もしも、結婚したら〈1〉

 ※注・本編最終話の約三年後のお話。






「暑いなあ……」


「暑いねえ……」


 諸々の手続きを終えた俺と珠希さんは、昼前にやっと町役場を出ることができた。強い日差しから逃げるために小さな木陰で身を寄せ合う。真っ青な空には白い太陽が煌めき、綿雲がぷかぷか浮かんでいる。逃げ水が揺らめき、蝉が生を叫んでいる。


 今日は某年八月八日、珠希さんの十九歳の誕生日。つい先ほど、俺たちは夫婦に、家族になった。


「香坂さんって言われて、ちゃんと反応できるか心配」


 そうは言いながら、珠希さんは嬉しそうに笑う。俺もつられて笑った。


「そっか。でもしばらくはそのままだし、ゆっくり慣れれば」


 俺たちは今、魔術学校の四年生。再来年の春に学校を卒業するまでは今まで通りの暮らしを続ける。今は俺の実家で過ごしている珠希さんだが、夏休みが終わって学校の寮に戻れば暮らすところも別々。在学中は引き続き旧姓を名乗ることになっている。


 そう、書類上だけの話で何も変わらないと言われたらそれまで。それでも珠希さんは本当の家族ができると喜んでいたし、俺もまた同じだった。中途半端と言えばそうで、こんな状態で結婚はまだ早いと反対されると思ったが、周りは俺たちの意志を尊重してくれた。


「環くんのこと呼んでるのに、間違えて返事しちゃう心配を先にした方がいい?」


「まあ、同じ名前になったもんな、俺たち」


 名前が同じ俺たちは、苗字が一緒になってしまうと同姓同名だ。書けば違うが読めば同じ。これからずっとややこしいかもしれないと思うと、俺は名前を変えるべきか? とも思ってしまう。確かにもうひとつ名前はあるが……どうしたものか。


「どうしたの?」


「いや、なんでもない。えっと、昼飯何かなと思って」


 普段は母親は多忙なため、帰省中は俺と珠希さんが交代で料理をしているが、今日は昼も夜も母親が準備すると張り切っていた。お祝いをするからと無理を言って平日に連休をもぎ取ったらしい。


「おば……お義母さん、すごく張り切ってたよね。もしかしてお昼からご馳走だったり?」


 確かに、今朝はずいぶんと早起きして台所に立っていたので、期待してもいいかもしれない。


 ちゃんとした結婚式を挙げる予定は今の所ないが、今日の夜は家族で集まろうという話になっている。父親も高月さんと一緒に祝いに来てくれると言っていた。


ちなみに高月さんも今年の初めに結婚したばかりの新婚さん。相手は二十歳離れていると聞いてびっくりしたし、まさか伯父さんも同然の人と同じ年に結婚することになるなんて。


 いい歳をして惚気話がうるさくてかなわないと父親が心底鬱陶しそうな顔で言っているが、内心では嬉しく思っていることを俺はわかっている。今日のおじさん二人組はいったいどんな顔をしているのか、想像するだけでちょっと楽しい。


「そうだな、俺は母さんが昼間っからお酒飲まないか心配だよ」


「今日はお祝いなんだから怒っちゃダメだよ」


「わかってるよ。飲酒運転しないか心配なんだ」


「まさか。心配しすぎだと思うよ」


 笑いながら夏空を仰いだ。これは田舎ならではだが、実は役場から実家に戻るバスがない。いつもなら自転車で来るところだが、今日は記録的な猛暑が予想されているということもあって母親に止められた。今は車で迎えに来てくれるのを待っているのだ。


 自分で運転できればいいのにと思うが、教習所には一昨日入ったばかり。この夏休み中に免許を取ることを目指しているが、もちろんまだ仮免許すら持っていない。まだまだ大人にはなりきれないのがもどかしい。


「そうだ、助手席には最初に乗せてね」


「ああ、うん。もちろん」


 珠希さんは相変わらず俺の考えていることなんてお見通しだ。別に魔術で心や思考を読んでいるわけではないらしいが、俺のことならなんとなくわかるらしいのが、なんとも恥ずかしい話。とにかく、出来るだけ早く免許を取れるように頑張らなければ。


「暑いねえ……」


「暑いなあ……」


 そして話題がループする。いくら彼女……じゃない、お、奥さんが相手でも、ひとしきり話すとさすがに話題がなくなってしまう。それでも心地いいからこれからもずっと一緒にいようと思えた訳だが。


 そうだ、とひらめいた。母親の車はまだ来そうにないし、さらに言うと周りに人もいない。今のうちに渡してしまおう。


 鞄の底を何度もかき回す。そんな俺の挙動が明らかに怪しいのか、珠希さんがこちらを見て首を傾げている。ようやく目的のものを探りあて、差し出した。


「これ、誕生日プレゼント」


「あ! ありがとう! 開けてもいい?」


 頷いてみせると、目を輝かせた珠希さんはゆっくりと箱にかけられたリボンをほどき、包装紙を剥がす。俺はその様子を固唾を飲んで見守った。


 中身はダイヤの指輪。この日に入籍をしようという話になったときから、けじめとしてちゃんと贈ろうと決めたのだ。


 学校はアルバイト禁止なのにどうしたのかというと、魔術の実地実習は手当の出るものに行けるよう頑張ったり、足りない分は地元に帰った時、友達の紹介で短期のバイトをしたり……これは学校にバレるとまずいのであまり大声では言えないが。


「わあ……」


 珠希さんは包装紙の中から現れた箱を開けた。銀色のシンプルな指輪の真ん中に、小さな小さなダイヤが光っている。さすがに立派なものは買えなかったが、気持ちだけはこめたつもりだ。彼女が喜んでくれることを信じて。


 しかし、珠希さんは口を真一文字に結び、箱の中に納められた指輪に向かって目をぐっと寄せていた。


 さっきまで気にならなかったセミの鳴き声が、やたらうるさく感じる。


 今までどんなプレゼントでも笑って受け取ってくれたのに、どうして何も言ってくれないのだろう。さすがに小さすぎたかな……? 不安で手のひらの汗が止まらなくなってしまった。どうしよう。


「あの、環くん。こ、これ、もしかして本物だったり?」


「い、一応……あの、小さくてごめんな」


 思わず謝ると、珠希さんは俯いて激しく首を横に振った。その拍子に彼女が被っていた帽子が飛んでしまった。とっさに魔術を使う。発動が間に合い地面に落ちる前に空中で止まった。ほっと息をつき、宙に浮いたままの帽子を掴む。


「あ、ありがとうございます」


 珠希さんが泣いていることに気づいた。涙を一生懸命拭う姿がとても愛しいと思いながら、彼女の手をとって薬指に指輪をはめた。


「こんなに綺麗なの。すごいね。頑張ってくれたんだね。ありがとう」


「よかった。これからたくさん勉強して、珠希さんのこと幸せにできるようになるから」


「ありがとう。私も環くんに幸せって思ってもらえるようにがんばるね」


 手を繋ぎ、互いに見つめあった。雲が流れ、日が動き、影の形も変わっていた。こんなふうに時間がうつろっても、俺と彼女は同じ世界で手をとって生きていく。もう何があっても離したりはしない。別に守ってあげなければならないほど彼女は弱くないことは知っているが、それでも。


「なんだか結婚式みたいだったね」


 珠希さんが笑いながら、白いワンピースの裾を揺らした。夏の日差しの下で輝く笑顔は、ダイヤよりも眩しい。


「た、たしかに」


 証人は元気に鳴いているセミ達くらいだが、言われてみれば。夏の空気で熱せられた顔がさらに熱くなった。


〈おわり〉

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