マルチリアのぬいぐるみ
兵藤晴佳
第1話
昔々、あるところに小さな王国がありました。小さな国なのに偉い人たちは仲が悪く、王様までも一緒になって、何かあると戦ばかりしていました。
そこで、下々の者たちはたいそう困っておりましたが、少しでも食べ物やお金が欲しければ、そんな人たちのお屋敷で働くしかありません。
さて、ある雪の日のことです。
お屋敷に、ひとりの小さな女の子が雇われてきました。
名前を、マルチリアといいます。
小さなお人形のぬいぐるみを大事そうに抱えています。
奥様の前に連れて来られると、さっそく厳しい言葉で叱られました。
「あなた、遊びに来たんじゃないのよ。そんなぬいぐるみはお捨てなさい」
仕方なく、女の子はその場にお人形のぬいぐるみを置いて、井戸から手の指も凍りつくような水を汲み上げながら、洗濯をすることになったのでした。
そのお人形はどうなったかって?
奥様には娘がひとりおりました。
ぬいぐるみを見るなり、それが急に欲しくなったのです。
「お母様、それ、私にくださらない?」
「こんな汚らしいもの、可愛い娘にはふさわしくありません。欲しいなら、もっといいのを買ってあげますよ」
すると、娘は言ったものです。
「きれいな人形じゃ困るの。大切にしなくちゃいけないから」
一方で、そのぬいぐるみを失った女の子は、あてがわれた屋根裏部屋で泣きました。
「お父様、お母様、ごめんなさい。小さい頃、一緒に暮らしたこの家に居られるだけで充分です」
なんとまあ、この家は、マルチリアの父親のものだったのです。
偉い人たちの争いで父親が命を落とし、ぬいぐるみだけを抱えたこの子を連れて難を逃れた母親も、病で亡くなってしまったのでした。
残された家は、誰とも知れない貴族の子を抱えた、どこの何者とも知れない女がタダ同然で手に入れます。
しかし、持ち主が変わっても、懐かしいわが家に変わりはありません。
ようやく帰ってきたマルチリアは、身分の賤しい召使として暮らすことになったのです。
もっとも、その扱いはひどいものでした。
炊事・洗濯・掃除はひとりでやらされ、少しでも落度があれば厳しい折檻を受けます。
それでもマルチリアは、不平ひとつ言わず、健気に働きました。
そんな毎日が10年ばかり続いたある日のことです。
すっかりお嬢様になった、この家の娘がゴミ捨てをいいつけました。
「もう、ボロボロで使えないから」
それは、汚れ破れて見る影もなくなった、あのお人形でした。
マルチリアは泣きました。お人形を抱えて屋根裏部屋で泣きました。
優しかった両親のこと、お人形を取り上げられて暮らした寂しい毎日のこと、叩かれて痣だらけになった身体のことを思って泣きました。
そんなマルチリアを励ます声が聞こえます。
「もう、大丈夫。同じ痛みを抱えてきた友達を、放っておいたりはしないよ」
ぬいぐるみのお人形が、励ましてくれているのでした。
お嬢様は子どもの頃から、気に入らないことがあると、この人形に当たり散らしていたのです。
おかげで人前では、めったなことでは怒らない、おしとやかな娘になりすますことができていました。
求婚者もあまた押しかけてきていたのです。
でも、そんなこと、マルチリアには関係ありません。
驚きもせずに、お人形のぬいぐるみを抱きしめて囁きました。
「ありがとう……かわいそうに」
そのとき、ぬいぐるみの破れ目から転げ落ちたものがあります。
金貨でした。
きっと、何かあったときのために、両親が隠しておいてくれたものでしょう。
ぬいぐるみは言いました。
「これで、まず薬を買うといい」
出てくるのは、薬だけではありませんでした。
尽きることのない金貨のおかげで、マルチリアは身だしなみを整えられるようになり、持ち前の美しさを取り戻していきました。
しかし、マルチリアが一番喜んだのは、お金や服ではありません。
この屋敷に、ひとりぼっちではなくなったことでした。
そんな、ある日のことです。
この家のお嬢様もお年頃なので、お城から舞踏会の招待状が届きました。
奥様は娘を連れて、喜び勇んで出かけたのです。
屋敷に残されたのは、マルチリアでした。
ぬいぐるみは言います。
「悔しくないのか? 本当は、君がお招きに預かるはずだったんだよ」
マルチリアは、気にした様子もありません。
「今夜だけは、私がこの屋敷の主なの。それで充分よ」
それでも、しばらくしてから屋敷には馬車が招かれ、胸元の開いた美しいドレスを身にまとったマルチリアを乗せてお城へと向かったのでした。
舞踏会では、遅れて現れた美しい姫君に、誰もが呆然として見とれます。
ただ、屋敷の奥様と娘だけは首をかしげていました。
「お母様、あれ、マルチリアに似ていなくて?」
「まさか、あの子は今、灰と埃にまみれて屋根裏部屋で寝ているわ」
そのマルチリアそっくりの姫君を声をかけた若者がいます。
「僕と踊っていただけませんか? お嬢さん」
それを見て、娘は悔しがりました。
「ああ、王子様が! あんなどこの馬の骨とも知れない女に!」
同じ溜息をついたのは、どこの家の娘も同じことでしたが、奥様は鼻で笑います。
「そうかしら? 見てごらんなさい、あれを」
無礼にも、王子様を押しのけて、姫君を横取りした逞しい髭面の男がいます。
その場の空気は一瞬で凍りつきましたが、男は気にした様子もありません。
姫君の細い腕を引いて、舞踏会の場から連れ去ってしまいました。
奥様は、皮肉たっぷりにつぶやきます。
「髭将軍に目をつけられるとはお気の毒に……あの子の純潔も、今夜限りね」
城というものは、知る人ぞ知る秘密の部屋というものがあります。
将軍と呼ばれる髭面の男が姫君を連れ込んだのは、城の廊下の突き当りに不自然に掛けられた、姿見の鏡の裏側にありました。
男の節くれだった指が壁の一か所をちょいと押すと、そこはくるりと回って隠し廊下に続いています。
その果てに、男女のための秘密の部屋がありました。
大きなベッドに姫君を押し倒した将軍は囁きます。
「暗いうちには帰す」
その手がドレスの胸元に滑り込んだところで、姫君は囁き返しました。
「いけませんわ、だって……」
構わず無言で姫君の素肌を暗闇の中に晒した将軍は、瞬く間に、逞しい身体を床に転がされていました。
「お前は……」
唖然としてつぶやく口めがけて、姫君は逆手に持った短剣を振り下ろします。
「お父様を殺したのは、あなた?」
喉の奥を貫く寸前に切っ先を止めて尋ねたところで、秘密の部屋に蝋燭を灯して忍び込んできた者がありました。
「その子は、僕が先に声をかけたんだけどな」
慌てて裸の胸元を隠した姫君は、部屋から駆け出します。
王子さまは高らかに笑いました。
「なかなかやりおる!」
将軍は身動きもできません。
でも、どちらの男も、姫君の手が本当に隠していたものには気づかなかったことでしょう。
指の間から覗いていたのは、左の脇の下から垂れさがった糸屑と、短剣の柄が隠れるくらいの大きな穴だったのです。
屋根裏部屋の粗末なベッドで目を覚ましたマルチリアは、枕元で横たわっているぬいぐるみの脇の下にある穴に気づきました。
「いつの間にほつれたのかしら……」
朝食を作る前に繕ってやろうというのでしょう、木綿の寝間着一枚で起き出したところで、屋敷の外から呼ぶ声がします。
「マルチリア殿! マルチリア殿! 王子様がお招きです!」
奥方の答える声が聞こえてきました。
「マルチリアは召使の名でございます、お間違いのないよう」
お城からのお使いは、不愛想に答えました。
「城の門番が、昨夜、逃げ去る馬車をよく覚えておりました。雇われて送り迎えした者に確かめましたところ、マルチリアと名乗る貴婦人がこの屋敷から乗ったと」
やがて、昨夜と寸分違わぬドレスを何も知らずに身にまとったマルチリアは、迎えの馬車に乗って屋敷を出て行きました。
奥様と娘が、それを悔しそうに見送ったのは言うまでもありません。
馬車の中では、マルチリアがぬいぐるみを撫でながら語りかけていました。
「ありがとう……私、泣いてただけで何にもしていないのに」
どれほど走ったことでしょう。
馬車は、とても座っていられないほど揺れるようになっていました。
夕べの馬車は、こんな道を走ってお城に行ったのでしょうか?
目まいを覚え始めたマルチリアは、ようやくのことで馬車から降ろされましたが、辺りを見て驚きました。
そこは確かに、お城の門の前でした。
ただ、深い霧が立ち込める高い山の上で、周りには頑丈な壁が幾重にも張り巡らされています。
どちらかというと、砦でした。
鋲を打った鉄の大扉が開きましたが、そこに立っていたのは王子様ではありません。
「よく来たな」
を出迎えた髭面の逞しい将軍に、マルチリアは尋ねました。
「どなた?」
将軍は、にやりと笑って答えました。
「父の仇だよ」
そう言うなり、マルチリアを城の中に引っ張り込んだ将軍は、その腕に抱えられたぬいぐるみを見て高笑いしました。
「おかしいですか?」
キッと睨みつけられて、将軍は大真面目な顔で答えます。
「よかろう、大事に持っておれ……あんなときの服なんぞ着てやってきた、その度胸に免じて」
それでも、この城に似合うドレスではないと、城の一室で着替えさせられます。
やがて、将軍様の前に現れたのは、革鎧をまとった女戦士でした。
その腰には、短剣が提げられています。
将軍は重々しい声で告げました。
「父の仇と狙うなら、正々堂々の勝負で受けて立とう……俺の手を床に着かせることができたら、帰してやる」
その手に抜き放たれたのは、同じくらいの大きさの短剣です。
女戦士が返事もしないうちに、その刃が凄まじい速さで一閃します。
あっという間に、短剣は弾き飛ばされ、革鎧は切り裂かれ、胸を露わにされた女戦士は石の床に転がされます。
将軍はその身体にのしかかって、囁きました。
「俺はいつ死ぬか分からんし、妻などという一人の女に縛られるのも御免だ……だから、妾になれ」
「お断りいたします……そんな乱暴で、勝手なお話」
返事をしたのは、石の床に横たわる女戦士ではありません。
いつのまにか将軍の傍らで短剣を手に立っていた、夕べのドレス姿のマルチリアでした。
将軍が慌てて身体を起こすと、身体の下にあったのは、お人形のぬいぐるみでした。
マルチリアは、ただひと言だけ告げます。
「お約束は、守っていただけますね?」
将軍は、約束を守りました。
帰ってきたマルチリアに、奥様は尋ねます。
「どうだったの? お城では」
マルチリアは答えません。ただ、ぬいぐるみを抱きしめるばかりです。
娘は、それを乱暴にむしり取りました。
「これね! これのおかげね! これ、もともと私のものよ! 勝手に自分のものにしないで!」
「返して!」
初めて逆らうマルチリアを、奥様と娘は屋根裏部屋に押し込めてしまいました。
そこでやってきたのは、別のお使いです。
さあ、今度こそ王子様のお召しだと狂喜した奥様と娘でしたが、差し出されたのは招待状ではありませんでした。
「お前だな! 呪いの人形を持つ魔女は!」
慌てる奥様を尻目に、ぬいぐるみを抱いて呆然としている娘を、お使いは馬車に押し込めて連れ去ってしまいました。
やがて、娘は帰ってきましたが、かつてのマルチリアのように、その身体は痣だらけになっていました。
お人形のぬいぐるみは、戻ってきませんでした。
どこかへ連れて行かれる途中で、消えてしまったのです。
そのどこかでは、呪いの人形をどこへやったかと厳しく問い詰められ、折檻まで受けましたが、ないものは出しようがありません。
証拠の品がないのでは魔女扱いもできず、仕方なく帰されたのだということでした。
娘をひどい目にあわされた奥様の逆恨みは、凄まじいものでした。
それでもマルチリアが恐ろしくなったのか、折檻などは加えません。
屋根裏部屋に閉じ込めたまま、きつく問い詰めました。
「あなたは何者? 何の恨みがあって、こんなことをするの?」
そこで初めて、マルチリアは本当の気持ちを口にすることができました。
「私こそ、こんな目に遭わされるいわれはありません。私の父は、この屋敷の主でした。先の騒乱で、あの将軍の手にかかって命を落としたのです。誰のものともしれなくなったこの屋敷を、こっそり自分のものにしたのは誰でしょう? 私の父も母も、もう帰ってきません。ただ、懐かしいこの屋敷さえ戻って来れば、私は何も申しません」
奥様は、半狂乱になりました。
「そんなの知らない! この屋敷があなたの父親のものだったなんて証拠が、どこにあるの? 私の娘をあんな目に遭わせて! 許さない!」
もうすっかり夜中になっていましたが、お城からのお使いは、再びやってきました。
「マルチリア殿! マルチリア殿! 王子様がお招きです!」
奥様は悪鬼の形相で、扉の向こうのマルチリアに告げました。
「一生、ここから出さないからね! ひとりで飢えて死ぬがいいわ!」
そこでよそ行きの顔になると、今度はお使いに答えました。
「マルチリアには暇を出しました。どこへ行ったのやら、見当もつきません」
そこで、マルチリアは叫びました。
「お城など行きたくはありません! 私は、私として、ここに住んでいたいだけなのです! もう帰ってこない私の父と母の思い出の詰まった、形見のぬいぐるみと一緒に!」
お使いの声がマルチリアに聞こえるのですから、マルチリアの声もお使いに聞こえないはずがありません。
それでも、お使いは何を問いただすこともなく、そのまま帰ってしまいました。
勝ち誇った奥様は、屋根裏部屋の中のマルチリアを笑います。
「お使いは、もう来ないでしょうね。あなたのお父様が亡くなった騒乱は、まだ少年だった王子様の王位継承権を巡って起こったこと。いろいろ複雑な事情があったこととは思うけれど、深く知らないほうがいいことも多いでしょうね。王子様のお名前に傷がつくこともあるでしょうから……そうそう、あの髭の将軍様、10年ほど前は、遠くの戦に出ていらっしゃって、この国にはいらっしゃらなかったはずよ」
それっきり、屋根裏部屋に奥様がやってくることはありませんでした。扉が開くこともありません。水も食事も与えられないマルチリアは、次第に弱っていきました。
どれほど経ったことでしょう。
この屋敷を、お城からの使いの馬車が三たび訪れました。
「マルチリア、王子様がお呼びである! この家の主はご下命に応じよ! 背けば母子もろとも命は無いものと思え!」
奥様としては、娘の命とマルチリアへの仕返しを引き換えにするわけにもいきません。
屋根裏部屋の鍵を開けましたが、マルチリアは微かな息で口答えをして、出てこようとはしませんでした。
「父母の形見のないところで、生きてゆくつもりはありません。私は、この屋敷で死にます」
奥様は仕方なく、羽根帽子を目深にかぶった若いお使いに、ありのままを告げて許しを乞いました。
「私どもの力では、どうすることもできません。王子様がお望みなら、力ずくでもお連れください。それで命を断つと申しましても、どうか私どもはお許しください」
するとお使いは帽子を空高く放り投げて、マルチリアを呼びました。
「お探しのぬいぐるみは、ここにあります! この国で、僕の手に入らないものはありません!」
奥様は、あまりのことに卒倒しました。
お人形のぬいぐるみを手にして立っていたのは、あの王子様だったのです。
ぐったりとしたマルチリアを屋根裏部屋から救い出した王子様は、馬車でお城へ急ぎました。
「もう大丈夫です。僕があなたを守ります」
しっかりと抱きしめられたマルチリアは、王子様にすがって尋ねました。
「見せてください……私の、お人形」
王子様はぬいぐるみを手渡すと、ぼんやりと目を開いたマルチリアに語りかけます。
「安心してください、お形見のお人形です」
はっきりとは見えないぬいぐるみを、マルチリアはしっかりと抱きしめて、手探りで撫でさすります。
「ああ、間違いない。手触りも匂いも、あのお人形です」
その髪を撫でながら、王子様は囁きました。
「お望みなら、あのお屋敷も元通り、あなたに差し上げます。あの母娘には、別の家をあてがってやればいい」
マルチリアはむせび泣きました。
「どうして……どうして、そこまでしてくださるのですか? 私なんかのために」
王子様は、はっきりと答えます。
「あなたが、どうしても必要だからです……私の、妻になってください。ああ、着きました」
馬車が着いたのは、山の上の砦ではなく、舞踏会の開かれた、あのお城でした。
マルチリアを両腕に抱き上げた王子様は、悠々と門をくぐります。
出迎えの臣下が勢揃いして、恭しく頭を下げました。
マルチリアは尋ねました。
「ここは……どこですか」
王子様は小首をかしげます。
「おかしいですね、ご存知ないとは。あなたがいらした舞踏会は、ここで開かれたのですよ」
マルチリアは答えませんでした。
ただ、お人形のぬいぐるみに、困ったように顔を埋めるばかりです。
城に入った王子様は、どこまでも歩き続けました。
やがて見えてきたのは、つきあたりに不自然な姿見の鏡がある廊下です。
その鏡の端をついと押してやると、壁はくるりと回りました。
隠し廊下の先にあるのは、あの隠し部屋です。
王子様は、大きなベッドにマルチリアを寝かせて尋ねました。
「怖い思いをさせてしまったかもしれませんが……ここを覚えていませんか?」
やはり、マルチリアは答えませんでした。
ただ、突然、お人形のぬいぐるみを床に放り出してつぶやいただけです。
「これは……私のお人形ではありません。左の脇の下に、私が繕った跡がありませんもの」
すると、王子はくすくすと笑いだしました。
「なるほど……あなたは、髭の将軍の恐れる魔女ではないということですね?」
そこでマルチリアは、暗い部屋の中で目を見開きました。
「父を手に掛けたはずの将軍は、そのとき、この国にはいませんでした。その騒乱の原因となったのは、少年だった王子様です。その王子様が、将軍の恐れる私を手に入れようとなさっていた……まさか」
王子様は、困ったようにつぶやきました。
「予定が狂ったか……」
マルチリアは問い詰めます。
「お答えください。父を殺したのは、王子様ですか?」
返事はありません。
代わりに、王子様の話は続きます。
「僕は、魔女なんてものがいるとは思っていない。でも、そんな迷信があるなら、利用させてもらうだけのことだ」
「答えてください!」
マルチリアが迫っても、王子様は相手にしませんでした。
「どうも、あの舞踏会以来、将軍は僕の言うことを聞いてくれなくなってね。ご令嬢たちへの乱暴狼藉を、なかったことにしてやってきたのに」
「王子様!」
「うるさいな!」
そこで初めて、答えが返ってきました。
「どうやら、将軍は魔女に殺されるという妄想に取りつかれているらしい。最初は魔女を捕えようとしたが、証拠がなかった。そこで僕は、魔女とやらが欲しがってるらしい人形を大急ぎで作らせたんだが、見破られたうえに、君は本人じゃないらしい……仕方がないね。大事なことは自分でしなくては……今まで通り」
マルチリアは、確信を持って尋ねます。
「王子様なんですね、まだ少年の頃……父を殺したのは」
返事は、さらりとしたものでした。
「大変だったからね、あの頃は、いろいろと。誰を殺したかなんて、いちいち覚えていない。ただ、その汚名をかぶってくれた者のひとりが、将軍だったのは間違いない」
懐から短剣を取り出した王子様は、ベッドの上にマルチリアを押し倒します。
「ここは今日から、開かずの間になる……この城に、そんな部屋がひとつ増えたところで、どうということはないしね」
そのときでした。
「待ちなさい!」
駆け込んできたのは、革鎧をまとった女戦士でした。
細身の剣で斬りつけるのを短剣で受け流した王子は、相手を確かめもしないで、そのまま逃げだしました。
ベッドの上で震えているマルチリアは、もうひとりの自分に抱き起されたような気がして驚きました。
「帰ってきたのね……」
女戦士は、しがみつくマルチリアの背中を撫でながら囁きます。
「ごめんね、心配させて……。あなたの代わりに連れて行かれたあの娘、私なんか放り出して、馬車から降りたの。その隙に、私は馬車の下に潜って隠れたのよ。あの娘が帰されるまでずっと馬車にしがみついてて、また砦に戻ったわけ。もう一度、あなたの姿になって将軍の前に現れてやったら、あなたの父を殺したのは王子様だって白状したわ。そこで私、言ってやったの。魔女がついてる限り、逆らっても負けはしないって。そしたらあの将軍、その気になって……」
開け放された隠し扉の向こうから、聞こえてくる荒々しい声があります。
それは、髭の将軍が率いる反乱軍の雄叫びでした。
さて、このお話の結末がどうなったかって?
王子様は国を追われ、髭の将軍が王様になりました。
国の治め方は乱暴であんまり変わりませんが、偉い人同士の戦だけはなくなりました。
何でも、ふたりに増えた同じ顔の魔女に脅かされたんだそうです。
「民草を苦しめたら、また来るぞ」って。
あの奥様は娘と共に、王さまの準備した別のお屋敷に移ったんだとか。
この秘密を胸にしまって、マルチリアは、父の残した思い出深いお屋敷に戻りました。
お人形のぬいぐるみはというと、それっきり、身代わりになることはなかったといいます。
え?
私がどうしてそんなこと知ってるかって?
屋根裏部屋のベッドに座っている、あのお人形のぬいぐるみ、よく見てごらんなさい。
左の脇の下に、繕った跡があるでしょう?
マルチリアのぬいぐるみ 兵藤晴佳 @hyoudo
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作者
兵藤晴佳 @hyoudo
ファンタジーを書き始めてからどれくらいになるでしょうか。 HPを立ち上げて始めた『水と剣の物語』をブログに移してから、次の場所で作品を掲載させていただきました。 ライトノベル研究所 …もっと見る
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