第26話 蒼穹Ⅲ 辺境伯と蒼穹の魔女 後編

「そう言えば魔女様は、なんでそこまで世界の秩序維持にこだわってるんですか。漆国七雲客はクラリゼナ王国内で言われているような人類の敵対勢力ではない――というか普通に同じ人間であることは知ってますけど、魔女様は度が過ぎているというか、身を挺して勢力均衡をとろうとしているような気がします。それには何か理由があるんですか? 」


 これまでは自分の心に余裕がなくて浮かぶこともなかった疑問。そんなあたしの問いに、魔女様は首を傾げる。


「そうねぇ。それは私も今の力をお師匠様から受け継いだ時に世界平和を守るための力、として託されたから、かな。その人との出会いが私を救い、変え、百年近く経った今でも私の生きる指針になってる」


「誰かとの出会い、ですか。少しわかる気がします」


 あたしにとってはアリエルとの出会いが何度も自分を変え、生きる指針になってくれている。それは魔法騎士だった頃も、男装執事をしている今も。そんなあたしにつられてか、魔女様も頬を緩めて、そして次の瞬間。


 何かに気付いたかのようにはっとし、真顔になったかと思うと、魔女様はトーンを落として言う。


「ミレーヌ、もしかしてあなたが変わったのって、最近誰かに出会ったから? 」


 なんでそんなことを聞くんだろう。そう思いながらもうなずくと。


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 いきなり魔女様は詠唱を開始し、あたしの周りに魔法陣が形成され、魔女様は空中の一点を凝視する。そして。


「……クラリゼナの王城はひた隠しにしているけれど、世界の調停者バランサーたる私は知っている。今から一か月半前、勇者パーティーの一員だった魔法騎士が忽然と姿を消した。その後、この地方一帯の貴族が招かれた非公式なパーティーで彼女の姿を見かけたという信憑性の怪しい情報を除くと、彼女の消息は未だに明らかになっていない。……ミレーヌ、もしかしてあなたがその魔法騎士を匿っていたりなんてしないわよね」


 匿う。その物騒な言葉にあたしはごくりとつばを飲み込む。


「もし匿っている、と答えたらどうするんですか。別に魔女様はクラリゼナ王国とは関係ないんだから、あたしから無理にアリエルを奪い取って、勇者パーティーに戻す義務なんてないでしょう」


「確かにそうよ。件の魔法騎士が見つかったところで私はそれを、クラリゼナ国王直属の勇者パーティーに連れ戻す義務も義理もない。でもね、それ以前に彼女は世界の調停者バランサーを自称する私にとって勇者以上の警戒対象で、脅威なの。あの子が本気を出したら、私に肉薄しかねないほどの力を持っているから。ただでさえクラリゼナ王国はまだどちらも未覚醒とはいえ、漆国七雲客を2人も抱えている。それに加えて彼女の存在はオーバースペックすぎるのよ。これまで何度も排除することを検討して、断念したくらい」


「……だったら、勇者パーティーから解放された彼女を魔女様がとやかく言う理由はむしろ無くなったじゃないですか。今の彼女は誰の命令で戦うわけでもない」


 あたしの震えた声に魔女様は残念そうに首を横に振る。


「いいえ。もしその魔法騎士がランベンドルト辺境伯――あなたの配下にあるのだとしたら、それは世界の調停者バランサーとして見過ごすわけには行かないわ。あの子の実力は一地方の領主が持っていい力を遥かに超えてるもの。しかもそんな魔法騎士に加えて、あなたには側近の【対女性特効】の転生者と契約に縛られて覚醒しきった漆国七雲客である私がいる。そんな状況は、たかが一地方の領主がそれだけの力を持っているのは勢力均衡を旨とする私から見ると歪で――排除せざるを得ない」


 そう言い捨てて立ち上がる魔女様の前に、あたしは必死になって立ちふさがる。その体は誰から見ても明らかなほど、恐怖で震えていた。


「ち、違うんです! 今のアリエルは騎士でも何でもない。勇者パーティーを追い出されて深く傷ついたかわいそうな女の子なんです。あたしはそんなあの子を保護――なんていうのは烏滸がましいですけど、居場所をあげられれば、と思っただけなんです。あたしとしてはあんなに苦しんだあの子に幾ら魔法の才能があるからと言って戦わせる気はないし、戦ってほしくなんてないし戦わせる気もないんです! だから見逃してください……」


 そんなあたしに、魔女様は悲しそうな視線を投げかけてくる。


「ミレーヌとはもう十年以上の付き合いであなたの人柄もよく知っている。だから、あなたの今の言葉が本心から出たものだということはわかるわ。それにあたたの性格なら力があったところで、それを良からぬことに使おうとすることはないでしょう。でもね、件の魔法騎士自身はどうなの? 過去回覧魔法で見させてもらったけど、あなたの所にいる魔法騎士は随分あなたに懐いているみたいじゃない。そんな彼女が、あなたが深く傷ついた時にその力を暴走させないという保証はどこにもないでしょう? 」


「それは……」


 つい言葉を濁らせるあたし。確かに今のアリエルの性格的に、保証できることは何処にもない。


「――だから、今のうちに彼女は始末せざるを得ないのよ。ミレーヌのことをこれ以上苦しめるのは、本当に申し訳ないのだけれど」


 そう言って出ていこうとする魔女様を、今度は両手を広げて通せんぼするあたし。


 アリエルが殺されちゃう。それは、考えただけでぞっとする。あたしが憧れたアリエル様はもう二度と帰ってこないとわかってすごくショックだったけど、最近、ようやく新しいアリエルを好きになれるようになろうって思うようになれたんだ。その矢先にアリエルとお別れだとか……そんなの辛くないわけがない。


「ま、魔女様。お願いですから、あたしからこれ以上奪わないで……」


 でも、百年近く生きた冷血なほどに理念に忠実な魔女様は、たかだか十八歳の少女の言葉なんかで止まるはずもなかった。


術式定立リアライズ_魔力搾出エナジードレイン_対象選択ロックオン_PMG_再現開始リスターツ


 あたしの周りの床に毒々しい魔法陣が描かれたかと思うと、床に張り付けられるようにあたしは膝を折り、床に突っ伏しちゃう。そしてどんどん生命力と魔力が吸われていく。


「ミレーヌから奪った魔力でミレーヌにとって大切な人を殺すとか、こっちだって気が進まないんだけれど、今回は相手が相手だからこっちも最善を尽くさなくちゃいけないし、我慢してね。それこそ、『魔力を吸われることには慣れた』、んでしょ」


 そう、あえて冷たい視線であたしのことを一瞥したかと思うと。弓を携えた魔女様は魔法で身体強化を施し、洋館の窓から外へと飛び立っていった。

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