魔法少女 まじかる⭐︎あかり〈前〉
「紺野くん、ボクと契約して魔法少女になってよ」
「……環くん?」
確かこれはひと昔前に放送されたある深夜アニメの一説。一部の界隈で大変流行ったセリフを笑顔で言ったのは、同じ部屋で暮らす香坂環くんだ。
僕は放送当時中学生。寮で同室だった友人が大いにハマっていたので当時は漫画版で嗜んだ。大人になってから配信で全話見て……劇場版までは……まあいいか。
彼は当時幼稚園児くらいのはずだけど、有名作なので配信などで見て知っていてもおかしくはない。だけど……彼にアニメを見る趣味はあっただろうか?
とりあえずそれはどうでもいいとして、目の前の環くんにはおかしなことがみっつ。一人称が違うのがひとつ。そして彼は僕のことを『紺野くん』などとは呼ばない。これでふたつ。
そして、見た目にはっきりとした重大なことがある。環くんの頭からはまっすぐで長い、うさぎの耳が生えているのだ。彼の髪色に馴染む深い焦茶色の耳が伸びて、ぴこぴこと忙しなく動いている。
日々彼をまじまじと観察しているからか、解像度が高くて本物と遜色はない。うさ耳が生えていること以外はうまく再現できているのではないかと思う。
彼が着ている針葉樹を思わせる深緑色の三つ揃えのスーツはちょっぴりオーバーサイズで、胸元では真紅の大きな蝶ネクタイが誇らしげにしている。足元では妙に大きな焦茶の靴が、こちらも見てと言わんばかりに輝いている。
まるでサイズの合わない貸衣装を無理やり着せられているようだけど、大きなうさ耳を生やした環くんにはよく似合っていた。
「どうする? 魔法少女になるか、ならないか」
うさ耳がじりりと僕の眼前に迫ってくる。
「うん、面白そうだから付き合おうかな」
「ん、大事なことなのに即答してもいいの?」
「だって」
これは夢だからね。
最後まで言い切らなかった僕を見て、うさぎ環くんは首を傾げる。耳がまたピコンと動いた。
まあ、今の彼にそれを突きつけるのは無粋というものだろう。
紫色の空に金平糖のように甘そうな色をした星が散らばって、透き通った桃色の三日月が浮かんでいる。吹き抜ける風はなぜか金木犀の香り。目を凝らせば、橙色の小星がそこらじゅうをたゆたっている。
現実ではあり得ない景色の中で向かい合う、いつもと変わらぬ僕と、うさぎ環くん。まるで絵本の登場人物にでもなったみたいだった。
とにかく、普段はリアル寄りの夢しか見ない僕なのに、こんなに色とりどりな夢を見た理由にはひとつ心当たりがあった。
今夜は、魔術学校時代の学友と久々に会って食事をする機会があった。卒業以来、実に五年ぶりの再会だ。
初めてこの国に来た彼が会食の場に希望したのは庶民的な居酒屋。事前にそのあたりの情報通である伊鈴先生に教えてもらっていた店に彼と二人で行き、お酒を飲みながら居酒屋定番のメニューや珍しい郷土料理に舌鼓を打った。
学生時代の思い出話に花を咲かせているうちに……まあつまるところ、ちょっと飲みすぎたというわけだ。彼をホテルまで送り届けたところまでは覚えているけど、僕はちゃんと寮まで帰り着けたっけ?
その先を必死で思い出そうとした僕の目の前を、カラフルな蝶々がひらひら飛んでいく。カラーセロファンみたいに鮮やかで透き通った羽根がキラキラと光っている。
紫色の空を飛ぶのはホイル紙やオーロラ紙で折られた鳥、歩き回っているのはぬいぐるみや、お菓子で作られたような動物たち。足元の砂はザラメに似ていて、一粒一粒が月明かりを細かに反射していた。
うーん、
「じゃあ契約しよう。これに署名してハンコ押して」
何もかもを受け入れることにしたところで、うさぎ環くんが懐から差し出したのは大きな茶封筒。学校名と校章が印刷されている、日頃から慣れ親しんでいるものだ。メルヘンの世界に急に飛び出してきたリアルにたじろぐ僕。
しかし、懐には無傷で収まらないサイズのはずなのに、なぜかシワも折り目もなくピンとしている。そこはしっかりファンタジーだ。
「うわ、ここは魔法のアイテムじゃないんだね」
「……当たり前じゃないか」
呆れた顔でため息をつくうさぎ環くん。
となると、中身はもちろんキラキラした魔法のアイテムなんかじゃなくて……やっぱり。
封筒の中身は、甲は、乙は、と書かれた迫真の契約書だった。二枚綴りで、上から下まで文字で真っ黒に塗られている。学者の端くれとして分厚い専門書や論文と日々触れ合う僕とて、この手の文章は読み慣れていないので少々骨が折れそうだ。
だからと言って適当に読み流してサインしてはいけない。中には大事なことが書かれていることが多いので、一言一句、逃さずに……って、やっぱりここは夢だからなのか、ツルツルと目が滑って、内容がちゃんと頭に入ってこない。困ったな。
うさぎ環くんは何とか契約書を読み解こうとする僕を急かすように、懐から取り出した懐中時計と僕の間で視線をしきりに動かしている。懐中時計は確か彼が大切に持っているものと同じだ。ここもリアルである。
「真面目だなあ、そんなもの適当でいいのに」
「……君は僕よりずっと真面目なはずなんだけどねえ」
まあいいか。ここは夢、もし不利な内容が書いてあったとしても損害を被ったりはしないだろう。僕は契約書をちゃんと読むことを諦めて、胸ポケットに手を伸ばした。
夢の中なのに、いや、夢の中だからなのか、いつもの位置に愛用のボールペンと印鑑が突っ込まれていた。
ところで認印でいいのかな、まあ、細かいことはいいか。署名捺印っと。
「うん。じゃあ契約成立だね」
うさぎ環くんは茶封筒に契約書を丸めて入れると、耳をピンと立てた。
【邪神タキルニーアとの契約の元、かの者に力を授けたまえ〜ホニャララ〜ヘニャララ〜ナントカカントカ〜】
うさぎ環くんがあまりにも作り込みが甘すぎる呪文を詠唱すると、彼の足元になんともそれっぽい魔法陣が現れて淡く光りだす。ちなみに、魔術ではこんなものは出てこない。
いや、待てよ? 今、邪神って言ったかな? うーん、なんか物騒なものと契約させられようとしているんじゃないかい? 悪い魔法じゃなきゃいいんだけど。
急に不安になってきたけど、ハンコを押してしまったし、きっともう引き返せない。
大きく膨らんだ茶封筒から光が吹き出し、紫色の空に丸い虹を描いた。そこから霧雨のように細かな光が降ってくる。夢みたいな光景(夢だけどね)に息を呑んでいると、うさぎ環くんがやり切った顔をして、茶封筒に手を突っ込んだ。
「はぁ、できたよ」
「うおおおっ!?」
取り出されたものに、思わず大声を上げてしまった。
丸められた契約書は、魔法の杖……というかここではステッキと言ったほうがいいか……に姿を変えていた。
僕の身長に合わせたのか大ぶりではあるけれど、見た目は完全に女の子用のおもちゃである。差し出されたものを、丁寧に受け取った。
リボンやハートといった女の子の好きそうなモチーフと、曲線をたくみに組み合わせた柔らかなデザイン。あちこちにカットを施されたストーンがはめこまれている。てっぺんにあしらわれた大きな星が、薄桃色の月明かりを吸い込んで無垢に輝いていた。
姪っ子が持っているこの手のおもちゃを見せてもらったことがあるけど、それより幾分か造形が細かく見えるし、ずっしりと重さもある。
「へえ、よくできてるねえ」
「どうも」
うさぎ環くんが満更でもない様子で胸を張る。
近頃は大人向けに凝ったギミックのものが発売されたりもするようだけど、これもその類のものだろうか。
大きな星の下にあしらわれたリボン、その真ん中にくっついている紫色のストーンは……どうやらボタンになっているようだね。ぽちっとな。
「あっ、勝手にボタンを押すな!!」
「えっ?」
シャララララン、とチープな効果音のあと、僕の足元が眩く光りだした。畳んだ紙を広げるように魔法陣が現れ、そこから無数の光の蔦がぐんぐん伸びてくる。
こんなボタンひとつで発動するなんて、魔法ってずいぶんと簡単なんだね!? 魔術の面倒さをわかっているがゆえに、大いに焦った。
「あーあ、これから説明しようとしたのに。まあいいか。頑張って【変身】してね」
うさぎ環くんが、出かける人を見送るように耳と手を振っている。
「えっ!? ああっ」
一瞬で視界が全て蔦に埋め尽くされ、うさぎ環くんの姿が見えなくなった。僕はどうやら繭のようなものにすっぽりと包まれてしまったらしい。
何が起こるんだと身構えた直後、筆舌しがたいこそばゆさに襲われた。全身をリボンのようなものにつつき回されている。
ちょっと待ってくれ、いつのまにか服が溶けてるじゃないか!?
……大概のことには動じない自信があるけど、さすがに生まれたままの姿にされてしまったら話は別だった。
うーん、食虫植物に捕食される時ってこんな気分なのかもしれないなってあははははは!! くすぐったいな!! 勘弁してくれ!!
そんな感じでしばらくもがき苦しんでいたけど、繭が消えたのと同時に地獄のような時間から解放された。
あっ、そうだ、服!! 先ほどのことを思い出して両腕で隠せる範囲を隠そうとしたけど……。
感じたのは滑らかな布の感触。とりあえずちゃんと服は着ていたのでホッとしたけど、それとは別件でちょっと大変な状態になっていた。
僕の身を包んでいたのは、夜空を生地にして縫い上げたような色のドレス。そこに月明かりの色を思わせる白銀のリボンやフリルがいくつもあしらわれている。腰から膝にかけてふんわりと膨らんだスカートには、大小も色もさまざまなビーズが留められて、空に散らばる星屑のように輝いていた。
まったく、ため息の出るような美しさだけど。
「えーっと、これはいったい?」
「何って、見てわからないの? 紺野くんは学者さんなのに?」
「あはは。あいにくと、こういうことは専門外なもので」
まず、僕は魔術の専門家であって、魔法のことなんかよく知らない。(魔法はフィクションだしね)
変わっているのは服だけではなく、髪も腰ほどまで伸びている。どうやら頭や耳にも装飾があるようだけど、鏡がないから自分では確かめられないね。
ううん、これは、魔女といえばのとんがり帽子かな? そんな感じであちこちを手探りで確かめる僕を、うさぎ環くんは揃えた耳を思いっきり伸ばし、ビシッと指差した。
「だから君は魔法少女になったの。今から君は『魔法少女まじかる⭐︎あかりちゃん』だ」
有無は言わせないと言わんばかりだけど。
「うーん、少女……ではないと思うけどねえ」
スカートの上から軽く下半身を確認してから申告すると、うさぎ環くんはあからさまに不機嫌な顔を返してきた。
僕は男性にしても背が高い方なんだけれど、目線の高さも変わってないし、股間にもそのまんま、あるものがある。可憐な少女の装いに身を包んではいるけれど、僕はあくまでも元の成年男性のままだ。
ちょっと危ない見た目かもしれないね。夢だからなんでもありだとは思うけど。
「ああもう細かいことはいいの。とにかく行こっか、あかりちゃん」
「行くってどこに?」
「はあ、ほうき星の女王様のところに決まってるだろ。【来よ魔法のホウキ。ナントカカントカ〜】」
うさぎ環くんの詠唱の後、茶封筒の中からホウキが飛び出してくる。穂から光を散らしながら空をぐるりと飛ぶと、僕の前にやってきてピタリと静止した。生き物を思わせる振る舞いに感心する。
「これに乗ればいいのかな」
「うん。ボクについてきて」
またがって乗るとスカートの中身が丸見えになってしまいそうでよろしくないので、腰をかけるようにして乗り、足を揃えた。この辺りの振る舞いは子供の時に身につけたからあまり苦ではない。
地を蹴ると、ホウキはふんわりと上昇した。そういえば、初めて自動車を運転した時はままならなさにびっくりしたものだけど、ホウキはちゃんと僕がイメージした通りに飛んでゆく。
重力から解放されて紫色の星空をすうっと進む。金木犀の香りのする風を切るのはこの上なく気持ちがよかった。
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