第50話 来訪Ⅳ デートの末に辿り着いた真実

「今日の午後、ちょっと付き合ってよ」


 ヘンリエッタ様がそんな話を持ち掛けてきたのはビスガリーナ男爵家に着いた日の午後、1泊2日の滞在予定の初日のことだった。その提案にぼくは正直、戸惑っちゃう。ここまでの道中だってぼくはヘンリエッタ様を独占しちゃってたのに、まだ貴族である彼女の隣にいていいのかな、と思うと気が引けた。


 でも、ヘンリエッタ様はそんなことお構いなしに


「アリエルちゃんがビスガリーナ男爵領に来るのって初めてだよね? なら、せっかく来てくれたんだし、わたしの領地の素敵なところをいっぱい知って帰ってもらいたいなと思って」


と、そう上目遣いになる。美人にそんな顔をされたら、ぼくは断るに断れなかった。



 ビスガリーナの街をぼくとヘンリエッタ様は連れ立って歩く。ぼく達の隙間はいつしか、人ひとり分も入れないくらい近くなっていた。気づけばヘンリエッタ様は最初から女性恐怖症のぼくに気遣って十分に距離を取ってくれた。それが段々と近づいて、今ではこんなに近くにヘンリエッタ様を感じても体は拒絶反応を引き起こすことがない。むしろ、こんな近くにヘンリエッタ様を感じられて嬉しいと思えているぼくがいた。


「なんだかこうしているとわたし達、デートみたいだね」


 ニヤリ、と笑ってヘンリエッタ様に言われると、ぼくはつい赤くなっちゃう。


「で、デートだなんて。美人のヘンリエッタ様とぼくなんかじゃ釣り合いませんよ」


「えー、わたしとしては釣り合うかどうかなんて関係ないんだけどな。わたし、アリエルちゃんの緑色の髪も、檸檬色の瞳も好きだよ? 」


「もうっ! からかわないでくださいよぉ」


 ぼくがふくれっ面をして見せるとヘンリエッタ様は笑って「ごめんごめん」と言ってくる。


「でも、無理を言って君のことを連れ出してきて良かったよ。遠目から見ていた君は、冒険者ギルドでレムさん達と楽しく過ごしながらも、どこか表情に陰りがあったように見えたから」


「遠目から見てたって……」


 ぼくの言葉にヘンリエッタ様は誤魔化し笑い浮かべる。


「ほんとはね、あの日の夜に冒険者ギルドに依頼する少し前から、君達のことは遠目で見させてもらっていたんだ。最初は親友のミレーヌが好きになった相手ってどんな子なんだろう、っていう好奇心しかなかった。でも、君のことを見ていると魅惑的な君に気付くと同時に、どこか表情に陰りがある君に気付いた。そんな君に何かしてあげられないかな、そこで思いついたのが、君を連れ出すこと。行ったこともないような場所に君を連れ出して新しい景色を見せれば、曇った君の表情も晴れるんじゃないかな、って思ったの」


「じゃあまさか、この依頼自体って……」


「もちろん魔王の噂を警戒した、って言うのもあるよ? でもそれ以上に、君に元気になって欲しかった。今の自分に自信がなくなった君に、君自身のことを好きになってほしかった。そんなわたしの目的は、今の君の表情を見ていたらクエスト達成かな」


 そう茶目っ気たっぷりに微笑んだかと思うと。ヘンリエッタ様はぼくの手を取ってくる。


「さ、行こう? そう言っても、君に楽しい気持ちになってもらうクエストは、まだ終わってないんだから」


 それからヘンリエッタ様は自分の領地のいろいろなところに案内してくれた。にぎやかな市場、落ち着いた喫茶店、色とりどりの花々が咲き誇る天然の花園。そんな風に色々と巡っているうちに日は段々と傾いて行って、いつの間にか西日が強い時間帯に差し掛かる。


「最後はこの領地で一番の夕日スポット」


 そう言いながらヘンリエッタ様が案内してくれたのは、領地のはずれにある時計塔だった。螺旋階段を上りきるとそこには……。


「綺麗……」


 ぼくは思わず嘆息を漏らしちゃう。それだけ、時計塔から見る夕日は美しかった。そんなぼくの反応に、ヘンリエッタ様は優しく微笑む。


「それは良かった」


 それから暫く。ぼく達は言葉を交わすこともなく夕日に臨んでお互い、物思いに耽っていた。そんなヘンリエッタ様をつい、ちらっと横目で見ちゃう。 黄金色の夕日に照らされるヘンリエッタ様の横顔は本当に画になって、綺麗だな。そう思った時だった。


「ねえアリエルちゃん。アリエルちゃんは、今でもミレーヌのことが好き? 」


「……はい? 」


 思いもよらないヘンリエッタ様の質問にぼくはつい素の声が出ちゃう。


「今でもミレーヌのことが忘れられない? ミレーヌと付き合いたいと思う? ありのままを決して認めてくれない女の子と、本人の気持ちを踏みにじってまで、自分の愛を貫きたいと思う? 」


 ヘンリエッタ様の厳しい、でもどこも間違っていない指摘にぼくはつい涙ぐんじゃう。そんなぼくの目元を、ヘンリエッタ様は慌ててハンカチで拭ってくれる。


「ごめんごめん。今の言い方は少し意地悪だったね。でも――ミレーヌに囚われ続けて幸せになれないアリエルちゃんは、わたしの目からするとすごく無理をしているように見える。苦しんでいるように見える。だからさ――いっそのこと、わたしの彼氏になってみない? 」


 彼氏になってみない、その言葉にぼくは耳を疑った。


「へ、ヘンリエッタ様はぼくのことをからかってるんですか? この世には言っていい冗談と悪い冗談が……」


「冗談なんかじゃない」


 次の瞬間、ぼくはヘンリエッタ様に壁ドンされる。至近距離でぼくのことを見つめてくるヘンリエッタ様の緋色の瞳は真剣マジだった。


「わたしは本気だよ。本気で、あなたのことが好きになっちゃった。だからこそ、あなたがいつまでも失恋を引きずっているのを見るのが辛いの。だからいっそのこと、わたしと付き合って、もう二度とランベンドルトに帰らないで、それでミレーヌのことなんか忘れちゃうのも1つの手じゃない? 」


 ヘンリエッタ様の真剣な表情を見ていれば分かる。それがぼくのことを本気で思ってのことだって。でも、その時のぼくはその優しさを受け入れられなかった。受け入れたら最後、どこまでもヘンリエッタ様の優しさ流されてしまいそうで怖かったから。だからつい。


「ぼくを好きって、何の取り柄もないぼくのどこを好きだって言うんですか」


と不貞腐れたように聞いちゃう。それでも、ヘンリエッタ様は間髪入れずに答えてくる。


「自分の手の届くところにはとことん手を伸ばそうとする優しい所が好き。短くまとめたエメラルドグリーンの髪が好き。不安にいつも揺れている、檸檬色の瞳が好き。誰かから必要とされたがっちゃう寂しがりやな所が好き」


 ――そんなに、ぼくに優しい言葉を掛けないでよ。そんな甘い言葉を掛けられちゃったら……今のぼくだと、すぐに流されちゃう。ヘンリエッタ様からの愛を拒絶することに必死になったぼくはつい、


「でも! ぼくって女の子ですよ? 女の子同士で付き合うとか」


と、これまで一度も思ったことのない暴論を振りかざしちゃう。でも。


「べつにわたしはあなたのことを女の子だとなんて思ってないもの。だって、あなたは女の子じゃないんでしょ。だったら、貴族令嬢であるわたしとお付き合いすることになんの躊躇いがあるの? ――わたしは、『女の子』としてのあなたに恋したミレーヌと付き合うより、『女の子』じゃないあなたを好きになったのよ? 異性同士で付き合うことが普通だとするなら、遥かにわたし達の関係の方がフツーで、健全だと思わない? 」


 圧倒的なヘンリエッタ様の正論に、ぼくの愛を拒もうとする意志はぷつり、と音を立てて途切れちゃう。


「まあ別に、フツーかどうかなんてわたしはどうでもいいんだけどね。あなたが自分のことを『女の子じゃない』って言い張るなら、そんなところも含めてわたしはありのままのあなたのことを受け入れる」


「……友達なのに、友達の初恋相手に告白するとか、そんなのありなんですか? 」


「別にいいんじゃない? わたしとミレーヌの仲はそんな程度で引き裂かれるほどヤワじゃないって思ってるし、それにミレーヌは今のあなたのことなんて、これっぽっちも思っていない。『あなたのことが取られちゃってもいい』って言ってたんだもの。寧ろ、ミレーヌが友達なら、わたしが幸せになることを祝福しているはずよ」


 お嬢様はぼくのことをなんとも思ってない。薄々わかっていたけれど、それをはっきりと聞いてしまったことで、ぼくはもう全てがどうでも良くなってしまった。だけれども。


「だから、わたしのパートナーになってくれない? 」


 ヘンリエッタ様の申し出にその場で答えることは、どうしてもできなかった。


 沈黙するぼくに、ヘンリエッタ様はふっと表情を和らげる。


「まあ、今すぐに答えを出してほしいとは言わないよ。明日の朝、予定だとあなた達が出発することになっている時刻までに決めてくれればいいから」


 それだけ言って、ヘンリエッタ様は時計塔を立ち去る。それから1時間ほど。沈みかけた太陽に照らされて、ぼくだけが1人、時計塔に取り残された。





 そしてあっという間に時間は過ぎ去り、決断をしなくてはいけない朝がすぐにやってきた。どうすれば誰もが幸せになれるのか、答えが分かりきっているはずの問題。それなのに、ぼくはまだ結論が出せずにいた。


 ヘンリエッタ様と結婚した時のことを想像してみる。思い返すとヘンリエッタ様は最初から、他の女の人と違っていた気がした。第一印象はぼくだって女の子が好きってわけでもないのにその美貌に目が奪われるほど美しかった。そして、そんな美貌を鼻にかけることもなく、なんだったらこれまで出会った誰よりもぼくの女性恐怖症を気遣って接してくれていた。その上で、こんな中途半端なぼくのことを丸ごと受け入れて、好きだと言ってくれた。そんなヘンリエッタ様の隣にいるのが心地よくて、いつまでもこんな日々が続いたらそれはそれで楽しいだろうな、なんてことは容易に想像がつく。でも。


 それが、ぼくがお嬢様に抱いていた恋愛感情と同じものなのかな。そう考えると引っかかっちゃって、結論を出すことができずにいた。そうこうしているうちに、答えを決めなくちゃいけない時間は残酷にもやってきた。

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