噂のぬいぐるみ

杉野みくや

噂のぬいぐるみ

 三月某日、俺はスマホを片手で持ちながら深夜の町の中をすたすたと歩いていた。胃のあたりがキリキリしていたが、それは深夜の暗闇による不安ではなく、原因は別にあった。


「人が食らう罰ゲームを眺めるのはやはり楽しいね~」


 スマホにつないだワイヤレスイヤホンから友人たちの愉快そうな声が届く。

 そう、俺は罰ゲームを実行に移すためにこんなひと気の無い暗闇の町にいるのだ。その内容は『町外れの森の中にたたずむ古びた館の中に入り、噂のぬいぐるみをカメラに抑える』というものだった。


 俺は罰ゲームが決まったときからこの日が来るのを心の底から拒んでいた。というのも、その館にはいくつもの奇妙な噂がつきまとっており、誰も近づこうとすらしない代物だったからだ。中でもひときわ有名なのが、書斎にあるという「うさぎのぬいぐるみ」の話だ。なんでも満月が照らす深夜になるとひとりでに動き出すそうだ。かつてそこに住んでいた主が生前大切にしていたものらしいが、どこに持って行っても気づいた時には書斎に戻っていたようで、周囲では主の怨念かなにかが宿っているのではと不気味がられていたとのことだった。


 というわけで、本当は今すぐにでも帰宅してふかふかのベッドにダイブしたい気持ちでいっぱいだった。それに加えて、罰ゲームのきっかけにもなった、サークルの合宿での勝負のことを何度も悔やんだ。しかし、俺にもプライドというものがある。若気の至りなのかもしれないが、肝試し程度で逃げることはできないのだ。

 俺はジャージのポケットにもう片方の手を突っ込み、闇に包まれた道をひたすら進んでいった。



 友人たちとビデオ通話をしながら数十分ほど歩いたところで、ようやく森の入り口へとたどり着いた。中はうっそうとしており、持参した懐中電灯をつけても先が見通せないほどの暗闇だった。俺はふっと息をひとつ吐き、恐怖心を肩で押さえつけた。そして、道と呼ぶにはおよそほど遠い森の地面を、足下に注意しながら踏みしめていった。


 少し進むと、木々に溶け込むような状態で例の館が姿を現した。俺は懐中電灯を上下左右に動かし、ビデオ通話越しの友人とともに外観を確認した。二階建ての館の壁にはツタが生い茂り、窓ガラスはところどころ割れていた。周囲の草は膝丈ぐらいまでぼうぼうに伸びきっており、青臭い匂いが館を包んでいた。


「やっぱり気味が悪いな」


 独り言のつもりで口にしたが、スマホのマイクはしっかり拾っていた。


「びびってんのか?」

「へっ、んなわけ」


 俺は悪い笑みを浮かべる友人の期待に応えるように大きなドアに近づくと、懐中電灯を脇に挟み、取っ手に手をかけた。そのままゆっくり引くと、ぎしぎし鈍い音を立てながら重々しくドアが開く。半分ほど開いたところで俺は館の中を懐中電灯で照らしてみた。壁には至る所にヒビが入っており、大きな蜘蛛の巣が天井付近にいくつも作られているのが見えた。また、木造の床はところどころひどく痛んでおり、中には穴が空いている所もあった。


「お、おじゃましまーす」


 俺は館内にそっと足を踏み入れ、忍び足で進んでいった。床を歩くたび、ミシッ、ミシッと軋む音が静寂の館内に響く。当然人の気配はないが、それがかえって不気味さを増幅させていた。友人たちにもその空気感が伝わっているのか、誰も言葉を発さなかった。


(噂だと、書斎は2階にあったはずだよな)


 俺は中央にある巨大な階段に近づいた。ここもひどく痛んでいたが、手すりには大量の埃がたまっていたため、突然穴が空いたりしないことを祈りながら上っていった。

 2階は正面に大きな扉がひとつ、そして左右の通路沿いに扉が2つずつあり、中には立て付けの悪いものもあった。まずは正面、そして次に右側の通路沿いの方から順に扉を開けるも例のぬいぐるみは見つからなかった。そしていよいよ残された部屋は左側の通路の一番奥にあるもののみとなった。


「ぬいぐるみがあるとしたらここが最後か」

「ああ、——いくぞ」


 俺は小刻みに震える手でドアノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開いた。


 その部屋には天井に空いた穴から一筋の月光が差し込んでいた。その光は正面にぽつんと置かれている小さな机をスポットライトのごとく照らしていた。そして、その古びた机の上には、ぼろぼろになった茶色のうさぎのぬいぐるみが置かれていた。


「おい、あれって」

「ま、間違いない。噂のぬいぐるみだ」


 俺は友人たちにもよく見えるようスマホを構え直した。そしておそるおそる中に入り、ぬいぐるみに近づいた。よく見てみるとあちこちに大きなほつれがあり、右肩からは綿が飛び出してしまっていた。こんな状態のものが動くとはにわかには信じがたく、やはりただの噂でしかないと結論づけた。


「せっかくだし、少し触ってみたらどうだ?」


 恐怖心が薄れたところで友人の提案に即座に乗った俺は懐中電灯を懐にしまい、目の前のぬいぐるみの小さな右手を握ってみた。埃にまみれたその手はさらさらしつつも、不快感を覚えるものだった。俺はすぐに手を離そうと軽く指を離した、はずだった。


「どうした?」

「……離れない」

「え?どういうことだ、それは?」

「人差し指が、ぬいぐるみから離れないんだよ」


 俺はスマホを机に置き、もう片方の手でぬいぐるみの右腕を引っ張った。それでも離れる気配は一向になく、焦りが募った。今度はぬいぐるみの胴体をつかみ、思いっきり引っ張った。すると、ぷつっ、という音と共に指の張力が一気に解放された。ようやく指が離れたかと思ったが、安心するには早すぎた。


「うわっ!?やっべ!」


 なんと、ぬいぐるみの右腕がまるごと取れてしまっていた。床には先ほどまで自分の指を離さなかったぼろぼろの腕が落ちていた。慌てて拾い上げ、腕と肩の接合部を合わせようとするも、当然くっつくはずもない。


「今度はどうしたんだ!?」


 友人が驚いたように尋ねる。俺はスマホを持ち上げ、無残な姿になったうさぎのぬいぐるみを映した。


「と、取れちった……」

「え!?ど、どうすんだよ!?」

「……と、とりあえずここを離れるよ。なんか、嫌な予感するし」


 俺は急いで部屋の扉まで行った。正確には。しかし、目の前の光景がそれを阻止したのだ。


「え?」


 俺が入ってきたはずの扉はそこにはなく、ぼろぼろの壁が広がっていた。慌てて友人に話しかけようとスマホを見るが、画面には砂嵐が流れるだけで何も反応しない。


「なんだよ、これ」


 混乱を極めていると、どこからかか細い声が聞こえてきた。後ろを振り返ると、机の上にあったはずのうさぎのぬいぐるみが消えていた。


「っ!?」


 思わず息を飲む。焦りが沸騰しながら周囲を見渡した。ふと斜め下からピリピリした嫌な気配を感じた。そこに目を向けると、右腕のないうさぎのぬいぐるみが目を紅く光らせながらじりじりとにじり寄ってきていた。


「——ナイ……。——サナイ……」


 声はどんどん大きくなっていく。背筋に寒気が走り、冷や汗が止まらない。後ずさりしようとするも、腰が抜けて尻餅をついてしまう。手の震えが止まらず、スマホすらろくに持つことができなかった。

 うさぎのぬいぐるみは身動きの効かない俺の目の前まで来ると、顔を上げてギロッとにらんだ。


「ニガサナイ……」


 うさぎのぬいぐるみはそうつぶやくと不気味な笑みを浮かべ、一歩、また一歩と近づいてきた。


「く、来るな!やめろー!」

 

﹎ ﹎ ﹎ ﹎ ﹎ ﹎ ﹎ ﹎ ﹎ ﹎ ﹎ ﹎


 意識がだんだんと覚醒してきた。なんだかとても長く寝ていたような気分だ。一度伸びをしようとしたが、なぜか身体が鉛のように重く、1ミリも動かなかった。それに先ほどから何やら話し声も聞こえてきていた。俺は気になってそっと目を開き、そして愕然とした。


「ああ、大丈夫だよ」 


 声の主は他ならぬ『俺自身』だった。俺のスマホを持ち、友人と親しげに話していた。理解に苦しんだ俺は思わず視線を下に移した。そして俺は再び愕然とした。

 俺は机らしき板の上に座っている上に、胴体から足にかけてはぼろぼろになった布生地をまとっていた。また、右腕はなく、右肩からは埃をかぶった綿が露出していた。それだけで、今の自分の状況を察するには十分だった。


 慌てて前を向くと、『俺』は扉を開けて部屋から出ようとしていた。俺は必死に呼びかけようとしたが、なぜか声が出なかった。そのまま『俺』は通路に出るとこちらに目を向けて立ち止まった。そして不気味に微笑みながらゆっくり扉を閉めた。

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