聖・3


 それから数分後、暗い森の中を二人は歩いていた。木々の隙間に精霊の囁き声が聞こえてくる。

 ターリアは端末で足元を照らし、大きなリュックを背負ってえっちらおっちらと後をついてくるキョウヤを振り返ることなく真っ直ぐ歩いた。

「おれさ、小さい頃にもこうやって、誰かの後をくっついて歩いたことがあるんだ。こんな森の中を」

 キョウヤは記憶を辿るように、地面を見つめながら足を運んでいる。ターリアはその様子を眺めて、もしかしてこいつを撒くなら今のうちなんじゃないかと意地悪いことを考えたりした。

「ね、ねえ、」

「何だよ」

「おれのか、勘違いじゃないなら、このまま歩いてると森を出ちゃうんじゃないかな……」 

 ターリアの返事が聞こえなかったため、心配になったキョウヤはもう一度声をかけようとして、微かに前方で沈黙を打つような舌打ちを聞いた。

「あっ舌打ちした! したよね?」

「うるさい、急に大声出すな。一日にあの長距離を何度も往復できるか」

「えっまさか帰るつもりだったの!?」

「当たり前だろ、そもそもこんな時間に押しかけられたら迷惑に決まってる」

「そんな、一緒に出発してくれるからてっきり案内してくれてるのかと」

「僕は今すぐ届けに行くなんて言ってない」

 キョウヤは「そんなあ……」と呟いてがっくり脱力した。その様子をターリアは盗み見て、困ったように唇を震わせる。

 細くて小柄な身体より大きなリュックを背負い、帽子に妙な髪留めを噛ませているこの少年。どこから来て、どうしてこんな森の中にテントを張っていたのかは知らない。届けるのは明日だと言われてそれでもまだちょこちょこついてくるけれど、予定が崩れて一体これからどうするつもりなのか。事情を聞くつもりもなかったのだが、このままずっとついてこられても困る。

「おい、」

「なに、リアちゃん」

「何だリアちゃんって」

「え? ターリアちゃんだから……」

 ただのあだ名だったら多めに見ているところだが、これは訂正するべきだろう。ターリアはため息をついて足を止め、振り返った。

「……ひっ……」

 キョウヤが哀れな声を出したのは、車椅子を置いて戻ってきたターリアに胸倉をつかまれたから。ターリアは自分より背の低い彼を冷たく見下ろして、あえて低い声で告げた。

「……言っておくけど僕は男だぞ」

「……、えっ、えええええ!」

 キョウヤが大声で驚きを表現するので、ターリアは耳に強いダメージを受けて掴んでいた服を離した。引き寄せられて爪先でバランスをとっていたのに急に自由になったキョウヤはふらふらと後退する。

「うるさ……」

 キョウヤの甲高い叫びと同時に、いくつか羽ばたきの音が重なって聞こえた。何羽かの鳥が驚いて目覚めてしまったのだろうか。傍迷惑な話である。

「だ、だって、でもこんな美人さん……あ、ごめ……っ」

「そりゃ美人だろうよ。遺伝だからな。」褒められ慣れているのか、ターリアは挑発でも皮肉でもなくさらりと言い切った。「でも男なのに違いはない。お前とは生まれが違うだろうから、多少見分けづらくても仕方がないとは思うけどな」

「お、男の子……」

 まだ驚いている。制服を着ているのにどうしてそこまで深く勘違いしてしまったのか。

「この歳になってもまだ間違えられるとは思わないよな」

「ご、ごめん」

「いいけど……」

 ショックなのか申し訳なさからなのか、キョウヤはすっかり顔を青白くしてしまった。このまま置いていくのも可哀想になったので、ターリアは進み始めた足を一旦止めて振り返った。

「ぼーっとすんな。いつまで僕ひとりに持たせてる気だよ。早く来て、これ運ぶの手伝ってくれ」

 キョウヤが顔を上げると、異国の顔立ちをした彼が車椅子の脇に立っていた。キョウヤはリュックを背負い直しながら慌てて駆け寄った。

「ところで、僕はさっき言ったよな?」

 車椅子の座の片側を下から支えつつ、掛け声と共に二人で持ち上げた。両側からバランスをとって重さを共有しているから軽減しているが、それでもずしりと重い。こんな足場の悪い道で、これを先程からターリアが持っていたのだと思ったら、自分の気遣いのなさに申し訳なくなる。

「これを持ってさっさと帰るって」

「うん……」

「お前はどうするんだ、家に帰る?」

 キョウヤはぶんぶんと首を横に振った。平衡を崩した車椅子が一瞬傾いて、慌てて二人で腰を落とす。ターリアがフゥ、と息を吐いた。車椅子を落とさなかった安堵からか、キョウヤに呆れてため息を吐いたのか判らない。

「家出中だから?」

 キョウヤは今度は控えめに頷いた。「……ど、どうしてわかるの」

「そんな大荷物で、ちょっと街から外れただけのところに一人でテント張ってれば然もありなん、だろ」

 言いながら、車椅子に鳥のような精霊がとまってきたのでフッと息を吹きかけて風圧で追い払う。

「そ、そっか……」

「……何を見てるんだ」何かを気にしたような目つきで横目に見てくるキョウヤに引っかかって、皮肉を添えて指摘した。「お前の話をしてるんだぞ。会話に集中できていないようだけど」

 キョウヤはぎくりと視線を逸らしたが、やはり気になるのかまたおずおずとターリアの顔を見る。

「ごっごめん、あの、……さっきから気になってたんだけど、精霊、追い払ってるの」

「ああ、僕は精霊が嫌いなんだ。」

 行きずりの相手に説明するのに飽きていたターリアは簡潔にそう答えた。

「え! 精霊が嫌い?」

 彼は目を白黒させてこちらに向けた。そういう発想がないというか、そういう人間に出会ったことのない奴は大体驚く。

「な……なんで?」

 ほらきた、こういう質問が一番面倒だ。

「お前、幽霊は怖いか?」

「え? うん……」

「お前はなんで幽霊が怖いのか脳科学的に説明できるのか?」

 キョウヤは口を開いたまま動かなくなった。ややあって、顎を引いて瞬きを数回繰り返して呟いた。

「そっか……そういう人もいるんだ……」

 結果的にキョウヤは素直に納得して、何が気まずいのか、クリップごと帽子を押さえて足元を見下ろす。

「帰らないなら、この森を出てどうするんだよ。言っておくけど僕は加担しないぞ。家までは連れていけないし、泊めてやる気もない」

「えっ」

「甘えるなよ。お前が始めたことだろ」

 つんと目を逸らして、ターリアは無関心そうな表情で歩みを進める。

「う、でもおれ、帰りたくない……」

「帰らないのはお前の勝手だろ。森を出たら解散しようって話だ、あとは自分で何とかしろよな」

 キョウヤは求めていないうちに完全に突き放されてしまって、何も言えなくなってしまった。

 そうやって話しているうちに、ターリアが最初に森へ足を踏み入れた階段までたどり着いて。車椅子を傷付けないように、一歩一歩、二人で慎重に下っていく。

「車椅子は、僕が明日届けにいくから」

「……うん」

 キョウヤがすっかり静かになってしまって、それでも話しかければ聞いているようで殊勝に頷いた。下を向いた顔は何を見ているのか、帽子を深く被っているせいで隠れて見えない。テントを出てから、彼はほとんどターリアと目を合わせようとしない。その態度に多少の苛立ちを覚えていても、もう少し言葉を選ぶべきだったろうか。ターリアは眉を顰めて目の前のキョウヤを何度か盗み見て考えた。この表情も、睨んでいると誤解されて怯えられるのだろう。そう思い直して進行方向へ視線を戻した。彼の人生の中で、美人という褒め言葉よりもこの質問の方が圧倒的に多かった。「怒っている?」と。

 目を足元へ戻したおかげで、ターリアは最後の一段を降りる直前で立ち止まることができた。逆を言うと、ぼうっとしていたキョウヤは何も気付かずもう一歩踏み出して、何かにぶつかったように「いてっ」と声をあげる。

 キョウヤは戸惑った表情で一段後退し、天井を見るように徐々に視線を上げていく。

「……なんだ、これ……?」

 キョウヤが思わずこぼした言葉だったが、それはターリアも同じことを思っていただろう。階段に立ち尽くした二人の目の前に、壁のようなものが森の出入り口を塞いでいるのだ。

 壁は透明な曇りガラスのようで、向こう側の公道はぼんやりとしか見ることができない。曇りガラスのようだと説明したが、技術によって仕様を施してあるというのにはあまりに不自然で、部屋に煙が充満するかのようにその曇りは揺らいでいた。そもそもこんななにもないところに忽然とガラスが現れるなんてあり得ない。

 目がちかちかするのか後退りするキョウヤの横で何を思ったのか、ターリアは車椅子を石段に置いてから一段下りて、その不審な壁の前に立った。

「ちょ、何してんの、近寄らない方が良いんじゃない……?」

「こんなところにこんなものなかった。どう考えてもおかしいだろ。」

 目の前の壁に沿うようにゆっくり見上げ、上を観察すると、木の高さを越えたあたりから揺らぎは消え、ガラスと空の境界線も見えずに溶けるみたいにして消えている。あの部分はどうなっているんだ。キョウヤの肩がぶつかったからここのあたりには触れられるとして、消えている上部はどこまでがガラスで、どこからが向こう側と通じているのだろう。

「木を伝って飛び越え……いや無理だな」たとえ少年二人ができたとしても、その後車椅子を越えさせるのは危険すぎる。

 見上げていると精霊がふわふわと木の枝から出てきては引き返している。触れてはいないようだが、まるでこの壁を避けているようにも見える。やはり見えづらくなっているだけで上部にも壁は存在しているのだろうか。

 そして手を伸ばして、中指から慎重に、そのガラスに触れてみる。

「ハリボテのはずだ、こんなもの」

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