第8話 装いは淑やかに
見慣れない天井、見慣れない部屋の間取りに内装。
異世界に転移して迎えた初めての朝は、目を覚ますには最適だったかもしれない。抱いていたクッションを離し、シュシュで結んだ髪をほどく。肩を撫でる黒髪から香る甘い蜂蜜の匂い――メロから借りたシャンプーの匂いだ――が、驚きで覚めた脳を落ち着かせてくれる。
朝食と身支度を済ませた私はメロと一緒に、早々に街へと繰り出していた。葵さんとサジはカフェの仕事があるので、今はメロと二人きりだ。
「――うんうん、なるほどなるほど。ルキはそういうのが好みなんだね」
「好みっていうか……でもまあ、そうかな。香りとか、普段使ってるシャンプーに一番近いし。他も見て回っていい?」
「うんっ! このあたりのお店なら、必要な物も大体揃うと思うよ!」
今のところではあるものの、異世界でメロ達と暮らしていくと決めたのはつい昨日の話だ。となれば当然、日用品や着替えなどの生活必需品をひと通り揃える必要がある。
私たちが今いる場所は”商業区”と呼ばれ、街の大通りに面しているおかげか、朝から多くの買い物客で賑わっていた。人の多さもさる事ながら、驚くべき点は他にもいくつかあった。
道行く人々の中には頭に角や獣の耳、しっぽを生やしていたりする人がいた事。
元の世界にも勝るとも劣らない品揃えの化粧品が存在し、ブランドまでが存在した事――この点は衣服も同じであり、部屋着を買うためにと寄ったお店では、ブランド毎に商品分けされている店舗もあった。さらに、
「――お買い上げありがとうございます。こちらの商品、ちっちゃくしちゃいますか?」
「あっ、はい――いや、どういう事ですか……!?」
日用品や雑貨、化粧品などに限り、買った際は持ち歩きやすいよう魔法で小さくしてくれるサービスがある事。「小さくなった商品は数秒、魔力を通せば元のサイズに戻ります」との事だったので、私はメロに促されるまま店員さんにお願いする。
「……キーホルダーみたいになっちゃった」
手のひらサイズと化してしまった購入品を見つめていると、私の顔を覗き込むようにメロが微笑んだ。
「えへ、すごいでしょ?」
「うん……ちょっと羨ましいかも」買い物袋に買ったものを戻しながら、「私のいた世界じゃ、魔法なんてないから」
コンパクトなサイズに収められた物なら元の世界にも存在する。けれど、物自体を小さくするなんて話は見た事も聞いたこともない。
素直に凄いという感想しか思い浮かばず、一方でその感想はメロにも当てはまっていた。
「メロって、顔が広いんだね。店員さんにも覚えられてるみたいだし」
「ん? ああ、まあね」前を歩いていたメロがすぐ隣に歩み寄る。「カフェに来てくれるお客さんでもあるから。みんなよくサービスしてくれるし、優しいんだよ?」
行く先々のお店でいらっしゃいませの次に聞こえてきたのは、「ああ、メロちゃん」と親しげに名を呼ぶ声だった。メロの分け隔てない人柄と性格がなせる業なのかもしれないけど、私の身の回りにはあまりいないタイプだ。
一緒に買い物をしているだけなのに、小さな背中が大きく見える事がある。そういえば今朝、私に付き添いたいと真っ先に名乗り出てくれたのもメロだった。
「……ありがとう、メロ。すごく助かってる」
「えへへ、メロも楽しかったから! また一緒に買い物行こうね♪」
道すがら、感謝の気持ちを伝えると微笑みが返ってくる。
無邪気で心強い、屈託のない笑顔だった。
少なくない量の品物を買ったというのに、小さめの手提げ袋にその全てが収まっていると言えば魔法の凄さが分かるだろうか。
日用品や部屋着、それから普段、私が使っているものと使用感が近い化粧品。必要な物があるというだけで心が軽くなる。行くべき場所は、他にもあった。
「ルキ。ここはもう説明しなくても大丈夫?」
「うん。ギルド……だったよね。昨日来たし、葵さんからも説明された」
街のギルド――今朝、葵さんはこの施設の事を「役所と職業安定所をそのまま足して、他にもいろいろくっつけたような施設」と要約して説明してくれた。どちらも、特に後者に関しては足を踏み入れた事すらないものの、大まかなイメージは掴むことが出来た。
両開きの大きな扉を開けると、天井の高い開放的な空間が私たちを出迎えてくれる。
内装は自然をイメージしているのだろうか、緑や植物をモチーフにしたインテリアが多めで、全体的に穏やかかつ
どうしてギルドへ来たのかというとこの街に、およびこの世界に転移してきたという報告を済ませる必要があったからだ。必ずという訳ではないんだけど、安全とかの
「あ、いたいた。ルキ、あっち!」
手を引かれるまま受付窓口に案内され、メロはカウンター越しに座る女の人に挨拶する。そして私が経緯を含め、軽く自己紹介をすると、
「――あら、ご丁寧にありがとうございます」
清らかで透明感のある声が耳を揺さぶり、たおやかな笑みが返される。
鼻筋の通った端正な顔立ちにフェイスラインのすっきりした輪郭、栗色の
角が生えている。
鹿のように、幾重にも枝分かれした角が。
美人と呼んで差し支えない顔立ちにあるその角は、しかし、どこか神秘的な魅力を与えているようにさえ見える。視線に混じる驚きの感情を察してか、その人は着物の袖で口元を隠しながら控えめに
「本当に転移したばかりなのですね。氷見坂様は」
「……そう、ですね。頭に角が生えてる人を見るのも、初めてで……あ、すみません。勝手に見ちゃって」
「いえ、お構いなく」
そう言ってその人は、ただでさえ
「申し遅れました。私はこのギルドの受付とその他諸々の業務を請け負っている、シオンと申します。この角は
謙遜な態度で詫びるものの、その声はまるで子守唄のように聞き心地のよい声音だった。声に魔力が乗るとどうなってしまうのかは分からないけど、少なくとも今は感情が多少揺さぶられる程度の影響しか出ていない。
さほど気にするほどでもないのかなと合点していると、シオンさんの視線がメロが手にしている買い物袋に向けられる。
「あ……メロちゃん、買い物帰り?」
「うん! さっきまでルキに必要な物を買ってたんだ。これから一緒に暮らしていく訳だし……メロのもちょっと、買っちゃったけど。えへ」
「ふふっ。でも楽しそうだし、私も嬉しいよ」
”ちゃん”付けで呼んでいるところから察していたけれど、シオンさんはメロ達の経営するカフェに通う、いわゆる常連客の一人だった。
話を聞けば休みの日には一緒に買い物をしたり、遊びに出かけたりする間柄らしく、服の趣味も合うらしい。
「どうりで……友達なのかなって思ってました」
「うん、友達!」「ええ、友達です」
視界に収まる赤を基調としたゴスロリ服に、黒を基調とした着物姿。メロのアームカバーとシオンさんの手を覆っている手袋はそれぞれレース素材で、どことなくお揃いのようにも見える。
どちらかと言えばシオンさんの方がレース素材を好んでいるのかなと感じたのは、胸元のリボンや袖、帯を締めるベルトなど、至る所にふんだんにレースが使われていたからだ。
声の重なった二人に笑いかけると、ふと直感が脳裏をよぎる。
記憶力に優れているシオンさんなら、あるいは――
「あの、シオンさん。元の世界――じゃ、伝わらないか。ええと、転移者の人が住んでた世界に帰れる方法を探してるんですけど、何か知ってたり……?」
「帰った人がいるというのは、噂程度には……ですが、具体的な方法は分かりません。仮にあるのだとして、こちらの世界から無事を確かめる術はありませんし」
盲点だった。
トンネルをくぐり抜けることは出来ても、中が真っ暗闇であるならば
異世界側から転移者本人が無事、元の世界にたどり着けたかを判断するのは……たしかに現状、不可能なのかもしれない。
「たしかに……そうですね」
思考を切り替えるように、私は横髪を耳の上にかけなおす。
「ありがとうございました。これからお世話になりますね、シオンさん」
「いえ。こちらこそよろしくお願いします、氷見坂様。メロちゃんもお仕事、頑張ってね」
しぼんだ期待を追い出して言葉を返し、私たちはギルドを後にする。
少しずつ、手がかりを集めていくしかないのかもしれない。
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