第28話 蒼弓Ⅴ 襲撃

 その直後。緊急事態だったのでぼく・ジャック君・そしてレムさんはジャック君の記憶を元に空間転移し、数秒後にはヒュドラの頭上にいた。遠目から眼下のヒュドラと交戦する冒険者パーティー・黄昏の宝具の様子を確認する。1人が派手な出血をして倒れ、そこに回復術師らしき男性がかかりっきりになっている。あとの2人も全身に傷を負いながらも、肩で息をつきながら何とかヒュドラを前にして立っていた。


 ――どうやら間に合ったみたいだね。でも、これ以上彼らが攻撃を食らったら大変なことになる。だから、一気に決める!


術式定立リアライズ_九つに交わる紅蓮の剣ノナ・オブ・ボルカニックカリバー_対象選択ロックオン_九頭大蛇_再現開始リスターツ


 あたしの詠唱と共に9本の炎で形成された剣が現れ、ヒュドラの9つの首を穿つ。その瞬間、ヒュドラの動きが一瞬止まる。そして次の瞬間から、ヒュドラの9本の首は再生を始める。そのタイミングでぼくはすかさず次の詠唱を叩きこむ。


術式定立リアライズ_起点干渉ジャミングアウト_段階選択レベル_誕生のさらにその先プリマイス・オブ・バース_再現開始リスターツ


 そう詠唱した瞬間。モニターがノイズを引き起こしたかのようにヒュドラの存在そのものが不安定になり、再生の種着点が「数秒前」から「生まれてくるその前」に外部干渉を受けたヒュドラは存在そのものを【無限再生】の力によって自滅させる。


 そしてそのタイミングで、ちょうどぼく達3人は衝撃を魔法で緩和しつつも、重力に従って地上に降り立つ。


 時間にして僅か十数秒の出来事。そのことにこれまで緊張で張りつめていた黄昏の宝具の皆さんも、そしてレムさんも狐につままれたような表情をしていた。


「い、今のは一体何だったのですぅ? 」


 レムさんのその言葉はジャック君のむせび泣きによってかき消される。


「よ、良かったよぉ。お、俺、大切な家族が死んじゃうかと本気で心配して……ありがどぉぉ! 」


 涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしたままジャック君がぼくに抱き着いてくる。ちょっと苦しい、でも悪い気はしなかった。これが女の子だったら卒倒してたけどね。……いや、男の子だと嬉しいとかでもないよ? ただ、感謝の言葉を素直に受け取れた。


「ほんとにヒュドラは倒せたのか? 神話級霊装を使った素振りなんてなかったけれど……」


「は、はい。確かに不死の力を持つ魔獣を無理やり力技で倒そうとするなら神話級霊装――輪廻の呪縛を祓いし剣クラウソラス不死殺しの杵ヴァジュラなどが必要です。でも、魔獣の再生が時間魔法をベースにしている以上、その終着点を外部からちょっとずらしてあげるだけで、特別な武器なんてなくても倒せちゃうんです」


 この冒険者パーティーの魔術師かな、驚愕の表情を浮かべた20代くらいの金髪の男性の質問に答えたけど、彼は首を傾げてよく理解してもらえなかったみたいだった。まあ不死の魔法を時間魔法の仕組み自体に干渉する、っていう方法をとる人を他に見たことはないからね……。そもそも時間干渉魔法自体、出来る人はほんの一握りだし。


「今のとんでもない魔法とか、レムからもいろいろ聞きたいことは山のようにあるのですぅ。でもでも! そんなことよりも、早くギルドに戻って治療をしてあげなくちゃいけないのですぅ。アリエルちゃん、転移魔法で黄昏の宝具さんをギルドまで送り届けてもらうことはできるのですぅ? 」


 レムさんの的確な指摘に、ぼくは頷いて詠唱を開始する。


術式定立リアライズ_転送テレポート_対象選択ロックオン_"黄昏の宝具"_到達点ゴールサイト_"冒険者ギルド"_再現開始リスターツ


 唱え終わった瞬間。冒険者とレムさんは淡い魔法の光に包まれて転送される。それを見届けると、ぼくは安堵してため息をついちゃう。


 さて、ぼくも帰るとするかな。そう思った時だった。


「今のは概念魔法【時空】か【再生】じゃないとできない芸当のはず。あなたって女はどれだけ番狂わせなのかしら。――やっぱり、生かしておくには危険すぎるわね」


 聞きなれない声に振り向くと、そこには黒ローブに身を包んだ見知らぬ人が立っていた。左手には蒼い弓を携えている。フードを深くかぶっていてその容姿はうまく見えないけれど、直観的に相手が女性だということを感じ取ってぼくの体は強張る。


「な、なにかぼくに用ですか……? 」


 それでも何も言わずに回れ右して逃げ出すのは失礼だと思って、今すぐ逃げ出したい気持ちをぐっとこらえてその場に踏みとどまる。でもその直後。ぼくはそんな自分の勇気を後悔することになる。


術式略式発動オミットアクト_氷結の矢ブリザードアロー


 詠唱と共に形成される氷の矢。そしてそれは迷いなくぼくめがけてまっすぐ飛んでくる。それを間一髪のところでぼくは躱すけれど、ぼくが躱した矢が突き刺さった巨木は一瞬にして凍り付き、その光景をぼくはつい二度見しちゃう。【氷】や【炎】といった【原素】を魔法で生成し、それを剣や矢の形にして繰り出す魔法は別に珍しくもなんともない。でも、彼女の繰り出した氷結の矢はそこら辺の魔術師の繰り出すものとは格が違う。【原素】魔法を極限まで高めた域にある強者が明らかにぼくのことを殺すために放ったもの。それを理解した途端、ぼくの脳裏にプロムに殺されかけた時のことがよぎる。恐怖で全身から血の気が失せて、ぼくはその場にへたり込んじゃう。


「意外ね。殺されかけたらもっと抵抗してくるかと思った」


 そう言いながら黒ローブの少女は今度は複合原素【雷】で生成した剣を弓を携えていない右手に構えて、ゆっくりとぼくに歩み寄ってくる。その瞳には氷よりも冷たい純粋な殺意の光だけがあった。


「こ、来ないでよぉ……」


 そうみっともない声を上げるぼく。でも、恐怖でその場に張り付けられたようになったぼくはその場から動けない。そして当然だけど、黒ローブの少女はそんな言葉じゃ止まらない。ぼくの足元までやってきた黒ローブの少女は無表情のまま、氷魔法と炎魔法を合成して創り出した雷の剣をぼくに向かって、大きくふり被る。


 ――殺される!


 そう覚悟してぼくはぎゅっと目を瞑る。でも。結論から言うとその雷の剣はぼくの体に触れることがなかった。


 カツン、と音を立てて雷の剣は弾き飛ばされる。恐る恐る目を開けると無意識に発動したぼくの魔力障壁が雷の剣と拮抗したみたいだった。


 そう言えばそうだった。ぼくだって一度は勇者パーティーの一員に選ばれた王国トップクラスの魔法騎士の端くれ。魔力さえ十分にあれば、ぼくの意識とは無関係に生存本能から自動発動する自己回復魔法や障壁魔法があるんだった。まあ、執事として働いているだけならそんな魔法が発動する機会なんてないから忘れかけてたけど。


 でも、その魔法の発動はぼくをさらに窮地に追い込むだけだった。魔法障壁の自動発動、それは黒ローブの少女にとって想定外だったみたい。はじめてぎょっとした表情を見せて、次の瞬間黒ローブの少女は警戒して、後方へ一飛びしてぼくから距離をとる。ぼくに対する警戒度を一段階高めたことは明らかだった。


「さすがに通常魔法の延長上じゃ仕留められるわけもないか。なら――」


概念構築リアライズ_臨界招来_種別選択タイプ_業火ヘルフレイム_対象選択ロックオン_100m²_再定義開始リスターツ


 次の瞬間。舞台の背景が反転するかのように、ぼく達を取り囲む情景が切り替わる。さっきまで森の中にいたはずのぼく達はその1秒後には炎に囲まれたこの世のものとは思えない空間にいた。そこら中に溶岩が流れ出し、火が吹き荒れている、火山の中のような空間。そして、さっき無意識で発動した魔力障壁は既に雲散していた。


 明らかにこの世のものとは思えない空間。発動していた魔力の無効化。その2つの条件からこれが、黒ローブの少女が作りだした【臨界招来】なのだということをぼくは悟る。


 臨界招来は魔法によって自分が絶対優位の亜空間を創り出す、それだけでほぼ勝ち確のような術式。臨界招来自体、使える人は魔法師の中でもごく一握りしかいない。そんな最上位魔法の中でもこの業火に包まれた臨界招来は更にその最上位にあることは、さっきの氷結の矢などを見たら明らかだった。


「ぼ、ぼく、なんか悪いことしちゃった……? だったら謝る! だから、痛いこと、苦しいことは許してよぉ……」


 ぼろぼろ涙を流しながら命乞いするぼく。でもそんなぼくに、相手は警戒心を更に強めるだけだった。


「別にあなた自体に罪はないわ。強いて言うならば――生まれてきたこと自体が罪、かしら」


 氷のような冷たい口調でそう言った直後。1000度を超える溶岩がぼくの身長よりはるかに高くまで盛り上がり、ぼくの体を飲みこむ。その瞬間。


「―――――! 」


 あまりの痛みにぼくは言葉にならない悲鳴を上げちゃう。全身に走る熱さ・痛み。普通なら数秒も経たずに意識を失う激痛。でも哀しいかな、魔法適正がいやに高いぼくは意識の方も身体の方も並み以上に頑丈に守られすぎていた。溶岩が通り過ぎた次の瞬間から、痛みは確かにはっきりあるのに勝手に回復魔法を発現させて焼きただれたぼくの体を修復していく。


 そんなぼくをみて目障りそうな視線を投げかけてくる黒ローブの少女。今のでぼくに致命傷を与えられなかった、その事実が意味することをぼくは彼女の視線から悟る。次にはぼくを確実に殺すためにもっと痛い攻撃が飛んでくるということ。


「ったく、うんざりするほどタフね。――いいからさっさと逝け! 」


 そう吐き捨てるように言うと、黒ローブの少女は一撃必殺の矢を繰り出そうとこれまでは持っているだけだった蒼弓に手をかける。その矢が、並みの魔力障壁なんかじゃ防げないことをぼくは本能的に悟る。


 ――あれ、さっきの溶岩より絶対痛い!


そう思うけれど、恐怖ですくんだぼくが逃げ切れるわけがない。と、その時。


術式略式発動オミットアクト_超振動波グラインダー


 ぼくにとってどこか安心できる声で、詠唱がなされた。

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