第4幕 八重衣の花嫁
昔々というほども遠くなく、昨日というほどにも近くないころ。
あるところに、たいそう服を作るのが好きな少女がおりました。
彼女は祝いのドレスも毎日の普段着も、興味が向けば何でも作りました。
いいえ、時には靴から髪飾りから、ボタンまでも自分で作ってしまいました。
誰に頼まれなくても勝手に作るわけですから、彼女の周りの人々はその情熱に舌を巻き、同時に呆れ返ってもいました。
さらに面倒で迷惑なことに、彼女は突拍子もないことをよく言いました。
「遥か北の地に住まう炎のドラゴンの鱗が欲しいわ。それを削ってお湯に溶かして糸を染めるの。それで編んだ服なら、きっと冬の寒さだって怖くないわ!」
一体何の冗談なのでしょう。
たとえばドラゴンの鱗で作られた鎧は強く、負け知らずと評判です。
ですがそれは同時に、呪われた鎧でもあります。
もちろん、使おうなどと思う人はいません。
それをましてや普通の服になど。
しかも糸を染めるのに使うだって?
気が知れないな。
町の人はそう言って、相手にしてくれませんでした。
ただ一人、幼なじみの少年だけが、文句を言いながらも少女の欲しい物をいつも手に入れてきてくれました。
時には戦って、時には交渉して。
どんな物でも必ず携えて、彼は彼女のところへ帰ってきてくれました。
やがて時は経ち、少女は年頃の快活な娘に、少年は立派な青年に成長しました。
互いに腕がいいと評判の服屋と冒険者になっても、言うこととやることは昔から何も変わりませんでした。
そんな日々に満足していた、冬が始まる頃のある日のことです。
真剣な顔で青年が娘に言いました。
「ひとつ、拵えて欲しい服がある」、と。
もちろん、娘は二つ返事で引き受けました。
青年の注文はかなり細かく、そのぶんとてもやりがいがありました。
娘は張り切って取り組みました。
まずは、神性な天使の羽で織った純白のドレス。
何層にも重なり、風にふわりと浮き上がればそれは、まるで優雅な羽ばたきのように。
裾には棘のない白薔薇の刺繍をあしらい、足のない小鳥の鱗粉を全身に振りまいて輝かせます。
次に靴。
万年雪に閉ざされた洞窟で採れた青い氷水晶を、サラマンダーの棲む火山の炎で加工しました。
美しく澄んだガラスの靴の爪先には、ピンクに煌めく宝石で蝶の飾りを添えて。
あとは、聖なる泉の底で繭をはく貝の生糸でしたためられた、淡い詩歌のようなヴェール。
古い星明かりに濡れて、人の行方を照らし見守る銀のティアラ。
幸せを運ぶ瑞々しい四葉のクローバーは、逃げてしまわないようにイヤリングの硝子玉にちゃんと閉じ込めました。
それから、ユニコーンの鬣から撚られた乳白色の糸で編み上げた清らかなグローブ。
浅瀬の波間から掬いとった薄い青緑の宝石と、真っ白な真珠を連ねたネックレス。
最後には、四季の花々を集めた丸いブーケを。
これら全てには、魔除けの祈りが込められた香料を含ませています。
道ゆく人々は、風に乗ってきたほのかな甘い匂いに首を傾げて、そして工房の窓から中をのぞいて、納得したようにうなずいていました。
そして誰もが手を胸に当てて言うのです。
「どうぞ、お幸せに」
完成したのは、実に半年も経った後でした。
青年は完成した服を何度も何度も眺めて、ほぅとため息をこぼしました。
「すげえな。期待以上だ」
そして娘に振り返ると言いました。
「ありがとよ。それで代金だけど」
「ああ、いいよ。いらない」
娘は屈託なく笑って、手を振りました。
「だってさ。あたし今までアンタに色んな物を取ってきてもらってたけど、あんまお金払ってないし。だから、これがその代金」
お金の入った袋を取り出そうとしていた青年は、ふっと微笑んでその手を下ろしました。
「んじゃ、ありがたく前払いだったってことで」
そして大事そうに一式を抱えると、工房から出て行きました。
最後に戸口で振り返って、またお礼を言いました。
「本当にありがとな。すげえ嬉しいよ」
それは、今まで見たこともないような優しい笑顔でした。
愛おしげにドレスを撫でる手は、一体誰を想ってのことなのでしょう。
帰路につく青年を見送り、娘は工房の中へ戻りました。
改めて見れば、ずいぶんガランとした印象です。
半年もかけた大仕事が終わったのだと、ようやく娘は実感しました。
「あーあ……」
娘は適当に椅子に腰掛けると、机に顔を伏せました。
青年は、拵えて欲しい服があると言っただけでした。
それが誰の為の、何の為の服なのか、最後まで一度も口にしませんでした。
それでも、作り始めたらすぐに分かったのです。
だってそれは、穢れなき白い色で仕上げた女性用のドレスなのですから。
そう。
うら若き乙女の新たな門出と永遠の幸せを祝福する、一生に一度のもの。
────すなわち、婚礼衣装。
「そっか……。あいつ、結婚するのかあ……」
ぽろっと漏れたのは、この半年ずっと言いたくて、けれども出せなかった娘の本音でした。
べつに、涙が出るほど悲しいわけではありません。
だけど、笑って祝える気分でもありませんでした。
「……これから、誰に手伝ってもらえばいいんだろ」
まさか家庭のある男に、よその女が危険なことを頼むわけにはいきません。
「はーーぁ……。なんか、さびしいなぁ……」
重いため息は、広くなった床を転がっていきました。
ドンドンと扉を叩く音に、娘はハッとして顔を上げました。
いつの間にか眠ってしまっていたようです。
窓の外には抜けるような青空が広がり、太陽が燦々と輝いていました。すっかり朝です。
軋む体をほぐすように肩や腕を回しながら、娘は大あくびをして扉を開けました。
「はいはーい。どちら様ー?」
「まったく、色気もへったくれもねえな。人がせっかくプロポーズにし来てんのによ」
そこには、幼なじみの青年が立っていました。
それも、売ったばかりのウェディングドレスを抱えて。
「……え?」
まさか、昨日の今日で返品はないよね?
というか、今、プロポーズと言った?
誰が誰に? あれ?
「この鈍感女……」
目を白黒させている娘を見て、何が言いたいのか分かったのでしょう。
青年はがっくりと肩を落としました。
そして気を取り直すように咳払いをして、スッと膝を折りました。
「俺と、結婚してほしい」
ぱかりと開けて見せた小さな箱には、これもまた小さな純銀の指輪が収められていました。
「きれい……」
指輪の上にはめ込まれた石を見て、娘は思わずそう呟きました。
「だろ? これは、千年の周期で生と死を繰り返すフェニックスの羽根の、その一筋だ」
黄金色、ラベンダー、深紅、ブルー……。虹よりもたくさんの色が、なにものよりも鮮やかに。
刻一刻と姿移ろう石には、綺麗の言葉以外にかけるものがありませんでした。
不死鳥の羽なんて、たとえその羽毛の一本であったとしても、売れば末代まで遊んで暮らせるだけのお金になるでしょう。
「俺は、この永遠の炎に、お前への愛を誓おう」
それをこの青年は、たったひとりの為に使うと言うのです。
「好きだ。世界の誰よりも、お前が大好きだ。だから、俺の生涯の伴侶になってほしい」
娘は何度も深呼吸をして、目を瞬かせて、それでようやくこれが現実だと受け入れました。
「あたしでよければ、喜んで」
目元が赤らんでいるのは、照れているのか。
それとも、泣きたいほど嬉しかったからなのか。
青年はほっと胸を撫で下ろすと、娘の手を取って指輪をはめました。
「お前じゃなきゃダメなんだよ。何年越しの片思いだと思ってんだ」
「えっ、そんな前からだったの?」
「……こんにゃろ」
それでも笑い合う二人は、幸せいっぱいなのでした。
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