09忘れられないおでん屋
早くも今年もあと二ヶ月になったが、
「そろそろ今年もおでんが恋しい時期になってきましたなあ。
じゃ、たまには今夜一杯やりながら熱々のおでんでも食べますか!」
という気持ちにはまだならない。
おでんが食べたくなるほどまだ寒くないのが問題だ。
同じ理由で鍋を作って食べたいという気持ちになるのはまだ先だ。
おでんといえば、今でも忘れられない美味しいおでん屋さんを覚えている。
昔、秋田市の中心部に住んでいたときに友人の一人が、
「すごいおでん屋を見つけた!」
と言ってきたので、とある金曜の夜の仕事帰りにその友人と落ち合っておでんを食べにでかけた。
ちなみにその日は、1月の月夜の美しい寒い夜。絶好のおでん日和である。
市役所の脇の国道を歩いていくと、郵便局の近くに黄色い看板が光ってるのが見えてきた。
見ると『こぶ志』と書いてある。
「ほうほう、なかなか『こぶ志』とは漢気あふれる名前ですなあ。ラオウが『剛掌波』っていうおでん屋出してる感じですかな。お店のマスターは元レスラーとか?」
と友人に聞くと、
「元レスラーがやってるお店っつったら、駅前の福岡晶の焼肉『留り木』だな。でもここのマスターはレスラーじゃなさそうだな。爺さんだけどすげえ怖えんだ。」
「マジか。お店でその爺さんの怒りに触れると顔面に『拳(こぶし)』が飛んできたりしないだろうな。」
「それはないんじゃないかなあ。ただオレ、さっきビーギャル(当時駅前にあったパチンコ屋。いまもあるのかな?)で台パンしてた爺さん見たわ笑」
「そのパチ屋の店長に見られてたら剛掌波確定だな。」
などとくだらない会話をしている間に、お店の前に来た。
「どうもー」
と言って友人が、ガラガラ戸を開けると、狭い店内が見えてきた。
パッと見た感じ、昔は回らないお寿司屋さんだった印象を受ける感じである。
カウンター席に座敷席、合わせてお客は10人位だが店内はほぼ満席だ。
「マスター、またよろしく!」と言ってカウンター席に座っていただろうお客がマスターに向かって丁寧にお辞儀していた。
自分と友人はその空いた席に座った。
自分の目の前には、大きいおでん鍋があって、厳つい髭面でメガネを掛けたおじいさんが腕組みをしながらおでんを睨みつけている。
その顔は、明治に活躍した軍人乃木希典にそっくりだ。
おでん鍋越しに、自分を睨みつけて、
「おめえ新人か?初めて見る顔だな。どこのどいつからこのお店のことを聞きやがった!」
とでも言いたげな感じである。
このお店に結構通っているいう友人は、椅子に座るとメニューを見る前にマスターに、
「瓶ビールとグラス2本をお願いします。」
というと、マスターは無愛想な表情のままろくに返事もせずに、冷蔵庫からグラスと瓶ビールを持ってきて自分と友人にビールを注いでくれた。
無愛想だけどビールを注いでくれるだけ普通にいいお爺ちゃんじゃん、とその時自分は思ったわけであるが…。
「おでんお願いします!」
と友人がいうと、爺さんはガバっと取り皿を手にとって、友人を睨みつけた。
友「えーと、だいこん」
爺「……。(無言でだいこんを取り分ける)」
友「白滝。」
爺「……まだ染みでねっ。(まだ出汁が染みてないから出せないっていう事)」
友「厚揚げ」
爺「……。(無言で厚揚げを取り分ける)」
友「はんぺん。」
爺「……おわった。(『眼の前の鍋見りゃはんぺん無いって分かるんだろが!』と言いたげな睨み付き)」
友「たまごでお願いします」
爺「……。(無言でだいこんを取り分ける)」
そして、出汁を少し多めに入れて、からしを添えて友人の前にゆっくりをお皿を置いた。
友人は、『ささっ、次はお前の番だぞ!』と言いたげにメニューを指さした。
その時座敷席の方から、
「マスター、サンマ焼いてちょうだい」
という声が聞こえてきた。すると、
「ちょっと待ってろ!」
と大声を上げて相手を静止するかのように左手を上げた。
直後に、カウンター席の端の方から、
「マスター、おでん!」
という声が掛かるやいなや、
「順番で聞くから待ってろって言ってるんだろう」
と叫び、白いヒゲを震わせて激怒している。どうやらここのおでん屋は爺さんが一人で切り盛りしているようで、思いの外忙しそうだ。その結果、無愛想な客対応になっているらしい。その証拠に、爺さんがなにか作業しているときはほとんど注文を聞いてくれない。ただし、女性客からの注文には無愛想ながら「優しく」対応するようだ。
爺さんは今度は自分の方に体を向けて睨みつけた。
自分の番が来た。自分、おでんの具そんなに詳しくないから困ったなあ。
生まれて初めてラーメン二郎に行った時、トッピングを「コール」する文化があるのを知らなくて、
「みんなアブラとか、カラメとか何を言ってるんだ!」
と軽くテンパったことを思い出した。
自分は意を決して注文を始めた。
自「たまご。」
爺「……。(無言でたまごを取り分ける)」
自「白滝。」
爺「……まだ染みでねっ。(さっき染みでねっていったろうが!)」
あーやばい地雷踏んだ。ん?鍋に牛すじらしきものが見えるぞ!
自「牛すじ」
爺「……おわった。(『それは牛すじじゃねえ!』と言いたげな睨み付き)」
ぎゃあぁぁぁ。やっちまったマスター超不機嫌になったわ。牛すじじゃないってことは、あれはねぎまか!
自「じゃあ、ねぎま」
爺「……まだ染みでねっ。」
ほんの少しだけ、爺さんがにやりとした。
自「ち、ちくわ、でお願いします。」
爺さんは、最後にちくわを取り分けると、友人と同じように出汁とからしを添えて、自分の前にお皿を置いてくれた。
もちろん、「はいどうぞ!」などという声掛けは無しである。
そうして、自分のおでん屋『こぶ志』デビューはなんとか無事に終えることができたのである。
肝心なおでんの味の方だが、これが関西風の出汁がおでんの具の味を上手く引き立てていて、すごく上手いのにびっくりした。
普通は東日本は関東風の濃口醤油でおでんを煮込むのが普通だと思ったのが、『こぶ志』のおでんは、昆布とかつお出汁の味がしっかり分かる上品な味だった。
「おいしいだろ。こんなに美味しいおでん屋は、そうそう簡単に見つからない」
友人はそう言って、爺さんにおでんの追加注文をしていた。
この日学んだ、お店のルールは、
・マスターが焼き鳥やサンマを焼いているときは声かけ厳禁。絶対に注文を聞いてくれない。
・注文するタイミングは、マスターが椅子に座った時か、マスターと間違って目が合った時。
・ただし、女性客はこの限りにあらず。女性には愛想が良い。
であった。
その日以来、このおでん屋が自分の大のお気に入りとなった。
おでんを食べて、焼き鳥やサンマを食べて、結構食べても毎回お会計が2000円位とリーズナブルだったのである。
一人でも通うようになった。
爺さんが、めずらしく暇な時になると世間話もするようになった。
店内にはBGM代わりにAMラジオ(多分秋田放送)が流れていた。
夏の時期は爺さんと一緒に腕組みしながら、ラジオで巨人戦を聞いていた。
巨人の選手がヒットやホームランを打って点が入ると、うんうんと頷いていつも嬉しそうだった。
週に1度のペースで通っているうちに爺さんに顔を覚えられて気に入られたのか、
カウンター席に座って「マスター、おでんおまかせで!」と注文すると、自分の好きなおでんの具を必ず出してくれた。
爺さんは、自分の好きでよく頼んでいたおでんの具を覚えていたのかもしれない。
真夏でもそこのお店に通っていたくらいだから、今思い出しても自分は相当このお店が気に入ってたのだと思う。
そんなお店だったが、自分が横浜に転勤になって秋田を離れてしばらくした後、秋田の友人から、
「閉店になった。爺さん体調悪くしてたらしいからなあ」
という連絡が入った。
もうあの美味しいおでんは食べられないのかあ。自分のお気に入りのお店が無くなるとなると本当にさみしいものである。この時初めて思ったのである。
あれから結構な年月が経ち、いろいろなお店でおでんを食べてきたが、いまだに「こぶ志」を超えるような美味しいおでん屋は見つかっていない。
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