幕間

第33話 とある魔女の話Ⅰ 婚約破棄されたお姫様

「こんな酷いことってないだろ……」


 真夜中の王城の一室。カーテンが開け放たれた窓からは一筋の月光が差し込み、涙の伝ったユリウスの頬を照らしていた。


 ――自分のことに対して自分よりも感情的になってくれる人がいると、かえって自分は冷静になる、って本当なのね。まあ、ちょっぴり嬉しいけど。


 そんなことを思いながら、わたしは最愛の人――ユリウスの美しい金髪を優しく撫でる。その眩い金髪は、彼がこの国の正統な王位継承権者であることの証だった。


「わたしのためにそこまで泣いてくれてありがとう、ユリウス。でも、いいのよ。もともとわたしとあなたの婚約だって、親が決めた政略結婚なんだもの。それがもっと優先課題の高い政略――魔族領との戦いのために婚約相手を換えなくちゃいけないなら、甘んじて受け入れなくちゃいけない身分だってことは弁えてるわ。それに、国の事情での婚約破棄なんだもの。王太子妃になれなくなっただけでそんなに酷い待遇を受けることなんてないって」


「確かに僕達は最初は親の言いなりで婚約した。でも! 一緒に時を重ねていくうちに僕は本気で君のことが……」


 ユリウスの言いかけた言葉を、わたしは彼に対する恐らく最後の接吻で黙らせる。恐らくこれが最後になるだろう殿下とのキスは、伝ってきた涙の味で少しだけしょっぱかった。


 するとユリウスの頬がほんのりと紅く色づいて、そんなユリウスの反応につい微笑んでしまう。


 ユリウスはわたしよりも2歳だけ年下の男の子。婚約し始めた頃は弟みたいだな、って思ってた。最近は彼の男らしさにはっととすることも増えてきた。けれど、今でも不意打ちに垣間見せる弟みたいなところは変わらない。そんなところも含めてユリウスのことをいつしか男の子として好きになっていたのはわたしも変わらないよ。でも。


「わたしもあなたのことが大好きになっちゃったからこそ、あなたには自分が幸せになる道を選んでほしいの。あなたがわたしのことを思い続けたら、きっとあなたは幸せになれない。国をほっぽりだして、国全体を敵に回すなんて、馬鹿けてる。だから――あなたはわたしのことを忘れて。そして、新たな婚約者のことを好きになってあげて。それが、きっとユリウスが、殿下が一番幸せになれる道だから」


 言い終わるとわたしは殿下の返事を待たずに踵を返す。これ以上わたしがいると殿下の判断が鈍りそうだったから。


 そうして、わたしは5年間の間自分の部屋だった王太子妃用の一室を後にした。



◇◇◇◇◇◇◇◇



 わたしが侯爵令嬢として生まれたクラリゼナ王国は、有史以前から、魔王の支配する魔族領との外交に頭を悩ませていた。人間の世界を侵略しようと襲い来る魔王軍と、それに対抗しようとする人類側最大戦力の勇者パーティー。その戦いは、200年前に魔王が封印されてすこし落ち着いてきたとはいえ、完全に幕引きとなる気配は一向になかった。


 と、いっても、最近のクラリゼナ王国では小康しつつある魔族との関係よりも、有力貴族との関係に重点が移っていたのもまた事実。有力貴族の令嬢として生まれたわたしは、物心ついた時から、貴族と王のバランスを保つためにわたしより2歳年下の王太子殿下と結婚することを決められていた。それから、わたしはこの歳になるまで王妃になるべく厳しい教育を受けてきた。


 そんな日々に嫌気がさしたことがないと言えば嘘になる。幼い頃は、なんでこんな年下の子と結婚しなくちゃいけないんだ、って思ってた。それは多分、殿下も同じだったと思う。でも。


 婚約者として一緒に時を過ごし、一緒に成長していく中で、いつしかわたし達はお互いのことが本当に好きになってしまった。少し肌が触れる度にどきどきするし、ふとした時に見せる婚約相手の笑顔を見れる瞬間がたまらなく嬉しかった。そんな、相思相愛になったわたし達の関係は順風満帆かと思われた、そんな時だった。


 突如、王国で最も偉大な預言者が、今から10年後に起きる魔王復活を予言した。そうすると王家としては勇者パーティー、とりわけ当代勇者との関係を密にせざるを得ない。そして需要が高まった当代勇者の女の子は、これまでよりもだいぶ態度が大きくなっていった。そしてその果てに――魔王軍に対処する代償として、自分と王太子殿下ユリウスの結婚を求めてきた。


 その勇者の破天荒な提案に、王家は従わざるを得なかった。魔王がもし復活したら、対抗できるのは恐らく勇者だけ。国王は2つ返事で承諾し、即日、わたしと殿下に婚約破棄を命じた。そんな大きな政治上の力によって、元々政略結婚だったわたしと殿下の十数年間育んできた関係はグラグラのトランプタワーのように呆気なく吹き飛んだ。


 そして。新たな王太子妃を迎え入れするために後腐れがないように、ということでわたしと殿下の婚約破棄は国中の貴族の集まる大きなパーティーで、性悪なわたしに殿下が堪えきれなくなったから婚約破棄される、というストーリーに従ってわたしは婚約破棄されることが決まった。


 現実にどうだったかとか関係ない。全ての責任をわたしに押し付けて、殿下が新たな婚約相手である勇者様とスムーズに婚約しはじめられるように王国の宰相たちが決めた虚構。


 それに対して殿下は最後まで抗議し、抵抗してくれた。でも、他でもないわたしがそのシナリオを受け入れたこと、そしてそもそも子供でしかないわたし達には何の決定権もないことから、わたし達の婚約破棄は特に変更なく進むことになった。


 そして、ついに明日がわたしが婚約破棄されるパーティーの日。今日はわたしと殿下が最後に2人きりで会える夜だった。



◇◇◇◇◇◇◇◇



「え……」


 国中の貴族の前でこっぴどく婚約破棄され、パーティーの途中で王城を抜け出してから1時間後。わたしは何故か、侯爵家の馬車で森の中に連れてこられていたわたしは素っ頓狂な声を出しちゃった。


 王国の北東部、魔族との国境をまたがって広がるラルカの森。そんな森の真ん中、楠の巨木の前で、なぜかわたしは馬車を下ろされる。


 ――婚約破棄っていっても、わたしが悪いわけじゃない。だからほとぼりが冷めたら妻をなくした老いぼれ田舎領主かどこかに嫁がされると思ってたけれど……。


 内心でそんなことを思っていると。


「申し訳ありません、お嬢様。ですが、御主人様から『皇太子に婚約破棄された傷物令嬢など、我が侯爵家にはいてはならない』とのことですので……我々も大変心苦しいのですが、ここでお別れです」


 これまでずっとわたしの面倒を見てくれた執事が無表情で言う。その時、やっと自分が全てを失って森の中に捨てられるんだ、っていうことに気付いた。


 王太子との婚約破棄。それは、自分が思っていた以上に大変なことだったんだ、ということに手遅れになってからようやく気付いた。その瞬間、絶望と諦めが心の中を満たしていく。


 それでも一瞬、わたしはものわかりのいい子供でいようと思った。きっと執事たちもわたしを捨てるのが本当は心苦しいはず。殿下にかけたように、「気にしないで」って言ってあげなくちゃ。


 そう思って執事たちの顔を見上げるけれど、その表情には何の未練も見られなかった。わたしのことなんてどうだっていい、主人であるわたしの父上の命令に疑うことなく従うだけ。そんな考えが表情から読み取れてしまって、わたしは何も言えなくなっちゃった。


 それを見て執事たちは捨てられたショックのあまり口を開けなくなっているとでも思ったのか、一瞥しただけで憐みの表情すら浮かべずに馬車で走り去っていった。最後に残されたのは着の身着のままのわたしだけ。それ以外はなにも、誰も、残してくれなかった。


「……これが婚約破棄、か」


 自嘲気味に呟いて力なく空を見上げると、その時ようやく今日は曇天なのに気づいた。こんなに空が真っ黒だと雨が降りそうだな、と思った傍から桶をひっくり返した雨がわたしの身体を濡らし、冷やしていく。


 ――このままだと髪が傷んじゃう。いや、それ以上に風邪を引くか。


 そんなことを頭は考えるけれど、雨宿りのために動く気力が湧かなかった。最愛の人と引き裂かれ、家族から捨てられたって、それで人生ゲームオーバーじゃないことは知識としては知っている。生まれ育った王国ではない他国で、庶民としてなら今後の努力次第でどうとでもやり直せることも知識としては知っている。でも、今のわたしにはそもそも生きようという気力がなかった。そこではじめて、どれだけユリウス――殿下の隣にいることがわたしにとって生きる支えだったのかということに気付かされる。


 物心ついた時にははじまっていた花嫁修業・未来の王太子妃としての教育。それがわたしの十数年の人生の全てで、殿下だけがわたしの生きる意味だった。それを全て失ったんだから、生きている意味なんてないよね。だったら……このまま衰弱死するのも悪くないかな。


 それから。わたしは楠の巨木の前で、避けることなく三日三晩、降り続いた長雨に打たれ続けた。水も食料も摂ってなくて、「動きたい」と思ってももう一歩も動けない。着ていたドレスはもうボロボロで原型をとどめていない。


 ――わたしが死に絶えて、この森の一部になるまであと少しかな。


 そんな時だった。


「君、こんなところで何してるの? ――って、しっかりしなさいよ、ねえ、ねえ! 」


 遠くから誰かの声が聞こえてくる。でも、その意味を理解するほど頭が回ってない。


 ――もう、限、界……。


 そこで、わたしの意識はぷつりと途切れた。

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