第2話
都心から郊外に向かう電車の中。帰りがだいぶ遅くなってしまったが、この時間でも乗客は多い。
俺は立ったままドア横の手すりに寄りかかりながら、スマホ画面を眺めている。どうせ気付く人はいないだろうけど、キャップ帽子を深くかぶっている。
試合後、俺を襲ったのは通称『スイッチバク』と呼ばれている症状だった。近いところで言えば、睡眠時の金縛り症状と似ているかもしれない。つまり脳の指令が、体にうまく伝わらないことによって起こる。金縛りはレム睡眠中に全身の筋肉が弛緩していて力が入らない状態の時に脳だけが活動することによるギャップによって発生すると言われているが、『スイッチバク』はゲーム内で脳のみ動かし体を動かさない状態を継続した結果の、神経回路の切り替えのスイッチが一時的に機能不全に陥ってしまうことによって発生するらしい。
そのため解消方法は簡単で、体の感覚を脳に再認識させてやれば良い。
パニックを起こし、スタッフによってBMIを外された俺の目の前に、プレイヤーのマネジメントを担当しているスタッフジャンバーを着た
「
と言って、俺の右手を握り、手の甲を軽く叩いてくれた。すると、その刺激が脳へと繋がり、手の感覚から腕の感覚、そして体全体の感覚が広がるように戻っていった。
「すいません、大丈夫です」
俺は大きく息を吐き、左手を開閉させて自分の体の動きを確認した。
「よかった。立てる?」
「はい」
まったく情けなかった。練習生の頃に何度か経験していたことなのに、久しぶりに起こしてしまった『スイッチバグ』に、こんなにパニックを起こしてしまうとは。それだけ――
俺の様子にスタジオは一時静まったが、問題ないとわかると月照への賞讃の歓声に包まれていた。月照に視線を向ければ、すました顔で俺を一瞥し、軽い会釈を送ってきた。俺も頭を下げて返した。
宮代さんに支えられてステージ袖へと退場する。これでは完全にKOされたボクサーと同じだ。デビュー戦KO負け。最悪のスタートだ。
念のため救護室で横になり、時間を置いて帰宅の途に着いた。
メッセージアプリに多くの着信表示があったが、今は確認する気が起きなかった。
試合の動画がすでにアップされている筈なので、客観的に試合内容を検証するためにも確認しなければと思ったが、それも今は気が乗らなかった。かといって茫然と車窓に流れる夜景を眺めていても、惨敗の結果に心が沈みそうだった。
逃げたくもあり、逃げてはならないとも思い――
妥協の結果と言えばいいのか、俺は関係がなくもないBCH(ブロック・チェーン・ヒーローズ)の公式サイトにアクセスしていた。
『Block Chain Heroes』はゲーム制作会社『Creative Passer(クリエイティブパサー)』が提供しているスマホゲーム。
『Block Chain Heroesとは――
火・水・木・金・土の五大元素によって構築された世界ハージアが舞台。この世界の歴史はブロックチェーンと呼ばれるシステムによって担保されていた。五大元素の属性を持つブロックにソンゴリティーと呼ばれる特殊魔法によって歴史の全てが刻まれ、格納され、容量を満たせば、次の属性を持つブロックに新たな歴史が刻まれていく。それをチェーンによって結ぶことにより、後の世からの改竄を防ぐシステムとなっている。
しかし、歴史を格納するブロックには、その性質上『バグ』と呼ばれるモンスターが発生してしまう。その『バグ』を放置したまま歴史を格納してしまうと、それがそのままブロックの脆弱性となり、システムの、つまりは歴史の信頼性を損ねるものになってしまう。
そこで、その『バグ』を排除する者たちが必要とされた。ブロックチェーンシステムの信頼性を守るヒーローたち。それが君たち、ブロック・チェーン・ヒーローズだ』
ジャンルとしてはアクションゲームになる。またゲームの内容に即してブロックチェーンゲームに分類され、その特徴は所定のステージをクリアするとメンテナンスポイントとして暗号通貨XYMを獲得することができる。獲得したXYMは様々な用途に使うことができる。ゲーム内で使用するアイテムがNFT(ノン-ファンジブル トークン)で発売されているので、その購入費用に。あるいはBCPHのエールポイント用の投げ銭にも使え、また暗号通貨取引所に移せば売却もできる。または現実のブロックチェーンシステムであるSymbolの運用貢献であるハーベストに回すことによって、その対価の報酬を得ることも可能だ。
このBCHの世界観を基にエンターテイメントショーとしたのがBCPHで、俺も元々の入り口はBCHをスマホでプレイしていたことが始まりだった。そこでBCPHを知り、目指し、今に至ることができていた。
――そうだ。俺は夢を叶えたんだ。
失敗だけではなく成功もあり、成功だけではなく失敗もある――そう思えたら、今日の惨敗に落ち込んだ心が少しだけ上向くように思えた。
自宅最寄りの駅に着き、途中コンビニによって夕食の弁当を買う。
ワンルームマンションの一室。電気を点け、家の鍵を置く。見馴れた一人暮らしの雑然とした室内。洗面所で顔を洗い、ローテーブルの上に置いた弁当の蓋を開ける。ベッドの側面を背もたれにカーペットの上に座り、家用のタブレットの電源を入れた。
気が上向いたので今日の試合の動画を見ようと思ったが、自分が関連したNFTの売れゆきがどうなっているか気になって先に確認してみることにした。
まずはBCPH開幕戦に合わせて専用サイトで発売されている、ファーストリーグ16選手オリジナルの専用武器と鎧だ。毎年デザインは一新され、その年の開幕戦に合わせて枚数限定で発売されるのだ。かつては盾も別枠であり武器、鎧、盾の3種類が販売されていたが、防御強化によるBCPHの試合遅延を避けるため、去年から廃止になっていた。
購入したNFTはBCHでも使用でき、今年からは提携した他社のブロックチェーンゲームでも使用できることになったらしい。
今日の試合で俺のアバターが着用していた剣と鎧は売れてるかな?
商品名はプレイヤーの名前が付与される。俺のは『
探す――あっ、剣も鎧も完売している!よかったぁ――嬉しさよりも安堵が先に立つ。自分のアイテムだけ売れ残っていたらどうしようと心配していたのだ。昇格組である俺のアイテムでも完売してしまうのだから、BCPHって人気あるんだな、と改めて感心してしまった。
次は本日の試合のハイライトをピックアップしたオリジナルNFTだ。こちらは試合終了後、各選手4枚ずつ、合計8枚のハイライト画像が公開される。その中から、その試合で一定量の投げ銭を行った観客が、自分が欲しいと思うハイライト画像を選択する。すると後日、画像がNFT化され送られるという仕組みだ。
今日の俺のハイライトとして選ばれた瞬間は、序盤のコボクを4本撃ち込んだシーン。枝を駆け下りる月照の斬撃を防いだシーン。自分の腹に剣を突き立てたシーン。後方に回り込んだ月照を追いかけているだろうシーン、の4種類。その中で一番人気は、自分の腹に剣を突き立てているシーンだった。よりによってこれか。と思いつつ、逆に言えば確かに珍しいシーンであって、あえてこの試合のハイライトを自分でも選ぶのであれば、このシーンかもしれない。唯一、月照に一矢報いたシーン。
なんとか自分もプレイヤーとして受け入れられているようだと思うと、嬉しさが込みあげてきた。
今更ながらに空腹にお腹が鳴る。もう食べてるって。
タブレット画面を操作し、落着いた気持ちで今日の試合の動画を再生した。
入場シーン。体を絞めつけないよう考えてゆったりとしたスウェットパーカーにワイドパンツをはいていたのだが、歩き方がガチガチで必死さまるわかりだなぁ。その反面、月照の入場は今まで観客として見てきた通り。ステージで対面した時には威圧感を覚えたが、いつも通り飄々というか、感情が見えない立ち居振る舞いだった。
BMIを装着し、位置に着く。デザインした通りの剣と鎧を身に纏って俺のアバターがアップで映されていた。おお、強そう、強そう、と思う。
今回は俺のホーム試合だったので、ステージは俺の属性『木』と同じ『木』属性を持ったバトルステージ。ステージ全体が森で表現されている。ホームアドバンテージとしては『木』属性の魔法の威力がアップするのだが……今回のように当らなければアドバンテージもくそもない。
試合開始。月照のZゲージが一気にマックス近くにまで上がる。ん?あれでマックスじゃなかったんだ。様子見か?舐められてたかな?それでも、あっという間に俺との間合いを詰めたのがわかる。怖っ。
それにしても、月照のアバターの走り姿は実に流麗だ。通常のコントローラゲームではプログラミングによって決められた動きしかできないが、BMIを採用したBCPHでは、プレイヤーが思念した通りの動きがアバターに反映される。行き先を阻む木々の根をかわす姿などは、不規則、かつ臨機応変であり、現実の人間が走っている映像がそのまま流れているようだった。このアバターのリアルな動作描写こそが、BCPHの人気を支える要因の一つなのだろう。
俺がコボクを4本放ち、月照が跳躍したところへボクルッケを2本放つ。ここだよなぁ――。月照は1本を剣で弾き空中で身を捻ると、もう1本の枝を駆けおりて俺に攻撃を仕掛けた。
「そんなのありかよ!」
思わず叫んだ俺の声がちゃんとマイクを通してスタジオに響く。恥ずかしい。
俺の驚愕の叫びにスタジオでは笑いでも起きてたかと思ったが――めちゃくちゃ盛り上がっているし。MCすげぇー昂奮しているし。――俺って完全に咬ませ犬だな。
俯瞰映像で見ても凄い攻撃だ。俺も防御して耐えたが、これが現実なら間違いなく吹っ飛ばされているレベルだ。ゲーム内では空中を浮遊するようなことがない程度の制御は掛けられているが、細かな重力設定まではないので俺のアバターが吹っ飛ばされることはなかった。ただ――そもそも重力が存在する現実ではあり得ない攻撃か。
ここから月照が俺の背後に回り込み――なんちゅう動きだよ。右往左往する俺の背後にぴったりと張りつきながら容赦なく攻撃を仕掛けていた。基本的に武器攻撃に対する防御は武器で受けるしかない。BCPHにおいての鎧はいわば張りぼてで、身体のどこに当っても有効打撃となってしまう。その他の魔法攻撃については、防御態勢による一定の防御効果が期待できる。
そして本日の俺のハイライト。はい、来た!切腹攻撃!我ながら失笑に思わず鼻が鳴ってしまった。が、渾身の不意打ちだったにも係わらず月照の動きは止められたけど、結局ダメージを与えてなかったと知り、溜息を吐く。ということは、今日の試合はパーフェクトゲームをやられたということか……と再び落ち込みそうになる――が、もう開き直ってやるしかない!と自分を鼓舞する。鼓舞するしかないだろう!と一人笑う。笑うしかない――
「ウルキルマ」
高波を発生させる『水』の属性魔法。小憎らしい月照の攻撃。そして大ダメージを受ける俺。
必死になった俺はゾーンに入ることを意識するようになり――映像を見る限りゲーミングチェアに座る俺は、それまでは少なからず体が動いているように見えた。手にも力が入っていて把手を握りしめているのがよくわかる。ところが、そこから徐々に体の動きがなくなり――力が抜けというよりか、反対に体が硬直して動かなくなった感じだ。もうこの時点で『スイッチバグ』が起きていたのだろう。
一方、ゲーム世界の俺のアバターは動きを速め月照を捉えたかと思うと減速し、攻撃を受け、また速くなって月照と渡りあったかと思えば、減速し攻撃を受け――を繰り返した。Zゲージは確実に高まっており、その数値は月照に迫っていたが――いかんせん持続力がなさ過ぎた。
RYゲージも空となる。エールポイントはNFT獲得が決まると投げ銭を止めてしまうユーザーがどうしても多いので、以降の伸びが悪くなる。その境目をプレイヤーの間では『エールピーク』と呼んでいた。
HPゲージも空となった。沸き上がる歓声――輝きだす俺のアバター。踏まれても踏まれても立ち上がる雑草をコンセプトにした、特殊能力『雑草魂』発動!――沸き上がる怒声。
「なんで?!」
ひと際大きい女性の怒声が録音されていた。いや、俺がなんで?!いいじゃないかよ。どうせ時間稼ぎにもならなかったんだから――
敵ながら美しい、月照の壮絶なるラッシュ。膝から崩れ、うつ伏せに倒れる俺のアバター。最後まで剣を握っている。うん、勇敢だったぞ――
勝者を讃える割れんばかりの歓声。そして――
「動かない!体が動かない!」
響く我が汚点。
動画を閉じ、タブレットから視線を逸らし、白壁の天井を見上げた。シーリングライトの汚れが目立つ。掃除しなくちゃ……
試合動画を見直して次戦に向けての反省点を洗い出そうと思っていたが、あまりにも実力差が大きかった。まず、この舞台での戦い慣れという意味で大きな差がある。それはアバターのコントロール技術も含めてだ。そして何よりも、どれだけゾーンに入っていられるかどうかの差が激しい。月照は試合を通して何度かZゲージの上下は見せたが、ほぼ上限附近で安定していた。一方の俺は、最初から集中している数字は出ていたが、高まったのは試合後半で、しかも途切れ途切れに上下運動が激しかった。
とりあえず、試合慣れはこのまま経験を積んでいくしかない。問題は、ゾーンのコントロールだな。
一時茫然と考える。けれど、良い解決方法のアイデアは下りてこなかった。
立ち上がり、空になった弁当のトレイをゴミ袋に突っ込む。
そういえば――とスマホを開き、メッセージアプリを確認する。
メッセージの中には、二つ年上の兄、
歯を磨こう。タブレットで他のファーストリーグの結果をチェックしながら電動歯ブラシを動かす。
シャワーを浴びよう。簡単に済ませて髪を乾かす。
この時点で時刻は午前0時を迎えていた。本当は試合当日中に投げ銭をしてくれたユーザーに対して感謝の動画を撮影しアップしておきたかったのだが――さすがに疲れた。時間も時間だから、明日にしよう。
俺は部屋の電気を消すと、布団の中に潜り込んだ。
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