第49話 来訪Ⅲ 男の子じゃなくていい


「で、ちょっと隣に座ってお話しても大丈夫? ええっと、何メートルくらいスペース取ればいいんだっけ」


「いや、別に何メートル体を離してくれたら女の子が怖くなくなるって言うわけでもないですよ」


 怖いものは怖い。魔法が達者な人なら数百メートル離れているところからでも一瞬で間合いを詰めてくることだってあるし。ある程度の距離を離してもらうのはぼくにとって保険でしかない。


 ぼくのその答えにヘンリエッタ様はちょっと戸惑いながらも、「じゃあ、これくらいで! 」と5人分くらいのスペースを開けたところに腰かけて、ぼくの方に瓶入りの飲み物を滑らせてくる。


「これ、カフェラテ。もし良かったら飲んで」


「あ、ありがとうございます」


 1つ余計に持っていたのはぼくの分だったんだ……。


 それから。ぼくとヘンリエッタ様は暫く思い思いにカフェラテをすする時間が流れる。耳に入ってくる音と言えば噴水のせせらぎと時々、ぼく達がカフェラテをすする音くらい。


 圧倒的に気まずい。そんなことを思っていると。


「アリエルちゃん。君、女の子でもないけど男の子って訳でもないでしょ」


 痛い所を突かれてぼくははっとする。


「そ、そんなことないです! ぼくはミレーヌお嬢様に『女の子じゃない自分』にしてもらって……」


 反論しようと思って口をついて出た言葉。そう反論しなきゃ、自分が好きなはずの今の自分――男の子としての『ぼく』を否定することになっちゃうから。


でも、紡ぎかけた言葉は長くは続いてくれなかった。今のぼくは女の子ではありたくないけれど、別に男の子にもなり切れていない。それは、これまでの3時間で痛いほど自覚した事実だった。そう思うと、今のぼくって何者なんだろう。お嬢様にフラれたあの日からのアイデンティティの揺らぎが再び僕を襲おうとした、まさにその瞬間のことだった。


「そのままでいいと思うよ」


「えっ? 」


 ヘンリエッタ様の思わぬ言葉の続きに、ぼくはへんな声を出しちゃう。そんなぼくに、ヘンリエッタ様は優しい眼差しを向けてくる。


「別に『男』とか『女』とか綺麗に分かれるものでもなければ、どっちに自分を決めなくちゃいけない訳でもないでしょ。まあ、わたしには難しいことはよくわからないけどさ。ただ」


 そこでヘンリエッタ様は一呼吸おく。


「一つ言えることは、いずれにしてもアリエルちゃんはアリエルちゃんじゃないかな、ってこと。だから、男の子とか女の子とか、関係ない。アリエルちゃんの体が女の子を拒絶しちゃう反面で、男の子のことも生理的に『違う性別の相手』として一定の距離を取りたいと思ったとしても、それは認めちゃいけないこと・自分で否定しなくちゃいけないことなんかじゃない。そう言う所も含めて、他ならないアリエルちゃんで、それは1つの個性なんじゃないかな」


「……つまり、ヘンリエッタ様は今のぼくを肯定してくれるってことですか? 」


「まあね。わたしだけじゃないと思うわよ。あなたが純粋な女の子だった時のことなんてわたしも、冒険者ギルドのレムさんも、そのほかの冒険者ギルドの冒険者だってそうだと思う。みんな、そんなあなたのことを受け入れて、肯定してるんだよ。だから、無理に男の子になろうとしなくたっていいんだよ。無理に男の子に合わせようとしなくていいんだよ。アリエルちゃんがそうしたくなったら、そうすればいい。


それは魔術師としての戦闘能力だってそうじゃないかな。今、あなたを取り囲んでいる人達は勇者パーティーの一員だったあなたなんてそもそも知らないからどうでも良くって、他ならないあなたを必要としてる。じゃなかったら、トニーさんもレムさんもあなたのことを庇ったりなんてしないでしょ」


今のぼくを肯定して、必要としてくれる。思い返せばこの1週間ちょっと、自信をなくしたぼくが一番欲していた言葉はそれだったのかもしれない。今の自分を好きなままでいていいのか不安に思っていたぼくを支えてくれる、そんな言葉を。そう思うと、体の奥底から熱いものが込み上げてくる。


そんなぼくの背中をさすりながら、ヘンリエッタ様は優しく言う。


「だから、過去のあなたなんてどうでもいい。今のあなたについて、もっとわたしに教えて」


女の人に背をさすられてるのに、その時のぼくはどこか安堵しちゃった。




それから。ぼくはヘンリエッタ様の領地に着くまで馬車はヘンリエッタ様の隣に座らせてもらった。そしてその間、いろんな話をした。ぼくはお嬢様に拾われてからの自分の歩んできた道のことを、そしてヘンリエッタ様は幼少期のお嬢様のことや自分自身のことを。


話している中でヘンリエッタ様は自分の領民をものすごく大切にしてるんだ、って言うことが伝わってきた。


「領主としての責任の果たし方、って色々とあると思うのよね。ミレーヌは頭が切れるし頻繁に街に出かけるのが苦にならないから、一人一人の悩み事を頭を使って解決していくタイプ。それに対してわたしは考えるのが苦手だけど、その代わりというがなんというか、魔法の才能には恵まれていた。だから、とにかく領地の人が安心できるように強くなろう、って思ったの。そのために魔法行使技術を磨くために近隣の森で魔獣狩りをしてたりした。まあそれは貴族令嬢としてははしたない、と思われちゃったみたいでさ。メスゴリラだとかなんだとか、散々言われては社交界で浮いてたっけ」


 しみじみとした調子で語るヘンリエッタ様。


「そんなわたしと仲良くしてくれたのがミレーヌだったんだよね。わたしにとってミレーヌは同じ貴族として初めてできた友達なんだ。ミレーヌがいなければ、今のわたしは今みたいな『自分』を貫けなかっただろうな」


 ぼくの知らないお嬢様。お嬢様はぼくと出会う前も多くの人の心を救ってきたんだ。そのことはちょっぴり誇らしくもあるし、ちょっぴり妬ましく思っちゃったりもする。もうぼくはフラれてるのにまるでお嬢様を自分のパートナーみたいに思ってるようで、そう思うと、ちょっと自分にげんなりしちゃう。


 そんな風に話しながら進むこと3日間。結局、ぼく達は当初懸念されていた魔王に遭遇することもなく安全にビスガリーナ男爵領へと辿り着いた。道中で護衛を依頼されたぼく達がしたことと言えば何を考えたのか男爵令嬢に喧嘩を売ってきた愚かな盗賊の一団を蹴散らし、途中で進行を塞いできた魔獣を2,3匹討伐したくらい。報酬に対してぬるすぎるというレベルじゃないほど仕事をしてなくて、仕事を仲介するギルド側の人間としても申し訳なくなってくる。でも。


「別に気にしなくて大丈夫だよ。魔王に遭遇するかもしれない、っていうリスクを冒してくれた時点でそのリスクの対価は支払われるべきだし、それにアリエルちゃんに守ってもらうことはなかったのは少し残念ではあるけど、その分、アリエルちゃんとお喋りできたのは楽しかったし」


 ヘンリエッタ様はそう言ってくれた。


 ビスガリーナ男爵領はランベンドルト辺境伯領よりも数倍栄えていた。メインストリートには石畳が敷かれ、両脇には五階以上の高階層の建築物がひしめいている。これが財力の差か……と少し感嘆しちゃう。


「アリエルちゃん達って、そんなに急いで帰る必要もないんでしょ。だったら予定通り、数日くらいビスガリーナ領に滞在していきなよ。リフレッシュだと思ってさ。もちろん、わたしの屋敷に泊まるところは用意してあるから」


 うう、何から何まで申し訳ない……そう思いながらも、ぼくと黄昏の宝具の面々はお言葉に甘えることにした。

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