第3話 簡単なお仕事


 小道を抜けて大通りと思しき道へ出ると、私は視界に広がる街並みに目を疑った。


 ビルも駅もない。それどころか普段見慣れている住宅街すらもなく、あるのは西洋の国々か、ファンタジー小説にでも出てきそうな洋風の住居が大半を占めている。半信半疑だった葵さんの話を信じるほかないと感じたのは、何も周りにある家々だけが要因ではなかった。


 格好だけで決めつけるのは早計かもしれないけど、先ほどからすれ違う人たちの中には私や葵さんと同じ、現代的な装いに身を包んだ人たちもいる。転移者の人達が、異世界に住む人たちと共に過ごしている。


 ちょうど今の私が、隣を歩くメロと会話をしているように。


「ルキって、アオイと纏ってるオーラが違う気がする。人と話すの慣れてるっていうか」

「そうかな? まあ、元の世界でアイドルやってたからかも……」


 口にして、少し後悔した。


 手短に相槌を打つ筈だったのに、わざわざアイドルという単語を出してしまったのは周囲の風景に気を取られていたせいに違いない。反省もむなしく、メロはその単語を拾い上げる。


「あい、どる……って?」

「ええっと……お客さんの前で歌ったり、踊ったりする人のこと。あとは観に来てくれた人と握手したり、一緒に写真撮ったり」

「すごっ!? なんだか面白そう!」


 楽しいよと返すべきか、楽しかったよと返すべきなのか。


 迷った挙句、私は控えめに微笑みながら「まあね」とだけ相槌を返した。目を輝かせてはしゃぐメロを前に、がっかりさせてしまうような態度はとりたくなかった。


瑠稀るき殿」前を歩く葵さんがこちらに振り返り、「そろそろ街を出ますぞ。少し歩いたところに森がありますゆえ、今からそこへ向かいます」

「わかりました。……そういえば聞いてなかったんですけど、依頼の内容って何なんですか?」


 ふと気になった事を問いかけると、葵さんは思い出したように、


「ただの採取依頼です。指定された果物を、指定された分ってくるだけの、簡単なお仕事です」




 街はずれにある森に着くまでそう時間はかからなかった。


 木々の隙間を通り抜けていく風は心地よい涼感りょうかんを運び、澄んだ空気をいっそう瑞々しくさせている。さざめく葉音に顔を上げれば、手が届くほどの位置には彩り豊かな果実が実っていた。


 簡単な仕事とはいえ依頼は依頼、しっかりこなさないと――気を引き締める私の内心とは裏腹に、作業自体は至極しごく順調、かつ単純に進んでゆく。


 森へ入る前に葵さんから渡されたバスケットは、ものの十数分もしないうちに採取した果物で満たされた。


「葵さん。こんな感じでどうですか?」


 バスケットを片手に、スマホの画面とその中身を交互に眺めている葵さんに声を掛ける。おそらくスマホにメモした果物の個数と種類の確認をしているのだろう。ほどなくして私のバスケットの中身を確認すると、


「……ふむ。問題なさそうですな。ありがとうございます、瑠稀殿」

「ありがとうございます。……なんだかその呼ばれ方、慣れるのに時間かかりそうです」


 今さらかもしれないけど、葵さんは私に限らず、メロやサジに対しても”殿”という敬称をつける。


 さらにはその口調も相まって、私の中ではどうしても――アイドルのファンと言うべきか、言葉を選ばずに言ってしまうなら、所謂いわゆる”オタク”のように見えてしまう。


 そういった人は私のファンにもいたから特別嫌っているわけではないけれど、葵さんの身なりがお洒落さを意識したものだと分かるから、そのギャップがどうしても気になっていた。


「むむっ、これは失敬」葵さんは髪の毛先を指の甲で撫で、「これはまあ……クセのようなものなので、スルーして頂けるとワイ的に大感謝です」

「あ、いや……! 逆にこっちの方こそすみません、急にこんな事――」


 苦笑いに申し訳なさを滲ませていると木々のさざめきに混じって聞こえる、溌溂はつらつとした声が私たちを振り向かせる。手分けして作業していたメロとサジだ。


 二人は駆け寄るなり葵さんにバスケットを見せ、


「葵さん、メロがちょっとつまみ食いしてたよ。あとたぶん、余計にとり過ぎてる」

「ちょっ、ぅええっ!? サジ見てたの?」

「見てた。リンゴ、隠れてつまんでたでしょ。食べかす口についてるし」


 サジの指摘に目を向ければ、たしかにメロの口の端にはリンゴの種のようなものがくっついていた。慌てて口元を拭うメロに、再び苦笑いが浮かんでしまう。


「あ……あの、葵さん。余計にとった分はどうするんですか?」

「特にどうしろとは言われておりませぬが……とはいえ、捨てるのももったいないですしな」

「あっ、じゃあはいはい!」メロがこれ見よがしに手を挙げ、「持って帰って、今日のご飯にしちゃうのはどうかな?」

「……泥棒」


 サジのぼそりとした呟きに返ってきたのは、まるで猫が威嚇いかくをする時のようなメロの声だった。私が小さく吹き出すと葵さんにまで笑いが伝播でんぱし、顔を見合わせていたメロとサジにも笑顔がうつる。一周した笑いをはやし立てるように風が吹いて、私たちはそのまま笑い合った。


 天真爛漫で人懐っこい性格のメロに、常に冷静に物事を捉えているサジ。喋り方は独特だけど、二人をきちんとまとめている葵さん。


 三人の人柄はこうして笑い合うまでの間にも十分伝わってきて、胸に去来する心地よさが不安を取り去ってくれる――いや。


 ただ純粋に居心地がいいと、私はそう思った。


「……私はいいと思う。リンゴ、少しだけならね」


 思っていた事がするりと呟ける。私の言葉に真っ先に気を良くしたのは、もちろんメロだった。


「えへ、ルキもやっぱりそう思う? これ美味しかったから、みんなで食べたらきっともっと美味しくなるよ!」

「と言っておりますが、サジ殿はいかがですかな? ワイは賛成派ですが」

「……おれも賛成。ただまあ、次はやっちゃだめだよ。メロ」


 不服そうな気配もなく、サジは素直に笑みをこぼす。すると、


「――っ! 何奴かっ!?」


 ぱきり、と枝の折れる音が耳を震わせ、矢のように葵さんが声を飛ばす。


 私たち以外の、何かがいる。

 脳裏を直感がよぎった時、枝を踏んだ主はあっさりと木陰から姿を現した。


 ”何もしない”という意思表示をするようにわざとらしく両手を挙げながら出てきたのは男の人で、どことなく軽薄そうな雰囲気を身に纏っている。


 さらに背後に控えていたのは鎧を着こんだ大柄な男の人に、軽装に身を包んだ女の人、もう一人は――外套がいとうにフードを目深に被っているから性別は分からない。けれどメロ達の反応から察するに、知り合いという可能性は低いだろう。


 私たちが警戒していると、口を開いたのは軽薄そうな男の人だった。


「おおっ、っとぉ……! 悪い悪い、驚かせようってワケじゃあないんだ。な?」

「……誰なの? おにーさんたち」


 言いながら私の目の前にメロが立つ。声に滲む語気は鋭く、間髪入れずに鎧を着た男の人がメロを指さす。


「見たぞ。お前が余分にリンゴをとっていたのを」

「アタシたち、たぶん同じ依頼受けてたと思うんだけどさぁ。その子がとり過ぎちゃったせいで達成できなくなっちゃった」


 女の人が嫌味を含ませつつ言うと、はっとしたようにメロは口に手を当て、


「ウソっ……!? も、もしかしてつまみ食いしてるところも……?」

「いや、それは知らんが」

「えっ」

「でもつまみ食いもしてたんだ。ダメじゃん、それ」

「えっ、ええっ……!?」

「……瑠稀さん。さっきの提案、やっぱり反対に一票で」

「サジ、それ今言ってもどうにもならないと思うけど……」


 返事代わりにため息が返され、一方で安心していたのも事実だった。リンゴが足りなくて依頼を達成できないのなら、私たちが余分に持っている分を分ければいい。


 解決策はごくシンプルで、同じ発想に行き当たったであろう葵さんがすぐに提案した。


「なるほど。であれば、余った分のリンゴをそちらに」

「あー……いや、いい。やっぱいいわ」

「は……?」


 何が”いい”のか捉えあぐねていると、軽薄そうな男の人はいびつに口角を吊り上げる。まるで悪だくみをしているかのような――その予感は、すぐに確信へと変わった。


「まあここで話を丸く収めるより……そっちのミスをギルドに報告した方がいろいろオイシイのかな、ってね」

「つまみ食いに依頼の達成妨害。ギルドへの告げ口としては、いい材料だ」


 鉄の籠手こてが背負った大剣の柄を掴み、


「で、アタシたちの懐には多めに報酬が入ってくると……ふふ、最高」

「へえ……結構頭いいね、あんたたち」


 両袖から取り出したナイフを逆手に構え、切っ先が木漏れ日を反射する。サジの軽口に付き合える余裕は、少なくとも今の私にはなかった。


 今から起こるのは――きっと戦いだ。


 いたずらに吹くそよ風が、神経を逆撫でするように私の髪を弄ぶ。肌を刺すような鋭い敵意が、湧き起こる胸騒ぎが、如実にょじつにそれを訴えかけていた。


「葵さん、いける?」

「ええ、イメトレは済ませました。売られた喧嘩、買って返すがワイの流儀……!」

「メロから離れないでね、ルキ。あの人たちボッコボコにしちゃうんだから!」

「う、うん……!」


 メロから離れない事。それを今一度深く、頭の中に刻み込むと、隣にいる葵さんとサジもメロと同じく戦闘態勢に入っていた。


 お互い戦える人数は、戦力的にはちょうど互角――


「……いなくなってる……?」


 気付いた瞬間、私は視線を左右に動かしていた。

 対面する相手方。いつの間にか姿を消している、一人の影を追って。

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