第40話 とある魔女の話Ⅷ とある魔女の物語

 それから。わたしはいつかの日の約束の通り、蒼弓――メロンと一緒に世界各地を巡った。その旅にはかつての【原素】を抱えた少女のような崇高な理念があったわけじゃない。目的があるというよりも、世界を見て回るのが第一目的。そのゆく先々で魔獣に襲われた人を助けたり、人々に迷惑をかけている山賊を殲滅したり。


 そこで感じたのは、わたし達が思っていたほどこの世界は腐ってなんかおらず、平和だって言うこと。それでも、わたし達は少しでも平和や世界の秩序を乱す人間がいると聞くと必ずその土地に駆けつけて、平和を乱す人物を完膚なきまでに叩き潰す。漆黒のローブと黒い三角帽子を身に着け、左手に蒼き弓を携えた絶対正義の使者たるわたしは、いつしかその風貌から『蒼弓の魔女』なんて噂されるようになっていった。


 そんな生活を5年ほど続けたある日。本当に久しぶりにクラリゼナの王城にわたしが訪れたのも、たまたま近くを通りかかった折に、そこに世界秩序に仇なそうとするならず者がいると風の噂で耳にしたからだった。


 深夜の静まり返った王城の中で、唯一蝋燭の光が灯ったままの一室。そこでわたしと彼女――この国の王太子妃にして『勇者』と呼ばれる概念魔法持ちは無言のまま対峙していた。


「……10年前に予言された魔王の正体がこの国で言う所の『勇者』だった、なんて、とんだお笑い種ね」


 ため息交じりにそう呟きながら、わたしは彼女――この国で『勇者』とされている、王太子妃のことを一瞥する。そう、噂の内容は『勇者』が他の概念魔法持ちを襲って概念魔法を宿した武器を集めている、という話だった。


 そう話しかけながらも、わたしは相手が否定してくれるといいな、と願っていた。戦闘狂でもあるまいし、戦うことはそこまで好きじゃない。そんなわたしに、彼女はさして動揺した様子もなく自信たっぷりの笑みを浮かべたまま。でも、その目は最初から笑っていない。


「そうよ。だってアタシは神から選ばれ、力を授かった特別な存在なのよ。そんなアタシが女帝になって、世界を支配して、愚かな人々を導いて上げなくちゃ。だから――あなたも【原素】そのチカラを寄越しなさいっ! 」


 そう言って彼女は恐らく他の概念魔法持ちを倒して手に入れた黄色い苦無に魔力を注ぎ込む。


 ――救いようがないな。仕方ない、か。


 そう諦めたわたしは詠唱する。


概念構築リアライズ_臨界招来_種別選択タイプ_絶対零度アブソリュート・ゼロ_対象選択ロックオン_"部屋一体"_再定義開始リスターツ


 詠唱と共に広がる絶対零度の亜空間。そこでは亜空間の創り手以外は一瞬で動きを止め、凍結し出す。そして、動かなくなった彼女に狙いを定めて、わたしは蒼弓を引いて必殺の一射を放った。


 絶命の瞬間。女勇者の体は淡い光に包まれ、彼女の体は一組の紅と紫の双剣に変化する。それはメロンが【蒼弓】になった時と酷似していて、わたしは対無意識に『美しいな』なんて思っちゃう。そんな思いを振り払うつもりで、わたしはそれもまた矢で射抜き、完全に破壊した。


「思ったより呆気なかったな」


 そう誰に言うともなく呟いて、その場を去ろうと窓に手を掛けた時だった。


「そこにいるのは誰だ! 」


ドアの方から貫禄のある声が飛んできて、わたしは足を止める。誰だろう、そう思った時。これまで月を覆っていた雲が晴れて月光が部屋に差し込む。月明かりに照らされた彼の顔を見てわたしは息を呑んだ。


 そう、そこにいたのはかつてのわたしの婚約者――ユリウスだった。そして驚いたのは相手も同じだったみたい。


「キャロ……」


 わたしが自分の元婚約者だとわかった途端。殿下の顔はぱっと明るくなる。そしてわたしの下に走り寄ってこようとした時。


 ぴちゃ、と床から音がして殿下は床に視線を落とす。そこには武器になりきる前に破壊され、人間の死体に戻された『勇者』が血だまりを作っていた。


 その血だまりとわたしのことを、ユリウスは何度か見比べる。そして、その顔はみるみる青ざめていく。


「キャロ、これは一体……? 」


 わたしは真面目に答えるかどうか逡巡する。でも暫くして「面倒くさいな」という感情が湧き上がってきた。事情を説明するにはあまりに長すぎるし、すぐには信じてもらえなそうな気がした。それに、今のわたしは殿下に誤解を残したままでも痛くも痒くもない。この数年間で、わたしの中の殿下の優先順位は下がりきっていた。私は、もっと大切な人と出会えてしまったから。


 だから私は口角を無理に上げて、思ってもいないことを口にする。


「見てわからないの? 私がこの国の勇者を殺したの」


「どうして……? 」


「さあ。強いて言うならばムカついた、からかな」


 感情がこもっていない私の言葉に、殿下は怒りのせいか拳を震わせる。


「なんで……なんでそんなことをしてくれたんだよ! 僕は! 君が王城を追い出されても君のことをずっと思い続けていた! そして王になって、誰も逆らえなくなったら勇者との婚姻なんて破棄して君のことを正式な王妃として迎えに行くつもりだった。そのために誰からも信頼される王位継承権者になろうとこの10年間、必死に頑張ってきたのに……なんでキャロは人殺しなんかしちゃう人になっちゃったんだよ! そんなの、僕がずっと追い求めてた君じゃない! 」


 涙を流しながら訴える殿下。でもその言葉に、わたしは少しカチンとくる。なぜなら、殿下にメロンからもらった今のわたしを全否定されたような気がしたから。


「……勝手に人のことを決めないでよ」


 自分でもぞっとするほど冷たい声が出て、殿下は一瞬泣き止む。そんな彼を見て、わたしの中に芽生えた怒りが一瞬にして首を引っ込める。でも心には殿下に対する諦念の感情が確かに広がっていた。


 もう10年前のあの時とは違う。今の私を殿下は受け入れられないし、私だって誰よりも大切な人にもらった今の自分を棄ててまで、殿下が望むお人形のような自分に戻る気はさらさらない。だとしたら、ここで殿下との関係ははっきりと切っておくのがお互いのため、か。


 そう考えた私は、本物の魔女のように表情を崩してにちゃり、と笑う。


「それはお生憎様。あなたが好きになった女の子なんてもういないの。そして世界に産み落とされたのは世界の全てに裏切られ、世界の全てを呪うようになった魔女だけ」


 そう芝居がかった口調で言い捨てると。わたしは蒼弓を携えていない右手を窓枠に手をかけて颯爽と月夜の空へと躍り出る。


 ――本当は違う。その魔女は世界を呪ってなんてなかった。その女の子が魔女になったのは、生まれて初めて本当の愛を注いでくれた大切な人の姿を追いかけたかったから。そんな彼女の心に恨みや憎しみなんてどこにもなかった。


 そんな言葉が喉まで出かかったけれど、それをぐっと飲みこむ。


 月明かりに照らされた宙を舞うわたしの影は、さながら本当の魔女のように見えた。幼い頃の記憶に囚われる王子様の純情を滅茶苦茶にする性悪な、でも師匠との、この世で一番大切な人との約束には一途な、そんな本物の魔女のように。

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