第51話 来訪Ⅴ 本音

「昨日のこと、考えてくれた? 」


 ヘンリエッタ様の執務室。2人きりになった空間で、ヘンリエッタ様がそう切り出したまさにその瞬間。


 いきなり魔法の光が顕現したかと思うと。


「待って! 」


 この数週間ずっと心の奥底では聞きたくって、でもついぞ聞くことができなかった声。その声に、ぼくの目からは勝手に涙が流れていた。そう、魔法光が消え去ったそこには、お嬢様の姿があった。


 唐突なお嬢様の登場にさすがにヘンリエッタ様も驚いたのか目をぱちくりさせている。


「ミレーヌ!? なんでここに……」


「蒼弓の魔女様で転移魔法で飛ばしてもらったのよ――あたし、ヘンリエッタや他のみんなのお陰でようやく自分の本心に気付けたから」


 そうヘンリエッタ様に告げてから。お嬢様はぼくの方に向き直る。その空色の瞳は、お嬢様らしくもなく不安そうに揺れている。


「アリエル。あたしって本当に不器用で、つい思ってもないことを言ってアリエルのことを傷つけちゃった。でも、アリエルと1週間以上はなればなれになってようやくわかった。アリエルはあたし抜きでもう生きていけないから一緒にいてあげなくちゃ、じゃない。あたしが、アリエルなしだともう生きていけなくなっちゃってたんだ」


「な、なんで……だって、今のぼくは、お嬢様の初恋相手の、強くて、可愛い女の子なんかじゃ……」


 ぼくがそう言いかけた瞬間。ぎゅっとお嬢様が抱き着いてきて、ぼくはその台詞を最後まで言えなかった。


「そんなのあたしにもわからないわよ! でも、今のあたしには今のアリエルが必要なの! 女の子が苦手で、男装して、いつも不安げに檸檬色の瞳を揺らしていて。そんなアリエルがいないと寂しくて、何か物足りなくて、もう生きていけない体になっちゃったの! だから……あたしのことを棄てないで。あたしのことを選んでよ……」


 気づいたらお嬢様は涙で頬を濡らしていた。そんな泣きじゃくった御嬢様を見るのは二度目。でも、一度目とは違ってぼくはその涙の温もりをすぐ傍で感じていた。


「……お嬢様が求めてくださるのなら、ぼくはお嬢様の傍に居続けさせてもらいますよ。だって、ぼくにとっての初恋相手はお嬢様だけなんですから。それは、他の人がどんなにぼくに愛情を注いでくれても、絶対に揺らがない」


 この時、なんでぼくがヘンリエッタ様の提案を受け入れられなかったのかようやくわかった気がした。ぼくにとってやっぱり『初恋相手』はお嬢様しかいないんだ。


 そんなぼくの台詞に何かご不満なのか、お嬢様は頬を膨らませる。


「その呼び方、なんか嫌だ。あたしのことも名前で呼んで」


 泣きじゃくりながらも、年相応の女の子っぽい駄々をこねてくるお嬢様にぼくの頬はふっと和らいじゃう。そして。ぼくは満面の笑みを浮かべて呼びかける。


「はい、ミレーヌ様! 」




それから。ぼく達はどれだけ2人で抱き締め合っていたんだろう。


「……あーあ、やっぱり『はじめて』には勝てないかぁ」


 ヘンリエッタ様のそんな科白でぼく達は2人きりの世界から現実に引き戻される。そう呟くヘンリエッタ様は言葉ほど残念そうには見えなかった。それでも。


「ごめんなさい、ヘンリエッタ様。ヘンリエッタ様はあんなにぼくのことを思ってくださったのに」


 申し訳なくなったぼくに、ヘンリエッタ様は快活そうに笑う。


「いいのいいの。最初からミレーヌにまだその気があるんだったら幼馴染として2人を応援するつもりだったし、何よりアリエルちゃんが納得できる選択が、好きになったわたしとしても一番嬉しい。だけどさ」


 そこで一瞬だけ真顔になるヘンリエッタ様。


「もし、もしもの話だよ? もし、勇者パーティーを追放された君に、最初に手を差し伸ばしたのがミレーヌじゃなくってわたしだったら、君はわたしの手を取ってくれていた? 」


 ヘンリエッタ様のその質問に、ぼくは答えに詰まっちゃう。


「……そんなのわからないです。運命なんていう言葉をぼくは信じてませんし。でも、ただ1つはっきりと言えることは、現実はそうじゃなくって、ぼくを最初に助けてくれたのはミレーヌ様で、やっぱりぼくはミレーヌ様のことを忘れられない、ってことぐらいです」


「そっか……」


 ぼくの非情とも言える答えにヘンリエッタ様は視線を落とし。そして。


「せいぜい、末永く爆発しやがれ」


 天使のような笑みを浮かべながら、ヘンリエッタ様はそう言ってきた。



◇◆◇◆◇◆◇



 その時、わたしは一つだけアリエルちゃんに嘘をついた。わたしがアリエルちゃんを好きになったきっかけ。それはミレーヌからアリエルちゃんの話を聞くようになるよりずっと前、わたしとアリエルちゃんがまだ幼馴染で、一緒に村にいた時のことだった。


 そう、わたしは実は生まれながらの貴族じゃない。体が弱くて跡継ぎがいなかったビスガリーナ男爵家から、高い魔法適正を見込まれて養子として迎え入れられた、もともとは庶民の女の子。そして、男爵家に養子として迎え入れられるまで、村の子供の中でも人気者だったアリエルちゃんに導かれるまま野原を駆け回る、腕白な女の子の1人でしかなかった。


 そんな他の子と大して変わらないはずだったアリエルちゃんに対する感情が『他の子のものと違うもの』になったのは養子に出される直前のことだった。6歳になって魔法を発現したことで、わたしには高い魔法適正があることが分かった。その上、村の中でも数十年に一度の美女と噂される美貌を持ったわたしが、後継者がいなくて焦っていたビスガリーナ男爵の目に留まるのはある種必然だった。


 ビスガリーナ男爵に見出された時、村の誰もが祝福した。わたしの美貌は最初から貴族になることが運命付けられてたんじゃないか、と言う人すらいた。でもそんな周囲の期待と裏腹に、わたしは貴族になるのが怖かった。生まれながらの貴族じゃないわたしが領主なんてできるなんて思わなかった。庶民出身の、しかもまだ年端も行かないガキに、多くの領民を預かる領主になれだなんて、荷が重すぎた。そんなわたしの不安に寄り添ってくれる人なんて誰1人いなかった――アリエルちゃんを除いて。


「ヘンリエッタちゃんならきっと大丈夫だよ。だってヘンリエッタちゃん、貴族様みたいに綺麗だもん」


 アリエルちゃんの頓珍漢な言葉に、わたしは一瞬、恐怖を忘れて目をぱちくりさせちゃう。


「あー、えっと、そう言うことじゃなくて! ヘンリエッタちゃんは貴族様みたいに美しいから、きっと他の貴族様たちから浮いたりなんてしないし、領民にも愛されると思う! それに、ヘンリエッタちゃんが頑張り屋さんなの、わたしは知ってるよ。だから、そんなヘンリエッタちゃんには領主様って向いてると思う! 」


 論理性の欠片もないアリエルちゃんの励まし。でも、唯一わたしの不安に気づいて、一生懸命わたしを勇気付けようとしてくれているのは伝わってきた。そんなアリエルちゃんのまっすぐな言葉に背中を押されて、わたしは最終的に養子になる話を受け入れた。その時、わたしの心の中には既にアリエルちゃんに対する恋愛感情が芽生えていたんだと思う。


 そして、元々田舎者で野原を駆け回って遊んでいたようなわたしを待ち受けていたのは厳しい貴族社会の洗礼だった。貴族社会で元庶民のわたしが浮くことは最初から分かっていた。わかって、覚悟はしていたけれど正直、そんな貴族社会で投げかけられる嫌味などはかなりわたしには堪えた。だからわたしはいつも、誰もいないところで泣いていた。


 そんなわたしにとって唯一できた貴族の友達がミレーヌだった。ミレーヌの場合は生まれながらの貴族だけど、貴族なのに魔法を使えないせいでやっぱり、わたしと同じように爪弾きにされていた。あぶれ者同士、わたし達がつるむのはある種の必然だった。そんなミレーヌに、わたしはいつしか恋人以上の感情を抱きはじめていた。


 そんなミレーヌがある時、アリエルちゃんの話を持ち出して来た時、わたしは鈍器で頭を殴られたような衝撃を感じた。ミレーヌの恋が成就したら、だった一人しかいない初恋相手も、たった一人しかいない特別な友人も、両方とも失ってしまうようで怖かった。


 でも。わたしはやっぱり大切な2人の気持ちを踏み躙ってまで自分の幸せを主張する気にはなれなかった。好きな人にはとことん幸せになってほしい。負けヒロイン気質とでもいうのかな、最初からわたしは、好きな人の幸せを優先しちゃうタイプだった。


 だからわたしは、自分のアリエルちゃんに対する気持ちも、ミレーヌに対する気持ちも隠し通すことに決めた。わたしを救ってくれた2人が一緒になれるなんて、お似合いだしきっと素敵なこと。なら、わたしは2人を応援しよう、その時、そう誓ったのだった。


 今回だって無理にアリエルちゃんを誘惑したのミレーヌを焚き付けるためだった。初恋相手がどこの馬ともしれない男のものになるなんて、それが一番耐えられない。大好きな人同士で付き合ってもらうためにわたしは『百合に挟まる女』を演じた。その中でわたしは自分がアリエルちゃんの幼馴染であることは隠し通そうと誓った。それを隠さないと、押さえ込んだはずの淡い初恋がまた込み上げて来ちゃうから。


 全ては演技のつもりだった。でも、いざ十数年ぶりに会ったアリエルちゃんは根本的には変わらないな、と懐かしく思うとともに、アリエルちゃんの存在は女の子としてのわたしの心を刺激し、誘惑した。このままわたしのものにしちゃってもいいかな。しちゃってもいいよね。そう魔が刺したその時。わたしに初恋を諦めさせた親友はやっぱり、わたしから初恋相手を鮮やかなほどに掻っ攫っていった。


 そんな2人はどうしようもないくらいにお似合いで、勝てないな、と思った。まあ、最初からミレーヌをその気にさせるつもりで動いて来たのだけど。でも。


「ねぇアリエルちゃん。もし、もしもの話だよ? もし、勇者パーティーを追放された君に最初に手を差し伸ばしたのがミレーヌじゃなくってわたしだったら、君はぼくの手を取ってくれていた? 」


 自分でも考えたところで意味がないと笑っちゃうifルートは、推してるカップリングを応援するために本心を押さえ込み、嘘で塗り固めてわたしにとっての「たった一人」を応援すると決めたわたしにとって、初めての本音だったのかもしれない。


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カクヨム版、1ヶ月くらい放置していてすみませんでしたっ! そろそろなろう版は100話に到達しようという所ですが、カクヨム版も時間を見つけて更新していきたいと思います。

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