第2話 『サジメロアオイ』


「ワイの名前は花江葵はなえあおい、瑠稀殿と同じ”転移者”です。どうぞ、今後ともヨロシク」


 モダンチックな内装の店内に、独特な口調とは対照的な澄んだ声音が響き渡る。

 軽く会釈したのに合わせてボブカットが揺れ、ハネ気味にアレンジされた襟足からはターコイズブルー色のインナーカラーがちらりと垣間見えた。


 花江葵さん。

 今、四人用のテーブルを挟んで私の正面に座るこの人は、私と同じ転移者――別の世界からこの世界に転移してきた者を指す言葉らしい――らしく、それを証明するかのように現代的な装いに身を包んでいた。


 ワンショルダーのTシャツは左肩に肩紐がついており、袖口とアシンメトリーな裾とが広がったゆるめのシルエットを描いている。


 ナチュラル寄りのメイクは自分で施したのだろうか。顔のパーツも小綺麗にまとまり、その装いとあわせて私に親近感を抱かせた。


「……私は氷見坂瑠稀ひみさかるきって言います」


 葵さんの目を見て、私も軽い自己紹介を返す。


「正直、まだ全然状況が飲み込めてませんけど……よろしくお願いしますね。ええと、葵……

「ぬ? さん付け……?」


 ぴくりと眉根が動き、かすかな緊張が私の背筋を駆け抜ける。


 背格好から見て私より年下くらいかな、でも初対面の人だし、いきなり年齢を聞くのも――諸々もろもろの葛藤を踏まえたうえでの”さん”付けは、はたしてすぐに奏功そうこうした。


「お気遣いありがとうございます。初対面の人間に呼び捨てされるのが、すこぶる苦手な民でして……ワイは二十歳ハタチですが、瑠稀殿はおいくつで?」

「…………十八です。年上、だったんですね。意外って言うか……」


 こちらの戸惑いを和らげるような笑みが返されると、お店の奥から軽やかな足取りが迫ってきた。グラスやティーカップが揺れる音に混じって聞こえる、小気味よい足音。その主は、私たちの着いているテーブルで足を止める。


「紅茶、飲める?」


 私の手前に置かれた、桃の香り漂う紅茶が目に入る。同時にその子の手指に施された黒のネイルも。


「……飲めるけど」

「よかったぁ~!」するとその子は私の隣に座り、「えへへっ、口に合うといいんだけど♪」


 ずい、と体を寄せてきた拍子に香った甘い香りは、この子の鮮やかな金髪からだろう。フリルの赤いヘッドドレスとアッシュブロンドの髪色は、見事なコントラストをかもし出していた。


 その子が人懐っこく腕を絡めてきたのに驚きつつ、すすめられるまま紅茶を口にすると、


「……美味しい」


 口いっぱいに広がる芳醇な香りと口当たりの良さに、思わず感想が漏れてしまった。


「それ、メロが淹れたんだよ? えへへ~、褒めてもらえて嬉しい!」

「メロ……? 葵さん、この子は?」

「メロ殿は”この世界”の住人です。ワイら転移者とは違いますな」


 先ほども目についた金髪に加え、メロの身にまとうゴスロリ服が改めて視界に収まった。ブラウスの上に着用されたジャンパースカートはワインレッドのような赤みをもち、花、月、蝶など、和柄の意匠が凝らされている。


 袖や裾にはフリルがふんだんに使われ、特にスカートは層状にフリルがあしらわれているため、可憐なイメージをより強く印象付けていた。けれど、


「どうしたの? メロの顔見て」

「あ……ううん」私は淡く微笑んで、「メイク、似合ってるなって」


 目元は泣き腫らしたような強めの赤で彩られ、それでいて肌は透明感のある人形のように色白い――いわゆるドールメイクと呼ばれるメイクが、私の中では殊更ことさら印象的だった。


 声音は鈴の音のように玲瓏れいろうで、仕草の端々からは人懐っこさが滲み出ている。私の言葉に気を良くしたのかメロは口元を手で隠し、大げさなくらいに喜んでくれた。


「……メロ、声大きい。外まで聞こえるよ」


 そこへとりどりの果実が盛り付けられたパフェを人数分、キッチンワゴンに乗せて押してきたのが白髪の男の子――サジだった。


「あっサジ! 早く早く、メロはイチゴのってるやつがいい!」

「まあまあメロ殿。瑠稀殿のお好みは?」

「私ですか? どれも好きですけど……」

「……一応、おすすめはこれ。どれもそんなに変わらないと思うけど」


 細い指先がパフェのグラスを掴み、視線を上げれば綺麗な朱色の唇と、襟足の長いウルフカットに理髪された髪型が目に入る。かすかに揺れた髪の隙間からはいくつものピアスが見え、少しだけ近寄りがたい雰囲気を感じてしまう。


 中でもひと際に目を惹いたのがその装いだった。


 裾に装飾が施されたワイシャツをほぼ裸の上半身に一枚羽織っているのみと、ある意味私たちの中でもっとも個性的な恰好かっこうをしている。胸に巻かれているのは包帯だろうか。


「よろしく。ええと……」ふと空色の瞳がこちらに向けられ、「葵さん、この人の名前は?」

「ふっ……では自己紹介と、瑠稀殿の状況整理も兼ねて。ひとつ食事と参りましょうか。この世界とその他諸々について、知っておく必要があるでしょう」


 葵さんの言葉に端を発し、二転、三転と変わる話題の中。私は自らが置かれた状況を理解していく。


 なんとか現状を把握できたのは、ちょうどパフェを食べ終えた頃だった。




ていに申し上げるなら、ワイらが今いる世界は”異世界”という事になります」


 食事中、葵さんが口にした言葉はなんとも現実味のないものだった。


 異世界には魔法があり、魔物がいて、それ以外にもまあざっくり、ワイらの世界や常識では考えられないような事が起きます――元の世界であれば正気を疑われかねない言動の数々は、メロやサジが要所要所で補足説明を挟んでくれたのもあり、意外にも理解するのに時間はかからなかった。


 この世界は、異世界。

 そして別の世界から転移してきた私や葵さんは、総じて”転移者”と呼ばれる事。


 情報が散らばらないよう整理しつつ、私と葵さんは互いにスマホを操作していた。


「瑠稀殿、”イセスタ”は使えますかな?」

「はい。大丈夫みたいですけど……なんなんですか、これ?」


 画面上に表示されたひとつのアプリ、イセスタを見ながら私は呟く。


「転移者が転移した際、スマホには必ずそれがインストールされると風の噂で耳にした事があります。詳細や原理は不明ですが――」


 続く説明は、自分が置かれている状況を理解するより簡単だった。


 結論から言うと、私たちが元の世界で使っていたアプリはごく一部を除いて、異世界では使えない。イセスタは言うなれば、この世界におけるSNS。


 連絡先を交換した相手とメッセージを交わせたり、その他にもカメラを使って写真を撮ったり、動画を撮ったり、スマホに入れられている音楽を聴けたり……これに関しては葵さんが独自に調べたのだろう。言葉の端々に説得力が感じられた。


「……なるほど。色々教えてくれてありがとうございます」


 お礼を告げて、私はイセスタのメッセージ機能を起動する。


「よかったら連絡先、交換しませんか? もしかしたら、今後使うかもしれませんし……」

「おおう!? ……りょ、了解ですぞ。素直に連絡先を聞けるとは、もしや瑠稀殿は陽の者か……?」


 偏見に満ちた言葉が聞こえてきたけど……陰とか陽とか関係なく、私がこうしたのはただ単純に心細さに勝てなかったからだ。


 お互いにスマホをしまうと、ちょうど食器を片付け終わったメロとサジがテーブルに帰ってきた。


「葵さん、そろそろ依頼の時間だけど」


 サジが口にした依頼という言葉の意味も、葵さんから聞いていた。大雑把に言ってしまえば、私たちの世界で言うアルバイトと変わらない。与えられた仕事をこなし、対価として報酬をもらう。基本的な労働の仕組みはこの世界でも同じだった。


「うぅ……ご飯食べた後って、なんか動きたくなくなっちゃうんだけど……」

「……メロ。それ、私も手伝っちゃダメかな?」


 半分無意識で唇が動く。けれどここで動かなかったら、一人このお店に置き去りにされるんじゃないかという、漠然とした恐怖があった。


「えっ!? いいのルキ?」


 メロはぱっと瞳を輝かせ、


「待った、メロ」しかしすぐにサジが割り込んだ。「今日のは単純な依頼だけど、魔物が出るかもって書いてあった。危険だよ」

「えぇ~……? でも、そうなったらメロがルキの事守ればいいでしょ? それに、一人でお留守番させる方が寂しいと思うんだけど……」


 図星だった。胸の内をみ取ったかのような言葉に、思わず安堵してしまう。


 澄んだ水色の瞳を向けながら「ね~?」と様子を窺ってくるメロに頷き返すと、指の甲で髪の毛先を撫でていた葵さんが口を開いた。


「たしかに、メロ殿の意見にも一理ありますな。それに今後の事を考えれば、なおさらそうした方が良いような気がします」

「……異世界で生活しなきゃいけないから、か」


 サジの言葉に息が詰まりそうになる。少なくとも今、私はまったく知らない世界で生活しなければならない。


 そのことを不安に思うと同時に、けれど三人が私の事を気遣ってくれているのは、これまでのやり取りから十分に察することが出来た。大丈夫。思っていたよりも、不安じゃない。


「……メロ。瑠稀さんの事、ちゃんと守れる?」

「当然っ!」


 自信満々に胸を張ったメロの言葉に、サジがやれやれといった様子で首を掻く。


「おれも一応見ておくけど……気を付けて。何かあったら、すぐおれ達を呼んで」

「……うん、分かった。なるべく迷惑かけないよう、気を付けるから」

「まあ、あまり肩肘を張らずに。ワイらから離れなければ大丈夫ですゆえ」


 ――不思議だ。

 会って間もない筈なのに、私はこの三人といることに安心感を覚え始めている。


「じゃあ行こ! ルキ!」

「うん。……ありがと、メロ」


 小さな手に引かれるまま、私たちはカフェを後にする。

 気だるげな午後のそよ風に、頬を撫でられながら。

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