第7話 トレース・オブ・ティアーズ


 カフェに着くまでの間、話題の中心に据えられたのは私だった――いや、より具体的に言えば私のスキルだった。まず初めに興味を示したのが葵さんで、それに便乗するような形でメロが、サジがと会話の輪の中に加わっていく。


 戦いの中で瑠稀が感じたことは?

 体の動きに変化はあった?


 ありのままの所感を伝えて共有すると、葵さんは噛みしめるように呟いた。


「瑠稀殿のスキルは、三種類のスタイルを使い分けられるようですな」


 魔力の刃を弾くほどの防御力を見せつけた、『リベンジャー』スタイル。

 機敏かつ柔軟な動きが可能になる、『ハンター』スタイル。

 そして、魔法による攻撃の威力を高める『シューター』スタイル。


 それぞれに特徴の異なるスタイルを使い分けて戦えるという、スキルの持ち主である私からすれば、どこまでも当たり前な事実だった。


 正直な感想を言えば、面倒くさいスキルだとは思う。けれどこの力のおかげで窮地を脱したという点は疑いようがなく、危険な目に遭っても抗う手段を持っているという安心感は端的に言って心強かった。


 足を動かすうち、店先のチョークボードに『サジメロアオイ』と書かれた建物が目に入る。転移した私がメロ達三人に連れ込まれた、あのお店だ。

 名前の由来はおそらく――というかほぼ間違いなく、三人の名前を語呂良くくっつけただけのものだろう。


 中に足を踏み入れればモダンチックな内装が改めて視界に広がり、インテリアや観葉植物、木製の暖かみのある色合いをしたテーブルや椅子などが目にとまった。


「好きな席に座っていいよ、ルキ。メロ達は夕飯の準備するから!」

「暇だったら、そこの棚にある本でも読んでて。葵さん、材料は何がある――?」


 促されるまま適当な席に着くと、脱力ついでに息が漏れる。


 窓から外を覗けば、街灯の明かりがささやかに小道を照らし――転移する前、私が通っていた夜道と少しだけ重なって見えた。




「――ねえねえ、ルキってアイドルだったんでしょ!」


 メロが問いかけてきたのは食後の紅茶を頂いている時だった。

 はたして私にか、それともアイドルに対する興味なのかは分からない。しかし表情に浮かぶ満面の笑みを見れば、興味津々である事は伝わってきた。


「歌ったり踊ったり出来るって言ってたけど、どんな風にするの?」

「あー……ええ、っと……」


 期待のこもったまなざしに、興奮の滲んだ声。言外に「やってみせてほしい」という意思を感じたのは、たぶん、私の気のせいじゃない。


 手前に置かれた紅茶に視線を落とすと、立ち上る桃の香りがさざ波立つ心を落ち着かせてくれる。私はなるべくメロを落ち込ませないよう、慎重に言葉を選びながら、


「ごめん、メロ。今はその……うまく言えないんだけど、そういう気分じゃないんだ。本当に嫌なわけじゃないんだけど、心の準備が出来てないっていうか……」

「ええっ!? うーん……?」


 本当に、と強調してしまったのがまずかっただろうか。

 あるいは、そもそもの言葉選びが良くなかったのかもしれない。


 複雑に感情が混ざり合った面持ちを見ていると、芽生えた罪悪感が瞬く間に胸を満たしていく。しかし、ふと小さく響いた音がメロの視線を引き付けた。ティーカップを置いた葵さんだった。


「メロ殿、無理強いはよくありませぬぞ。瑠稀殿にも何か事情があるのでしょう」


 その心遣いに感謝すると同時に、私は心の中で小さく頷いた。事情と呼べるほど大きなものなのかはさておき、それに値するものは確かにある。


 でも今、私にそれを話す勇気は――考えかけて、申し訳なさそうにこちらへ向き直ったメロともう一度視線が重なった。


「……わかった。ごめんね、ルキ」

「……メロ」

「でも、いつか見てみたいな。ルキの歌ったり、踊ったりするところ」


 かすかに期待を滲ませた、優しい笑顔だった。

 メロの言う”いつか”が果たしていつ来るのか、私には分からない。それでも、返せる言葉はひとつだった。透明な涙をそのまま瞳の形に凝縮したような目を見て私は、


「うん……ありがと、メロ」


 今できる、精一杯の微笑みをメロに返す。アイドルだった頃の自分と、卒業する直前にあった出来事。その二つがフラッシュバックするように、脳裏をよぎりながら。


「それで、瑠稀さんはこれからどうするの?」


 話がひと段落したタイミングを見計らってか、足を組み替えながらサジが呟いた。

 私が、これからこの世界でどうしていくのか。なかば問いかけるように切り出された話題は、今に至るまで、ずっと頭の片隅で考え続けていた事柄だ。


 当然ながらこの世界に私の住んでいた家は無い。暮らしていた街も、通っていた学校も、友達や仲の良い同級生も。そんな当たり前の事に、今更ながら不安で胸が押しつぶされそうになる。


 私はこれからどうすれば――どうなって、しまうんだろう。

 自問自答したその刹那、口を開いたのは再びサジだった。


「こっちとしては……、って感じだよね」


 視線の先にいたメロと葵さんが、それぞれ確信に満ちた表情で頷き返す。


「瑠稀殿さえよければ、ですが。カフェここで共同生活を送れたらとワイは思っています」

「メロも賛成! ルキの事もっと知りたいし、仲良くなりたい!」

「もちろん普通に仕事もしてもらうけど、それで良いなら。部屋もちょうど空いてるし」


 場に漂い始めたあたたかな空気が、抱えていた不安を優しく氷解させていく。同時に、なぜだろう。ふと胸の内に芽生えた新たな疑問が、もどかしくも言葉をせき止める。元の世界に帰れるのだろうか――いや。


 そもそも私は、どちらの世界で生きていたいんだろう。


 根本的な疑問はそこにあった。いっその事、元の世界に戻らず異世界で生きていくのも良いのかもしれない。メロにお礼を言った時、フラッシュバックした記憶が甘く耳元で囁きかける。かつての自分がした事が、今の私に影を落とす。


「失礼ですが……瑠稀殿は迷っておられる? 元の世界に、帰るか否かで」

「えっ……?」


 心の中を見透かしたような言葉だった。思わず閉口してしまい、私の反応に合点がいったのか、


「ああ、いえ。ワイも似たような感じなので、もしかしたらと」葵さんは指の甲でさらりと髪の毛を撫でた。「ですが帰りたいと思う気持ちも、この世界にとどまりたいと思う気持ちも……どちらも尊重されてしかるべきものだと、ワイは思います。責任は生じますが、それが自由というものでしょう」


 その言葉は何かから引用したセリフなのだろうか。無粋ぶすいにもそんな事を思ってしまったのは、葵さんの口ぶりに若干、たどたどしさが滲んでいたからだ。


 けれど――肩の荷がふっと下りたような心地になる。


 結論が出た訳じゃない。私の過去が断ち切れた訳でもない。

 でも、今抱えている迷いにはさよならを告げられそうだった。


「……そうですね。迷ってるのは本当です」


 「でも」と続けて、私は目の前にいる三人の顔を見る。


「自分の事とか、過去に向き合いたいって思ったのも本当で……なんでだろう。みんなとなら、見つけられそうな気がしたんです。少しずつかもしれないけど、だから」


 ふっと息を吐き、垂れ下がった横髪を耳の上にかけなおす。そのまま淡く微笑むと三人から――いや、みんなから向けられる慎ましい笑みが目に入る。それがなんだか、誇らしかった。


「これからよろしくお願いします。メロ、サジ、葵さん」





「……すご」


 割り当てられた自分の部屋のベッドの上で、私はひとり微笑んでいた。


 視線の先にあるスマホには仏頂面のサジ、目線がやや上に行き過ぎたメロ、見切れている葵さん――そして一人、画角を気にして映る私の姿が映っている。夕食の後、みんなで記念にと私が撮った写真だ。


 見事なまでにとりとめがなく、けれど今は、そんな一枚も悪くないと思えた。


 今日あった出来事を逡巡しゅんじゅんしつつ、私は枕元に置いていたシュシュを手に取り、後ろ髪を首の横でひとつにまとめる。シャンプーやヘアブラシはメロから借りて、諸々のケアも済ませてある。スマホのロック画面を一瞥いちべつして、私は体を横にした。


「信じられないよね……異世界とか」 


 異世界に転移して迎えた初めての夜。そしていつまでかは分からないけど、みんなと一緒に過ごすことを決めた夜。まぶたを下ろし、脳裏に浮かんだのは私が所属していた、アイドルユニットの名前だった。


 トレース・オブ・ティアーズ。涙の跡。


 あの日見た涙の先で、私はなにを見つけるんだろう――

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