AkaHoho

くちびる

「あぁ…寒くなったね」


11月4日の朝、みおが、千颯ちはやに言った。今日は、澪の誕生日だった。千颯は、コートの袖を指先まで持ってきて、吐息で手を温める澪を、愛おしそうに見つめる。


「…そうだな」


千颯が言うと、澪はそっと顔を覗かせ、悪戯に笑う。


「ふふっ」


「なんだよ」


にやつく澪に、苛立ってもいないのに、口調だけは強く千颯は言う。2人は、付き合って3年が経つ。中学2年生の時から、付き合い出した。告白したのは、千颯の方。最初、澪はその告白にひどく驚いた。と、後で千颯に言った。なんで?と千颯が尋ねたら、私もすきだったから。と、澪は照れもしないで応えた。照れたのは、千颯の方だった。そう言った時の千颯の真っ赤な頬を、澪は今でも憶えている。


「今日はどんなサプライズがあるの?」


寒そうに手をこすりながら、前を向き直して、澪が千颯に尋ねる。


「なんだと思う?」


「えー…?ちゃんとケーキくらいはあるよねぇ?」


ちょっとふてくされたように、澪はまた千颯に視線を移す。


「ないって言ったら?」


「怒る」


「ふっ。ケーキだけじゃ、それでも満足しないくせに」


「寒い寒い」


そーっと吹く空っ風を言い訳に、不意っとそっぽを向く澪。街は、秋と冬の間で、師走を前に何処かせわしく動いている。それなのに、千颯が促して、たどりついた公園は、誰もいなくて、少し茶色に染まった木々たちが立ち並んでいた。


「ちーくん、こんな寒い所でお誕生日会?」


「何かご不満かい?」


「えー…。ケーキも無いの?やっぱり」


澪はそう言ったが、千颯が、まぁまぁと、ベンチに誘導し、腰掛けると、2人はしばし沈黙を楽しんだ。何もない。誰もいない。イチョウの葉が、少し寂し気に舞っている。5分?10分?どのくらい、沈黙していただろう?でも、澪も千颯も、別に寒くもなかったし、つまらなくもなかった。しかし、千颯だけは、緊張していた。少し…いや、かなり。その緊張を、澪は知らない。澪は、ただただ、ひらひら舞うイチョウを見つめていた。


「ねぇ、ちーくん。青空が奇麗。白い息が吸い込まれてくよ」


『…だよ…』


千颯のくちびるが、聴こえるか聴こえないかの声と一緒に動いた。


「ん?」


澪には、聞き取れなかった。千颯の指先が伸びる。澪の赤く染まった頬に、感じるか感じないかの距離で触れる。少し、震えている…。きっと、寒い、からじゃない。そんな千颯の視線が、そっと澪に向けられた。一気に、澪の頬は赤みを増す。


「誕生日、おめでとう。澪」


そう言うと、千颯は伸ばした右手を澪の頬に置いたまま、コートの左ポケットから何かを取り出した。


箱だ。むき出しの。包装もされていない。リボンもない。でも、少し高級そうな紺色のベロアの箱が確かに千颯の左手にある。もう、中身はわかる。澪は、今にも泣きそうだ。千颯はいったん、澪の頬から手を離すと、箱のふたを開けた。そこには、高校生が買ったとは思えないほど、美しい宝石のついた指輪が光っていた。


「ごめんな」


「え?」


いきなり、何を謝れているのか、と澪は戸惑った。


「最近、あんましデート、出来て無かったろ」


澪は、声には出さなかったが、あぁ…と頷いた。…と。千颯はアルバイトをしていた。澪には内緒で。バレないように。こっそりと。アルバイトをするにあたって、親からは勉強に支障が出たら即辞めるように、ときつく言われていたし、部活にも入っていたので、澪との時間が、中々取れなくなっていた。内心、澪に振られやしないか、嫌われやしないか、愛想つかされやしないか、ひやひやものだった。


「ちーくん…。ありがとう…、こんなに奇麗な指輪、初めて見た…」


澪は、澪の瞳は、少し潤んでいる。それはそうだ。こんなバースデープレゼント、素敵すぎる。きっと、果てしなく高かったに違いない。普通の高校生が出せる金額を優に超えている。


「はめてもいい?」


澪は、千颯に聞いた。


「うん。じゃあ…」


そう言うと、千颯は、そっと澪の左手薬指を丁寧に持ち上げ、スッと指輪を通した。澪の瞳が潤みを増す。そして、一滴ひとしずく、ポタっと手の甲に涙が落ちた。ここをのがさんとばかりに、千颯はそっと澪のくちびるにキスをした。











どれくらい、長い時間が過ぎただろう?2人は、石像のように、寄り添い合ったまま、公園のベンチにいた。澪は、静かに、ずーっと左手薬指を眺めている。



千颯は…、泣いたわけでもないのに、なんでだか、まるで大泣きした後みたいに、心が熱かった。



(なんで…なんでこんなに…心が熱くなるんだ?こんなの…知らねぇよ…知らねぇよ…)



ひたすら、心の中で繰り返していた。ただでさえ、こんな胸の熱さに狂おしい気持ちなのに、それに拍車をかけるように、澪が言う。


「ちーくん、だいすき」


「…ん」


泣いたわけでも無いのに、喉まで熱くなるのを、千颯は感じていた。


「バイトして良かったなぁ…」


「あはは!」


「あ!声出てた?」


「出てた。出てた」


『あはははははっ!』


2人の笑い声で、時間は動き出した。イチョウの葉が、待ってましたと言わんばかりに、舞い始める。そっと空っ風が吹き始める。公園に人がポツポツ現れ始める。




そして、澪は最後に、この日の1番の疑問を千颯にぶつけた。


「ねぇ、ちーくん。さっき、なんて言った?聴こえなかった」


「…」


千颯は答えない。


「ねぇ、ちーくん」


少し、甘えたように、澪はその答えを催促する。


「すきだよ!」





澪の、お誕生日会が終わりを告げた―――…。

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