第14話 密偵in王宮

「い、いやぁああああ! お、おやめください! お許しを……!!」


 王宮に女性の絹を裂くような悲鳴が響き渡る。一体何事だと、衛兵を連れて声の聞こえた方へと彼は向かった。


「どうされたのですか、義姉上!」

「……ん? あら、レナール。どうしたの?」

「ど、どうしたのも何も……。一体、何をしてるんで、すか」


 こちらを見てぱちくり目を瞬かせる、腹違いの義姉。リーシェ・ド・サンティエ。

 当時10歳だった彼女は悪びれた様子もなく、ガタガタと震えるメイドの長髪を乱暴に片手でつかみあげ、炎を纏わせた指で彼女の髪をじりじりと炙っていた。


「うっ、うっ……! 殿下ぁ……!」


 彼に助けを求め、ずり、と這い寄ろうとした彼女の前に逃がさないとでもいうように人一人分ほどの大きさの火柱がたつ。その場で泣き崩れるメイドの髪は本来美しいストレートヘアだったのだろうが、可哀想なことに半分以上焼け焦げ縮れてしまっていた。


「あらあら、じっとしてなくちゃ危ないわよ」

「義姉上、もうおやめください! どうしてこんな!」

「どうしてって……、このメイド、私のマガリーにひどいことを言ったんですもの。おかげで彼女、泣いてたわ」

「それだけのことで?!」

「もう! それだけのことってなに?」

「だって、そんな、そんなの、ほかに仲裁する方法はいくらでもあったでしょう。彼女の罪は殺されるほどのものではないでしょう……?」

「ええ、そうね。だから、殺さないでで許してあげようと思ったの。次はないけれどね」


 彼がくすくす笑う義姉を少女の形をした悪魔だと思ったのは確かこの時だったように思う。怯える彼に微笑んでいた彼女の顔からふいにすべての表情が抜け落ちた。


「それに、私より……ひどいのはあなたの息子でしょう? あなたの言うように仲裁する方法はいくらでもあったはずじゃない。そもそも私の娘が罪を犯したと本当にあなたは思っているの? 踏みとどまる時間だって、たくさんあったはずなのに」

「なにをいって……」


「安心して、レナール。あなたのことは殺さないわ。私、わかっているもの。あなたは息子に懇願されたから、教会に縁を切られそうになったから、貴族議会でも過半数が賛成したから、それに応えただけ。昔っから、自分で何かを決めるのは苦手だったものね。あなたに玉座を押し付けたこと、実はちょっぴり悪かったと思っているの。元々、あなたは王の器じゃなかった、ただそれだけ――」

「そ、そんなこと! そんなことはない! 私は、私はしっかりやれている! 義姉上の代わりなんかじゃない!」

「……そう?」


 意地悪そうに笑う彼女の顔がぼやけて、彼――エトナル魔術王国第14代国王、レナール・ド・サンティエは目を覚ました。最近疲れがたまっていたせいか、執務室でうたたねをしてしまっていたようだ。じっとりとした嫌な汗が頬を伝う。


「……はぁ」


 レナールはズキズキと痛む頭を押さえる。一体、どうしてこんなことになってしまったのだろう。


 そもそもレナールは王位継承権が最も低く、誰もが適当な爵位を与えられてひっそり暮らすだろうと疑わなかった王子であった。


 エトナル魔術王国では何よりも魔術の才能が重要視されている。それは王家も例外ではなく、次期王は男女関係なく王族の中で最も優れた魔術使いが選ばれるという慣習があった。


 闇と炎の魔術に優れ、類いまれなる才能を持った第二王妃の娘、リーシェは幸いにも恋に溺れ、王宮を去り。彼女ほどではなかったが、できのいい第一王妃の息子達は流行り病に倒れた。魔術も人並みで第三王妃の息子であるレナールが今、こうして玉座に座れているのは単に偶然が重なっただけにすぎない。


 そのせいか彼は、ひどく周りの目を気にする王となってしまった。国民、貴族たち、教会――彼らの顔色を窺い、体面を気にする王。それは、決して良き王といえる姿ではなかったが、それで円滑に進んでいた物事も少なからずあったためまず無難な王といって差し支えなかった。


 しかし、いくつかの家門は大っぴらには言えないものの未だに「やはり、リーシェ様が女王になられた方が良かったのでは」「あのような凡愚では……」などと不満を抱いているのもまた事実であった。


 それらの声を黙らせ、貴族を一つにまとめ上げるためにもカイルとネージュの結婚は重要だったのである。それがまさか、こんな不祥事で破談になるなど想像できるはずもない。


 ……結局、姪を犠牲にすることを選んだ。彼女に落ち度がないことはわかっていた。しかし、カイルがあんな目立つ場でネージュを糾弾したせいで貴族だけでなく、国民にまで噂は恐ろしい速さで広まってしまったし、第一息子を廃位してしまっては一体だれが次の王になる? 


 レナールは兄達と同じく流行り病に倒れてしまった亡き妻を愛していたし、跡継ぎがそう何人もいては争いの種になると考え、新たに妃を迎えることを頑なに拒絶していた。それが今、裏目に出ていた。


 カイルが廃位されたなら、順当に考えれば甥のセルジェこそ王位にふさわしいだろう。だがしかし、彼はダメだ。母親に似て、カッとなりやすい性格にくわえ、他人を見下す節がある。決していい王になれはしないだろう。だからやはり、私は間違っていないのだ。


 レナールはあれこれと心の中で言い訳を並べ立て、自身を納得させようとした。自分の息子に跡を継いでほしいだけ――そんな本心から目をそらして。


「陛下、お飲み物をお持ちいたしました」

「入れ」


 そこへ、やけにすらりとした手足の見目麗しいボーイがサービングカートを押しながらやってきた。礼をとり、美しい所作で茶を淹れる男の顔をレナールはぼんやりと眺めた。はてこんな男、王宮にいただろうか。


 そこまで考えて、「ああ、聖女のために増やした人員か」と新しく雇った使用人のうちの一人であることを思い出した。確かジュスト子爵家の五男坊だったか。


「陛下、どうぞお召し上がりください」


 彼は最後にティーカップに角砂糖を一つ落とし、くるりと銀製のティースプーンでかき混ぜると恭しくそれをレナールに献上した。ちょうど嫌な夢を見て、のどが渇いていたため、それを一気に飲みほす。


 熱すぎず、ぬるすぎず、最高の状態で提供された茶の香りが鼻から抜けていって、心が凪いでいくのを感じる。あまりの美味さに一口で飲んでしまったことがもったいなく感じられ、おかわりを所望するレナール。二杯目も飲み終わったころには、心なしか頭痛も和らいだような気がした。


「ご苦労」

「陛下にお気に召して頂けたようで光栄の至りに存じます。それでは、失礼いたします」


 ボーイは品の良い笑みを浮かべると、くるりと踵を返した。レナールも穏やかな笑みを浮かべて、彼を見送る。執務机にあしらわれた宝石の一つがぽっかり消えたのに気づかないまま。


 ✱✱✱


 カツカツ、と規則正しい音を立てて、陛下の御前を去った男はルンルンと足を弾ませる。今日は待ちに待った給料日である。さっき、陛下からも頂いたことだし、今日は御馳走だ。


「やぁ、アルノ―。どうだ、お前のお茶は最高だから陛下も驚いてたろう」

「そんなそんな、わたくしのお茶なんて普通ですよ。あんまりからかわないでください。そもそも陛下の御前にわたくしなんかが給仕するなんて冷や汗ものだったんですから何を仰ってたかも覚えてませんよ」

「普通なもんか! お前のお茶に比べれば、俺の淹れたお茶なんて色の付いた水さ。まだ経験年数の浅いお前を陛下にお目通りさせてやったようなもんだろ。感謝してくれなくちゃな」


 じろりと恨めし気に先輩を男は睨んだが、彼は「へへん」と快活に笑いながら、気にした様子はない。普段はこうなくせに、職務中は人が変わったように礼儀正しくできるのだから人間というのは不思議だ。


「……それで、今日はもうあがりですかね?」

「そうだな、ご苦労さん。ほら、大事に使えよ」

「ありがとうございます!」

「まったく、現金なやつだな」


 先輩に打って変わって、にこにことほほ笑みながら挨拶をし、男は王宮を出ていく。城門を出るころにはあたりは薄暗く、ちらほらとガス灯の明かりがともり始めていた。人気のない路地に入って、どっかりとその辺の樽の上に腰を下ろし、膝を組む。


「ちゃんとお給金もいただいたし、聞きたいことも大体聞けましたし。んー、聖女様のお眼鏡にかなったこの面の皮もそろそろ終わりですかネ」


 男がぽつりと呟くとドロドロと顔のパーツが溶けだし、一瞬銀色のつるりとしたのっぺらぼうが現れた。かと思えば、ハシバミ色の髪の隙間からペリドットのように輝く優し気な瞳が覗いている好青年――彼の最も落ち着く顔へと変化していく。


「さて、お待ちかねのお食事ターイム」


 彼は鼻歌を歌いながら給金袋に手を突っ込み、金貨を一枚取り出すと2、3回コイントスをした後空中の金貨に食らいつき、そのままゴクリと飲み干した。


「んー! やっぱり、金貨は最高デスネ! なんとも深みのあるお味……」


 続いて彼は懐から陛下より拝借した宝石を細くしなやかな指でつまみあげ、取り出すと「あー」と口を開けて、自身の喉へと放り込む。


「ふむふむ。これまたなんとも上品でさわやかな……、ソルベのような後味デスネ」


 ぺろりと指先をなめて、立ち上がると彼は馬車乗り場へとやってきた。


「おや、どこまで行きますか?」

「ルーマル渓谷近くまでお願いします」

「なんだい兄さん。あんたみたいな優男が冒険者なのかい?」

「ええ、まあ」

「人は見かけによらないもんだね。じゃあ、行きましょうか」


 気さくな親父と声を交わして、馬車に乗る。どうやら同乗者はいないようで少し男はがっかりした。退屈な旅路になりそうである。


「それにしても、聖女は本当に覚醒してるんですかネ」


 聖女が覚醒して、イスベルグ公爵令嬢の悪逆を見破ったというのは今、話題のニュースだが男は腑に落ちなかった。聖力が闇魔術を見破れるほどに強くなっているというのなら、あんなにベタベタ接近してきたのにこちらの正体にちっとも気づかない様子だったのはおかしいんじゃないかと思うのだ。


「あ! そうでした! 魔王様にご連絡しなければ」


 男は懐に入れた丸鏡を取り出し、応答を待つ。しばらくして、鏡の向こうに彼の主の姿が映った。


「ご無沙汰しております、魔王様」

「アルバか、久しいな。何か聖女の情報は得られたか?」

「んー、それですが、わたくしが思いますに、聖女は覚醒してませんネ。おそらく、公爵令嬢は嵌められただけじゃないでしょうか?」

「そうか……、ならいい。可能なら、こちらに来る途中にイスベルグ公爵領にもよってこい。使える人間かもしれないからな」

「かしこまりました、魔王様のお望みとあらば」


 通信を切り、横になった男――アルバ――はまだ見ぬ公爵令嬢に思いを馳せる。

 イスベルグ公爵領は海に面した貿易港を持ち、魔道具のやり取りが盛んでめっぽう景気の良い領地と聞いている。ならば、きっと公爵家には山のような金貨の貯蔵があることだろう。


「楽しみですネ。最近は魔王様も懐が寂しいご様子。この際、主を公爵令嬢に鞍替えするのもアリかもしれません。金の切れ目が縁の切れ目。わたくし、文字通り金喰いですので」


 彼はもうすっかり軽くなってしまった給金袋をひらひらと振って、うっそりと笑った。

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悪の救世主ルートが解放されました!~破滅した悪役令嬢が悪役達を救ったら、最強国家が誕生しました~ 隆島りこ @riko1111

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