第31話 蒼弓Ⅷ 勇者様vs蒼弓の魔女

 アリエル様――いや、アリエルの登場に、あたしの心の中にはいろいろと言いたいことが湧き上がってくる。でも、それを口にするよりも先に動いたのは魔女様だった。異変に気付いて駆けつけてきた魔女様は、これまであたしが視たことのないほどのきつい目で、銀色の甲冑を纏い若竹色の髪を腰まで伸ばしたアリエルのことを睨みつける。


「昼間の仕返しってわけ? あなたのことはこの洋館にはお呼びじゃないんだけど」


 魔女様の登場に一瞬、アリエルは怯んだ様子を見せる。でも。


「漆黒七雲客に拐された人を救い、あなた達を倒すことはわたしの使命だから――お呼びだろうと及びじゃなかろうと戦うよ」


と言って一歩も引かない。そんなアリエルに魔女様は唇を噛む。


「本気モード、ってわけね。じゃあ私も最初から全力よ」


概念構築リアライズ_臨界招来_種別選択タイプ_絶対零度アブソリュート・ゼロ_対象選択ロックオン_"洋館一体"_再定義開始リスターツ


 次の瞬間。さっきまで洋館の一室にいたはずのあたし達は一面氷の世界にいた。いや、正確に言うとあたしは魔法で作られた膜の中で防護されている。その理由はなぜだかすぐに分かった。膜の外に広がるその世界は、絶対零度――全ての原子が動きを止める、極寒と言う言葉さえ生ぬるい、物理学の理論上最も"低い"とされる世界なのだから。そんな空間、宇宙のどこにだって実在しない。そんなありえない状況を空間丸ごと創り出してしまう規格外の能力。それが、概念魔法【原素】であり、【原素】、そのうちの【氷】によって創り出された臨界招来……。それこそ理屈では魔女様の使う魔法について理解していたつもりだったけれど、これほどの大魔法を間近で見るのは初めてだったから、あたしはつい嘆息を漏らしちゃう。


 ……って、絶対零度の世界になんてされてアリエルは?


 思い当ってぞっとする。当たり前だけど、この臨界はアリエルを確実に仕留めるために魔女様が創り出した亜空間。そんな相手にあたしにしてくれたような防護を魔女様が施してくれるはずがない。だとしたらアリエルは凍り付くかそうじゃなくても活動を停止させて死んじゃう!


 そう思ったけれど。


術式二重定立デュアライズ_超加速ハイパーアクセルチャージ/点火エンジンブースト_対象選択ロックオン_me_再現開始リスターツ


 詠唱と共に炎を纏ったアリエルが全ての物質が動きを止めるはずの空間で超速で魔女様に殴りかかる。コンマ1秒遅れて魔女様はそれを【疾風】で創り出した魔法障壁で弾き返そうとするけれど、アリエルは止まらない。どれくらいの間そうしていたかな、恐らくここが魔女様の創り出した臨界招来じゃなかったらもっと早く魔女様は押されていたけれど、結局臨界招来内にも関わらず弾き飛ばされたのは魔女様の方だった。


「概念魔法【原素】――もっと言うと【氷】の定義を拡張して創り出した【絶対零度】の世界を、概念魔法・【時空】から派生した【超加速】と概念魔法【創造】から派生したゼロから創り出す魔法で創ったエンジンで対抗した……? なんて滅茶苦茶なの……」


 衝撃は緩和したもののある程度のダメージは負ったらしい魔女様が苦しげに言う。


概念構築リアライズ_臨界招来_種別選択タイプ_四大原素オールエレメンツ_対象選択ロックオン_"洋館一体"_再定義開始リスターツ


 次の瞬間、氷漬けの世界は姿を消し、一体に紫色の空間が広がる。宙には赤・水色・黄・緑の光球がいくつも浮かんでいる。その4つの色彩がそれぞれ【炎】【氷】【土】【風】――つまり蒼弓の魔女が司る4大原素に対応していることは明らか。ということはこの空間は、魔女様が自身の概念魔法全てを純粋な形で一番引き出しやすい、【原素】魔法でつくり出す中では最強の臨界招来……。


「あなたにここまで手札を切らざるを得ないとは思ってなかったわ。でも、あなたにはどれほどやっても十分と言うことがないみたいだからね。――悶え苦しむことになっても私のことを恨んだりしないでよ」


 その不吉な言葉と共に魔女様を取り囲むように12本の虹色の矢が現れる。その12本の矢は魔女様を守るように魔力光を放ちながら魔女様の周りを回転していた。そのうちの1つを魔女様は手に取り、弓にかける。


「これが私の切り札中の切り札――この世界の全ての物質を構成元の【原素】に戻すこの12本の聖矢が、世界のバランスを乱すあなたを穿つ」


 そして放たれた矢はあっさりアリエルに躱された――かのように見えたけれど、逃げるアリエルをどこまでも追撃する。その間に第2矢、第3矢とうち放たれ、12本の矢に取り囲まれてアリエルが12方向から狙い撃ちされそうになった、時だった。


術式略式発動オミットアクト_細胞分解アナデモリッション__対象選択ロックオン_me_再現開始リスターツ


 アリエルの詠唱。と同時にアリエルの体は光の粒子となって四散する。そうすると、標的を失った12本の矢は互いに対消滅する。その直後。再び人型に戻ったアリエルには傷一つなかった。


「……! 」


「臨界招来内では確かにあなた自身やあなたの支配する者に干渉する魔法は大幅に制限を受ける。でも、自分に対する強化系魔法や崩壊系魔法などは別に制限されない。だから別に驚くことでもないよね。――こっちこそ、そろそろ終わりにさせてもらうね」


術式略式発動オミットアクト_爆散エクスプロージョン


 まばゆい光が生じたかと思うと、臨界招来は消え去ってあたし達は元の洋館に戻っていた。


 自身にとって絶対優位のはずの亜空間を吹き飛ばされて魔女様は気が抜けたようにへなへなっと座り込む。そんな彼女にアリエルはゆっくりと近づく。その右手には、いつの間にか魔法で生成した光の剣があった。


「あなたにはいろいろ言いたいことがあるけど……ごめん、ちょっとの間眠ってて」


 その言葉と共に魔女様の首筋に振り下ろされる剣。その瞬間、魔女様は気を失ったようにバタッと音を立てて倒れ込む。


 最初から最後まで魔女様を圧倒し、完封したアリエル様の魔法さばき。そんな鮮やかな魔法の数々とアリエルの雄姿に、あたしは不覚にも呼吸するのも忘れて見惚れちゃった。


 ――かっこいい。これが、あたしが実際に会うことを夢見続けた勇者様なんだ。


 恍惚とした感情に突き動かされるようにあたしはアリエル様に向かって手を伸ばす。でも。


「お嬢様! お怪我とかありませんでしたか? 」


 鬘と甲冑を脱ぎ捨てて、豊満な胸はまだそのままだけれどアリエルがほぼほぼ見慣れた姿に戻った瞬間、あたしは夢から覚めたかのような気分になる。あたしの理想とした勇者様は一瞬にして消え失せ、そこにいるのはいつもの自信無さげに檸檬色の瞳を揺らす、男装執事のアリエル。魔法騎士のアリエル様は本当はもういなくって、これが現実。何度も自分に言い聞かせてきたし、自分からそれを選びさえした。でも、でも……。


「……こんなにかっこいい所を見せつけられるなんて、あまりに酷い仕打ちすぎるよ……」


 つい漏れてしまったあたしの本音。頬には一筋の涙が伝っていた。そんなあたしを、アリエルは心配そうに見つめてくる。


「お嬢様、どこか怪我でもされたんですか? 」


 怪我って言う以前に魔力を抜かれている時点であたしの体はボロボロだよ、アリエル。でもね、それ以上に痛いのは心なんだよ。


「人が頑張って初恋を諦めようとしているっていうのに、なんで毎度毎度、そんなかっこよくあたしのことを助けてくれちゃうのかなぁ! こっちは頑張って頑張ってアリエル様のことは忘れようって努力してるのにアリエルがそんなことばっかりするから……いつまでも未練を断ち切れないじゃない! 」


 気付いたらあたしは泣きじゃくりながら叫んでいた。これはただの当てつけ。アリエルは純真で、まっすぐで、優しいから、あたしのことを助けに来てくれただけってわかってる。でも、その優しさが、初恋をまだ引きづっているあたしにはこの上ないほど残酷に思えた。

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