第2話 夢現

 一週間がたった。。学生の義務らしく登校した俺の姿は、教室にはなかった。


 あの後。キスをされた後。俺の記憶は全くなかった。割られた窓ガラスはきれいさっぱり初めから何もなかったかのように元に戻っていたし、ガラスのかけら一つ転がっていなかった。

 あの日の夜の出来事は、本当は俺の残念な頭が見せた妄想だったのではないかとも思う。

 しかし、最後のあの柔らかい唇の感触は、どう考えたって現実のものだった。


 頭にぼんやりともやがかかっているような感じがする。ようは体育館裏でのさぼりだ。

 四月ゆえの温かくも暑すぎない心地の良い天気。誰がおいたのか存在するベンチは寝転がるにはちょうど良いものだった。


 魔法使いってなんだ。いや、概念的に魔法使いが何かは知っている。ただしそれは物語や創作物の中だけの存在のはずだ。

 きれいにぶち破られた窓ガラスを修理したのも魔法だろうか。

 記憶処理をするとも言っていたが、その日の記憶はしっかりとある。魔法といったのは何かの隠語かブラフか? しかしこの頭にも屋のかかったすっきりしない状態が特に体調が悪いというわけでもないのにずっと続いている。


 本当は昨日の記憶はすべて嘘で、俺の頭がおかしくなっただけという可能性も。


 「だめだ。考えてもわからね。どうにでもなれだ」

 「結論は出たのかい、少年」


 耳元にいきなり聞こえてくる嫌に耳障りの良い男の声。跳ね上がるように身を起こし、声の下方向から離れるように立ち上がると、そこには男がいた。


 年齢は見た目通りに見るならば二十代。もしくは若めに見える三十代か。袖をまくったジャケットから見える腕にはジャラジャラと金属製のアクセサリーといくつも開けられたピアス。小綺麗にまとめられた短髪は染めているのか真っ青だ。


 明らかに高校生ではないし、こんな教師も見たことがない。というか、こんな教職者いてたまるものか。ならば生徒の家族かなにかの来客だろうか。

 顎に手を当て、ふむふむと言った様子でこちらを観察する様子を見せる青紙の男。


 「さぼりかい? 高校生らしくていいじゃないか。う~ん、いや。ここは感心しないね、と言ったほうが、人生の先達としてはらしいかな?」

 「あの、来客用の玄関なら、あっちを出て右に曲がればすぐですよ。何なら案内しましょうか」


 来客用玄関の方向を指で指してを言外にここを出ていけとアピールする。不気味だ。はっきり言って気味が悪いし気持ちが悪い。

 明らかな拒絶の態度に男は少し驚いたように目を見開き、くすりと笑ってから口を開いた。


 「いやいや、学校には用はないんだ。ちょっとした野暮用でね? 少しここに寄っただけだよ」

 「学校に用はないのに野暮用ですか。不審者として警察に突き出されたくないのなら今すぐにここから立ち去ることをお勧めしますよ」


 男は軽薄そうに肩をすくめ、やれやれとつぶやいた。ふう、と一度目を閉じ、再び開いたときには、その空間の雰囲気すら変化させた。


 ……まるで、極限まで研ぎ澄まされたナイフかのような。


 「そうそう警戒しないでくれ、と言っても無理かな。確かに用があるのは学校にじゃない。君にだ、初春生馬少年」

 「なぜ俺の名前を知っている、調べたのか?」

 「そりゃそうさ、調する。当然だろう?」


 男はそう、さらりと、当たり前のことを言うように、腹が減ったから飯を食う、とでもいうように軽々しく殺す、と。そう言った。

 からからに乾いた喉が張り付いてしまったような感覚。

 初めて他人から向けられた本物の殺意に、たらりと汗が流れた。


 「殺す? 誰を? 俺を? 何の理由があって?」

 「うん、まぁ簡潔に言ってしまえば、弟子の不始末の後処理、といったところか。言ったじゃないか、こんなところでまるで殺してくださいとばかりに一人でいるのは感心しないね、と」

 「あいにく、あなたのお弟子さんとは面識はない。人違いでは」

 「いやいや、知っているはずだ。覚えているはずだ。記憶したはずだ。一週間前、キミと同じくらいの魔法使いの少女。君の家の窓ガラスをぶち破ったあの少女だ」


 一度に、もやのかかった頭が晴れ渡る。寝起きにキンキンに冷えた冷水で顔を洗ったようなあの感覚。

 ならばあの夜の出来事はすべて本当であったということか。

 壊れた窓ガラスも、傷まみれの少女も。何よりキスをされたことも。


 「あの魔法使いだと名乗ったあのイカレ女かよ」

 「はぁ。まったく。やはり忘却魔法は失敗しているか。不出来な弟子を持つ師は本当に大変だ」

 「魔法なんて存在しない。ファンタジーやメルヘンじゃないんだよ。ここは物語の中じゃない。現実だ」

 「そうだよ。ここはれっきとした現実さ。だがしかし、魔法というものは実在する。奇跡というものは実在する。見せてあげよう」


 男は右腕をすっと、見えない何かを持ち上げるように掲げた。

 手の中に現れたのは青い炎の球体。中心の半透明の球にまとわりつくように、さらに白っぽい青の炎がめらめらと揺らめいていた。


 「青い……火の玉……」

 「魔法と言ったらこれじゃないか? ほらほらァ、一番有名な火の玉ファイアーボールだ」

 「実は手品でした、なんてオチはないんだろうな、当然」

 「わかってるじゃないか! いいよいいよ、キミみたいに物分かりのいい奴は好きだ! さて、名乗らせてもらおうか、少年」


 男はにやり、と不敵に、自信満々に、傲慢に笑った。


 「魔術結社黄金の夜明けが一人。蒼の魔術師、神崎柊だ。死んでもらおうか、初春生馬少年」

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