出ており、おそらく今の私も同じ表情をしていた。


「ル、ルキ。この声ってもしかして……?」

「……メロ、あんまり気にしない方がいいかも」


 なかば自分に言い聞かせるように言葉を返す。気の毒にと思う気持ちくらいは持ち合わせているものの、関わりたいかと問われれば素直に首を縦に振れる自信はない。


 けれどメロは違ったようで、心配そうにあたりを見回し始める。視線の動きがとまったのは、意外にもすぐだった。


「もしかして、あの人……?」


 指さす先にいたのは店先でうずくまっている、ピンクベージュ色の髪をポニーテールに結い上げた女の人だった。


 服の裾からうかがうに着ているのは和服だろうか。その上には黒のレザージャケットを羽織り、人波の向こうに見える丸まった背中はひと際存在感を――無論、悪い意味で――放っているように見えた。


 あの人も私や葵さんと同じ転移者なのかもしれない。

 目を細めつつ予感がよぎると、ほどなくしてドアの開く音が聞こえてきた。女の人のすぐ正面にある、お店の扉だ。


「ぅおわっ――!? なんっ、だこりゃあ……? お、おいアンタ!」

「うん……え? ああ、あたしか……?」

「オレの店になに”キラキラ”ぶちまけてくれてんだオイ……! 弁償しろ、じゃなきゃ掃除だ掃除!」

「えっ、あー……すいません。今、持ち合わせないんで。ATMどこっすかね? 下ろしてくるんで、うっぷ……」

「あアん!? 訳分かんねえ事言ってんじゃ……!」

「ぉぷっ――!?」


 ――嫌な予感がする。


「メロ、あっち向いて……! 耳ふさぐよ!」

「わ、私も! ルキの耳ふさぐっ!」


 回れ右をして私が壁になるよう、メロの後ろに回り込む。そのまま耳栓代わりにメロの耳に手を当てると、同じようにすぐさまメロが私の耳を覆ってくれる。


 当たってほしくない予感は、悲しいほどすぐに的中してしまった。


 かすかに手を貫通して聞こえる”第二波”の音を、脳内に思い浮かべる川のせせらぎや滝の音で相殺する。背景は何がいいか迷った挙句、カラオケ映像で見るような菜の花畑を想像する事にした。なんでもいい。”キラキラ”を見るよりは、確実に――


 音が、止んだ。


 おそるおそる振り返ると、やたらすっきりした面持ちの女の人と、靴とボトムスに”キラキラ”を受けてしまった男の人とが、絶望的なまでのコントラストをかもし出していた。私とメロは、思わず目をそらした。


「――っああぁぁぁ~スッキリしたぁ! ややや、ほんとすいませんでした。でもあたし飲むのやめらんなくって、世の中のクソさを思うとなおさらね! んっはっはっは!」


 クソはおめえだよ――とでも言わんばかりに、男の人の顔に浮かぶ表情は切迫せっぱくしていた。女の人が景気よくバシバシと肩を叩くものの、まるで糸が切れた人形のように反応が返ってこない。


「…………なあ」


 うつろな視線が私とメロを交互に見やる。


「……掃除。頼むわ……」

「えっ? いや、あのっ、大丈夫ですか……!?」

「お、おにーさん! お大事に……!」


 はたして私たちの声は届いたのだろうか。閉ざされたドアの奥に消えていった男の人の背中は、蒼白した顔面と同じく生気が抜けきっていた。


 風が運んでくる悪臭が嫌で、私とメロはすっ、と風下の軌道から横にずれる。


「……噓でしょ、これ」

「あちゃあ~、二人とも押し付けられて大変だねぇ」能天気な調子の声が耳を揺さぶり、「んじゃまぁ、あたしは用事があるので退散退散っと」

「――ちょっと待って、おねーさん!」

「んえ?」


 猫背のまま立ち去ろうとした女の人が、メロの声に足を止めた。そのままつかつかと歩み寄るメロに付き従うよう横を歩くと、げんなりするほどのアルコール臭が女の人から漂ってくる。


 あまり近付きたくはなかったけれど、かなり飲んでいたらしいのは嫌でも分かった。メロはそれにも怯まず、


「二人よりも三人で掃除した方が早く終わるから、手伝ってください! あのおにーさんの顔、見たでしょ? すっごく困ってたよ?」

「……あの。この子のお願い、聞いた方がいいと思いますよ。っていうかこれ、本当だったらあなた一人で片付けなきゃいけないんですから」


 少なからず、早々に立ち去ってしまいたかった気持ちはある。

 けれどメロが率先して動いたのを見れば、今日、助けてもらってばかりの私が黙っているわけにはいかなかった。若干強めの語気を含ませながら加勢すると、


「……よしっ、しょうがないっ! やろっか、掃除!」


 この人はまだ酔っているのかもしれない。

 腕を組み、しばし考え込んだ後、なぜか上から目線で承諾された。




 魔法の力に驚かされたのは今日で二度目だった。


 一度目はメロと買い物をしている時。

 二度目はそう――”キラキラ”の掃除をしている時。


 どうやって処理しようか考えた挙句、私は以前、戦いの最中に思いついて形成した、水の魔法で作り上げたジェルを”キラキラ”に押し付ける。するとまるでスポンジのように、”キラキラ”が流動する水の中に吸い込まれてしまった。


 あとはそれを側溝そっこうの上まで運び、魔法を解けば、


「……私、何やってるんだろう」


 出来る事なら、このやるせない気持ちも水に流れてほしかった。

 ありがたかったのは間違いないけど、こんな形で便利さを実感しても――大きめのため息をついて無理やり気持ちを切り替える。


 二人のもとに戻ると、やはり魔法を利用して汚れを落としていた。水の魔法で洗い流し、風の魔法で乾燥させる。掃除の時間は思っていたよりも呆気なく終わりを迎えた。


「うん、これで終わりっと。ありがと、ハンミ!」

「ハンミ、って……?」


 いったいどこから持ってきたのか、一升瓶を手にした女の人が店先の段差から立ち上がる。


「ああ、咲崎半美さきざきはんみ。それがあたしの名前だよ……あぁ、うまっ」


 お酒が飲める事から成人である事は間違いない。

 けれど日が高いうちからお酒をあおるその姿は、お世辞にも敬いたいと思えるものではなかった。

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