第34話 とある魔女の話Ⅱ 東の森に棲まう魔女

 目を覚ますと、そこには丸太で組まれたログハウス天井があった。それからゆっくりと視線を動かすとエプロンを纏った水色髪碧眼の女の子がキッチンで料理をしているのが目にとびこんでくる。背丈からして、わたしよりもちょっと年上くらいかな。そしてキッチンから漂ってくる香り的に、今調理されてるのはクリームシチュー。


 わたしとしてはガン見してるつもりはなかったけど、不意に彼女と目が合い、ウインクしてくる。


「ようやく目を覚ましたんだね。クリームシチューできたんだけど、食べられそう? 」


「あ、えっと……」


答えに窮しているうちにお腹が大きく音を立てる。


 貴族なのにはしたない、そう思うと顔が火照っちゃう。水色髪の少女も小さく笑ってるし。


「あはは、ごめんごめん。でも、別にいいんじゃないかな。お腹が空く、ってのは生きてるからこその感覚だし、今の君は貴族令嬢でも王太子の婚約者でもないんだから。自分の気持ちにもっと正直になってもいいんじゃないかな」


 そこでわたしは思い出す。そうだ、今のわたしってもう、王太子の婚約相手でもなければ侯爵令嬢でもなんでもなかったんだ。


 そう言いながら少女は湯気の立ったクリームシチューを盛り付けてわたしが横になってるベッドまで持ってきてくれる。


 わたしはしばらくの間、前に出されたシチューに視線を落としていた。でも結局、我慢できずに銀の匙で一すくいし、口に運ぶ。


 口いっぱいに広がるクリームシチューの味わいは、これまで仮にも侯爵令嬢・なんだったら皇太子の婚約者としての料理しか口にしてこなかったわたしからすると雑な印象を受けた。素材そのもののの味を濃い味付けで上書きしてしまっているような気さえする。なのに。


「なんでだろう、心にまで染みわたるような、優しくて温かい味わい……な気がする」


 そう言いながら、わたしの頬には温かい目のが伝った。なんでわたしは泣いちゃってるんだろう。そう疑問に思いながら、わたしは必死に涙を拭う。でも、一度流れ出した涙はそう簡単にやんでくれない。


「それは君のことを思って作ったから……だといいな。少なくとも、今の君に必要なスパイスは他人からの優しさだよ。それを我慢しないで受け取っていいんだよ」


 そう言いながら水色髪の少女は、銀の匙を握ったまま泣きじゃくるわたしの背中を優しくさすってくれた。


 ――こんな風に誰かの優しさを感じるのはいつ振りかな。王太子婚約者だった時だって、こんな温かい気持ちを注いでくれる人なんて殆どいなかった。唯一いるとしたら殿下だけど、殿下は婚約相手だし、年下だったし、むしろわたしがしてあげる方だった。そう思うと、こんな風に優しくされて、それを素直に受け取れるのははじめてかも。


 そう思うと心の中に人割と温かいものが広がって、ますます涙が込み上げてきた。



 涙を流しながらもシチューを完食した後。わたしは自分の身の上に起こったことを少女に自然と語り始めていた。改めて話してる時のことを思い出すとつい感情が昂ったり、涙交じりになって所々聴いてられなかった話のはずなのに、水色髪の少女は真摯に聞いてくれた。


 一通り聞き終えると。


「すっごく頑張って、いろんなことを積み上げてきたのに、その全てがちょっとした変化で崩されちゃったんだ。辛かったね、なんて陳腐な言葉じゃとでもとてもいい表せない」


 痛々しそうな様子で言う彼女に、わたしははっとする。これまで求められる自分であることは当たり前で、『頑張ったね』なんて言う言葉をかけてくれた人は初めてだったから。


「で、君はこれからどうしたいの? 」


 深く青い瞳で覗き込まれるように聞かれて、わたしは答えに窮しちゃう。


「例えば、自分を捨てた王国に滅んで欲しいとか思う? わたしを不幸にした世界なんて無くなってしまえ、って思う? そして王国の政治に振り回されて捨てられたわけだし」


「それは……」


そんな発想自体がこれまではなかった。じゃあ、そんな選択肢がもしあるとして、わたしはそれを望むのかな。


 胸に手を当てて少し考えてみる。そうなったら少しは気持ちが晴れるかな? ――うんうん。


 わたしは首を横に振る。


「いくら自分が酷い目に遭ったからって、やっぱりそんなことは望めないよ。国王陛下の気持ちも、父上の考えも理解できないわけじゃないし」


 そう諦めたように言うわたしに、水色髪の少女は一瞬何かを言いかけ、それから小さくため息をつく。


「君は物分かりがよすぎるね。周りから求められることばかりを気にして、自分の本当の感情を押し殺して。そんな君は、私から見たらすごく脆く見える。これまでだって、誰にも相談できなかったんじゃない? だから雨の降る森の中で誰にも助けを求められずに、1人で潰れちゃったんじゃない? 」


 そう言いながら、水色髪の少女はベッドについたわたしの右手に自分の掌を重ねてくる。じんわりと伝わってくる人の熱。こんな感覚も久しぶりすぎて、わたしはまた泣きそうになっちゃう。


 ――ほんと今のわたしはダメだな。1回全てを失くして、ボロボロになったせいで、ほんのちょっとした人の温もり・人の優しさに触れただけで、泣きたくなっちゃう。


 そんなことを思って涙を拭おうとすると。


 次の瞬間。少女はわたしのことを抱き寄せてくる。突然のことにわたしは一瞬、何が起こったのか理解できなかった。


「確かに君は生まれながらにして婚約相手のお姉ちゃんであることを求められていたのかもしれない。でも、今は王太子婚約者でも何でもないんだから、無理をする必要なんてどこにもないんだよ。嬉しかったら思いっきり泣けばいいし、私に対して思いっきり甘えたいなら思いっきり甘えていい。私の前では、どんなに我儘になったっていい。深く傷ついた君には、その権利があるんだよ。逆に言うと私には、それをこういう形で埋め合わせることぐらいしかできないけど」


 優しい言葉に、わたしの涙腺はあっけなく崩壊する。そんなわたしのことを、水色髪の女の子はいつまでも優しく抱きしめてくれた。



 わたしがひとしきり泣き終えた後。


「あのさ。もしやりたいことがないんだったら、行きたい場所がないんだったら、ここで私と一緒に暮らしなよ 」


 さも何でもないことのようにさらっと、水色髪の女の子は言う。


「いいの……? 」


「うん。私もちょっと1人は寂しいな、って思ってたところだし。私があげられるものなんてあんまりないけど、少なくとも君が自分に素直になれる場所は提供してあげるから。だから、私の前だったらもう涙を隠したりなんてしなくてもいいんだよ? 」


 それ、わたしが泣き虫キャラだと思われてる? それはちょっぴり心外だなぁ。でも……。


「ありがとう。わたしも、あなたともっと一緒にいたい」


 この十数年間、いろいろなことを諦めて、押し隠し続けてきたわたしが口にした久しぶりの、心からの本音。そんなわたしの本音に、女の子も微笑を浮かべて頷いてくれた。


「そう言えば、まだ私の名前を言ってなかったね。私はメロン。君の名前は? 」


「わたしは……キャロ」


「へぇっ、可愛い名前だね」


 そう言って金髪の女性――メロンは向日葵が咲いたかのような満面の笑みを浮かべてくる。


 そうして、全てを失ったわたしは、生まれてはじめて出会った自分が素直になれる女の子との共同生活を始めたのだった。

 

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